旅立ち

「待ってよ、サリュートア~!」
 サリュートアと呼ばれた少年は、その声に立ち止まり、振り返った。白銀色の髪がさらり、と揺れる。
 そこに、声の主である、赤毛の小柄な少女が小走りで追いついて来た。大きな琥珀色の瞳が、猫のようにくるくると動く。
「一緒に帰ろ!」
「いいよ」
 少年は少女の方を見もせずに、素っ気なく答えてから、歩幅を狭くし、少女に合わせた。少女は軽く跳ねるようにして少年の隣に並ぶと、陽気な声で話し始める。
「サリュートア、メルのことフったんだって? メル、すんごい落ち込んで、今日学校来てなかったってよ。あの子真面目だから、なかなか立ち直れないかも」
「そう」
 少年の返答はにべもない。少女は、少し眉根を寄せて、少年に詰め寄る。
「そう、って冷たすぎない? サリュートアは、まあ見た目もいいし、頭もいいし、スポーツも出来るけど、人間味に欠けるっていうか、優しさとか面白みとかがないよね」
「それはどうも」
 少年は小さく肩を竦めると言う。
「それなら、そんな人間味に欠ける僕なんかと一緒に帰らなくても、こないだ出来た彼氏とでも帰ればいいじゃないか」
 すると、少女は口を尖らせ、大げさに手を振る。
「あ~、リューシェ、あんなのとはもうとっくに別れたわよ。ちっとも面白くないんだもん、アイツ」
「何日続いた?」
 揶揄するような少年の言葉に、少女は小首を傾げ、答える。
「え~と……一週間くらいかな?」
「まあ、アストリアーデにしては続いた方じゃない」
「まぁね。なんか引き延ばされた、ってカンジだけど」
 少女――アストリアーデはそう言いながら、朗らかに笑う。
 日差しは強く、明るく、肌をじりじりと暖めた。時折吹く風が、心地良い。
「あ~あ、つまんない。明日から夏休みなのに。なんか面白いことないかなぁ」
 そう言ってため息をつくアストリアーデに向かって、サリュートアは静かに笑みを浮かべる。
「面白いことなんか、自分で作ればいいんだよ」
「そうは言うけどさぁ……ねぇ、サリュートアは夏休み、どうするの?」
「別に」
「ふーん……」
 涼しげな顔で歩くサリュートアを横目で見ながら、アストリアーデは視線を空に向けた。
 空は青く、高い。

「サリュートア、起きてる?」
 その日の夜遅く、アストリアーデはサリュートアの部屋を訪れた。小さなノックの音が、廊下に響く。辺りは静まり返り、虫の声だけが聞こえる。
「何?」
 ドアの向こうから、やや不機嫌そうな声が聞こえる。いつものことだった。しばらくすると、ドアがカチャリ、と小さな音を立てて開く。隙間から漏れた明かりが、廊下を淡く照らした。
 アストリアーデは、にこりと笑みを浮かべると、ドアの前に立っているサリュートアを押しのけるようにして、躊躇わず中へと入った。そしてすぐに、部屋の中を興味深げに見回す。
「……だから何?」
 サリュートアは無愛想な声を出しながらも、ドアを閉め、アストリアーデを部屋に招き入れる意思を示した。すると、彼女は部屋の中を物色するのをやめ、サリュートアに向き直ると、またにこり、と笑う。
「夏休み、どこに行くの? 何をするの?」
「どういう意味?」
「だって、サリュートア、何か企んでる時の顔してたもん。お父さんの日記盗み読みした時も、ベルデさんのところに仕返しに行ったときも、同じ顔してた。夏休みにも、何か面白いことするんでしょ?」
 サリュートアは、しばらくアストリアーデの顔を無言で眺めていたが、やがて観念したようにため息をついた。
「旅行に行くんだよ」
 すると、アストリアーデの顔が、パッと華やぐ。
「それって、お父さんやお母さんには内緒でってことだよね? どこに行くの? サン・モーメンス? それとも、マイルストア? もちろん、あたしも連れてってくれるよね? ね?」
「いいよ」
 サリュートアがあっさり頷いたので、アストリアーデは何だか拍子抜けするが、すぐにいつもの笑顔を取り戻し、サリュートアに抱きついた。
「いや~ん、サリュートア大好き! チューしてあげる、チュー!」
「やめてくれる?」
「……そういうマジな顔で否定するのやめてよ。傷つくじゃない」
 アストリアーデは口を尖らせ、サリュートアから離れると、スカートのすそを整えてから、ベッドに腰掛けた。
 サリュートアは、本棚から地図を取り出すと、床に広げる。
「でも、行くのはリゾート地なんかじゃない。サマルダだ」
「サマルダ? 聞いたことないなぁ」
 アストリアーデが首を傾げると、サリュートアは地図の上の指をすう、と滑らせた。首都マイラより、ずっと北へ。
「ファンサーレ地方にある町だよ」
「ファンサーレ? ド田舎じゃん!? 何にもないよ!? ――行ったことないけど」
 それを聞き、アストリアーデはあからさまに不満の色を表した。サリュートアは、再び地図に視線を落とす。
「僕も行ったことはない。……でも」
「でも?」
「昔、この辺りが、あの計画にかかわった科学者たちの住まいになっていたんだって。だから、もしかしたら、その科学者の子孫が残っているかもしれない」
 ミレニアム・プロジェクト。
 それが、計画の名だった。
 サリュートアは、今は開放されている旧宮廷図書館や古書店、自宅の図書室などで、集められるだけの情報を集めていた。そして得られたのが、サマルダに何かがあるかもしれないという情報。
「そんなトコ行ってどうすんのよ。もし科学者の子孫がいたとしても、あたしたちには何の関係も、何の得もないじゃない」
「そうかな?」
 ベッドにひっくり返ったアストリアーデを見て、サリュートアは続けた。
「アストリアーデは知りたくない? 僕たちが何者なのか」
 しばしの沈黙の後、呟くような声が届く。
「それは……興味がないって言ったらウソになるけど」
 父の日記を盗み読んだ時、自分たちの祖先が普通の人間ではなく、兵器としてつくられた生命だと言うことを知った。自分たちが生まれる少し前に、人知れず世界の運命を左右するような戦いがあったことも、そしてそこに、自分たちと同じ名前の少年と少女がかかわっていたことも。
 『生き写しのようだ』と書かれていた。その時に思ったのだ。自分たちは何者なのだろうか、何故生まれたのだろうか――と。
 でも、二人とも、父にも母にも、ジェイムにさえ聞けなかった。
 それならば。
「僕たちが自分で知るしかない」
 また、沈黙が流れた。
「まぁ」
 それを破ったのは、アストリアーデの軽い声。
「いいんじゃない? パーッと行って、パーッと解決して、スッキリ帰って来ましょうか!」
 そして元気良く起き上がり、白い歯を見せて笑った妹に、兄も頷き、微笑み返す。
「……で? どうやって行くの? 夜中にこっそり? お父さんもお母さんも――たぶんジェイムも気づくと思うけど」
 アストリアーデの言葉を聞き、サリュートアは小さく鼻を鳴らした。
「バカだなぁ。そんなの、日の出ているうちに抜け出すに決まってるじゃないか。父さんも母さんも仕事なのに」
「でも、ジェイムはいるじゃん」
「ジェイムは僕たちには甘いから、『ちょっと出かけてきます』って言えば分からないよ」
 口を尖らすアストリアーデに、サリュートアはそっけなく言い返す。
「まあ、そっか……じゃあ、どうやってサマルダまで行くの? 馬? でも、馬なんか使ったら、足がついちゃう。買うには高すぎるけど、借りるにしても親の許可が必要だもん。流石に盗むわけにもいかないし……やっぱり、馬車が無難かな?」
「無難だけど、マイラからは乗らないよ。通行証が必要だし、門番にも、父さんたちのことを知っている人がいるだろうから」
「じゃあ、どうやって行くのよ?」
 少し苛立たしげに体を揺するアストリアーデに向かい、サリュートアは口の端を上げてみせる。
「ニルズさんの馬車さ」
「ニルズさん? ……ああ、野菜とか売りにくる人?」
「そう。あの人は、ラウストスに住んでる。そして、ラウストスからはファンサーレ方面への長距離馬車が出てるんだ」
 ラウストスとは、マイラの北西にある町である。
「つまり、こっそり荷に紛れるってこと?」
「その通り」
「え~っ。そんな古典的な方法で上手く行くのかなぁ……?」
 不満気に声を上げるアストリアーデに、サリュートアは口の端を上げてみせる。
「バカだなぁ。有効だから古典的なんだよ。人間なんて大して進歩してないんだから」
「ちょっと、さっきからバカバカ言うのやめてくれない? サリュートアのそういうとこがムカツクのよ」
「悪い悪い」
 アストリアーデが声を大きくすると、サリュートアは悪びれる素振りを少しも見せずに、謝罪の言葉を口にする。
 だが、アストリアーデも、いつものことだからと気にすることはない。立てた人差し指を唇に当てると、首を傾げながら尋ねる。
「あ……でも、荷物は? 流石に大きな荷物を持って家を出たら変でしょ?」
「それは、もう少しずつ運んで用意してある」
 それを聞き、アストリアーデは長い睫毛を瞬かせた。
「でも、あたしのはないじゃん」
 サリュートアは、大きく肩を竦めて見せる。
「どちみちついてくると思ったから、多めに用意してあるよ。後は必要なものは買い足せばいいだろ?」
「流石。抜け目ない」
「それは、お互い様でしょ」
 そう言って二人は顔を見合わせて笑う。
 夜は、静かに更けていった。

 翌日、フローティア邸では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「奥さま! 旦那さま! 大変でございます!」
 ジェイムが、ひどく興奮した様子で、ホールの中を歩き回る。手には紙切れを持っていた。彼は、もう八十に近い歳だが、まだまだ背筋もしゃんとし、血色も良い。
「どうしたのですか? ジェイム。怖い顔をして」
 仕事から早めに帰ってきたミストが、穏やかな微笑を浮かべて言う。金色の髪は短く切ったため、ホールに飾ってある母の姿にそっくりになっていた。それに続いて、ヴィンスターレルも部屋に入ってきて笑う。
「入れ歯でもなくしたか? じいさん」
「私の歯は全部自前でございます! ――冗談を仰っている場合ではありません!」
 すると、ジェイムはさらに顔を赤くし、声を荒げた。
「悪ぃ悪ぃ……で? どうしたって?」
「お――お坊ちゃまとお嬢さまが!」
 ジェイムは二人に、手に持っていた紙を見せる。
 そこには、『しばらく出かけてきます』という言葉と、サリュートア、アストリアーデの名前が書いてあった。
「ああ、意外と早かったですね」
 ミストが静かに言う。それを見て、ジェイムは目を大きく見開いた。
「……どういうことでございますか?」
「二人で、旅に出たんです」
 あくまで穏やかな態度を崩さないミストに、ヴィンスターレルは呆れた顔をする。
「お前、分かってたんなら言えよ」
 すると、ミストは悪戯っ子のように笑った。
「『予見』ですから」
「ああ、そっか、それなら仕方ない」
 『幻影師』の一族に受け継がれた力――フローティアの一族は、予知能力に長けていたが、今は『予見』という、占いのような能力しか残っていない。曖昧なことしか分からない場合も多くある。
 和やかに話している二人に、痺れが切れたように、ジェイムが噛み付いた。
「お二人とも何を呑気なことを! お坊ちゃまもお嬢さまも、まだ十四になられたばかりですぞ!」
 ジェイムは、二人を本当の孫のように可愛がっている。二人に何かあったらと思うだけで、気が気ではない。
 しかし、親はというと、呑気なものだった。
「でも、俺が十四の頃は、もう独り立ちしてたぞ?」
 あっさりと言うヴィンスターレルに、ジェイムは、頭を抱え、大げさな身振りで訴える。
「お坊ちゃまとお嬢さまは、旦那さまのように頑丈ではないのです!」
「何だよ頑丈って。人を家具みたいに」
「それは言葉のあやでございます! とにかく――」
「まあまあ、とりあえず、座りましょうか」
 ミストが二人の間に割って入ると、ヴィンスターレルは頷き、ジェイムは大きくため息をついた。

「はい。どうぞ」
 ミストがティーポットから、カップに緑色の茶を注ぎ、皆の前に置く。柔らかい香りが鼻腔をくすぐった。
 アレスタンでは良く飲まれている、サラウェアという薬草の茶だ。心を穏やかにする作用があると言われている。
「ありがとうございます」
 ジェイムが申し訳なさそうに言いながら、一口飲み、大きく息を吐いた。
 ヴィンスターレルも礼を言い、口をつける。
「予見では、こう伝えられました。『子らは、北へと向かう。自らを知る旅に出る』」
「北ってぇと……リシュエンスかエンデルファ、もっと行くならファンサーレか……?」
「そこまでは、わたくしには分かりません」
 ヴィンスターレルに答えてから、ミストも静かに茶を飲む。
「でも、分かるのは……あの子たちは、何かを学ぶために旅に出たということです。それはきっと、止めてはいけません」
 少し寂しげに言うミストを見て、きっと彼女も同じことを思っているのだろうと、ヴィンスターレルは感じた。
 十五年前、自分が殺した少年と少女がいた。それは、避けられないことだったのかもしれない。けれども、ヴィンスターレルの心に、深い思いとして残っている。
 彼らは、大人たちに愛されたかったのに、それが得られなかった。それが得られたなら、また違ったかもしれないと考える自分がいる。そして、自分たちに双子が遣わされたと知った時、ヴィンスターレルはミストと二人で、その子供たちと同じ名をつけた。
 贖罪という思いは、あったのかもしれない。それは、否定できない。でも、それよりも、その名前しかない、という衝動の方が大きかった。
 そして十四年経った今、子供たちは、あの時の子供たちと見まごうような姿に成長した。
 もし彼らが、何らかの方法であの子供たちのことを知ったら、それは何故なのかと悩むかもしれない。答えが欲しいと思うかもしれない。そういう道を与えてしまった。 
「そしてたぶん、俺たちも何かを学ばなくてはならない」
「……そうですね」
 そう話す二人の横で、ジェイムはもう落ち着きを取り戻し、黙って茶を飲んでいた。
 サリュートアたちのことは、可愛くて仕方がない。けれども、それならばこの二人も同じだ。そして、ジェイム自身も、家族に何かが必要なことは感じ取っていた。
 ミストの横顔を見る。
 彼女も、ヴィンスターレルと出会って変わった。心を閉ざし、人を遠ざけていた彼女も、子を成して母となった。歳は重ねたが、以前の彼女よりもずっと穏やかで、魅力的な美しさを備えたとジェイムは思う。
「わたくしは、あの子たちを信じています」
 そう言うミストの横で、白い大きな狼が、頷くように顔を揺らした。

「あははははっ! かんた~ん!」
「しっ! 静かに! ばれたらどうすんの」
「ごめーん」
 サリュートアに小声で叱られ、アストリアーデは慌てて口をつぐむ。御者台の方を見るが、何の変化もなく馬車も走っているところを見ると、気づかれてはいないのだろう。
 幌のついた荷台の中は、荷物のほか、多少売れ残った商品があるだけなので、思ったよりも広く、居心地は良かった。
「あと、どれだけ乗ってればいいの?」
「明日にはつくと思うよ」
「えーっ! 長いー!」
 そう不満を漏らすアストリアーデに、サリュートアは表情を変えずに言う。
「じゃあ、帰れば?」
「も~っ! いちいちマジにならないでよ! 言っただけじゃん! 分かってるわよ!」
「そう」
 素っ気なく返事をするサリュートアを横目に、アストリアーデは、荷台の端から外を覗く。
「見て! マイラがあんなに小さい!」
「そうだね」
 少し傾いてきた日に照らされ、遠くに首都マイラが見える。
 両親に旅行に連れて行ってもらったことはあるが、二人だけでマイラを出ることなど、初めての経験だった。不安よりも、高揚感の方がずっと強い。何故、今までこうしなかったのだろうという思いすら湧いてきていた。

 馬車は、ごとごとと揺れながら進んで行く。

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