分岐

「ちょっと! 長距離馬車が出ないってどういうこと!?」
「そ、そのままの意味だよ……しばらくは出ない」
 ラウストスの町役場の職員は、窓口越しのアストリアーデの剣幕に圧され、少し顔を引きつらせながら言う。
「だからどーして出ないのよ!?」
「山賊が出るんだってさ」
 見かねたサリュートアが、後ろから肩を軽く叩き、静かに言った。アストリアーデの声はよく響き、周囲の人々の視線が、痛いほどに集まってきている。
「山賊くらい、退治したら――あ、ちょっ、サリュートア離して!」
 堪えかねたサリュートアが腕を強く引っ張ると、アストリアーデはあからさまに嫌な顔をしたが、放っておいたら何を言い出すか分からない。そのまま、町役場を出、往来を抜け、人気のない場所まで引っ張っていく。
「君はバカなの? 駄々こねたって仕方ないものは仕方ないじゃないか」
「だって、せっかくこんなところまで来たのよ! 今さら帰りたくなんかないじゃん!」
「もちろん、帰る気はないよ。――何か方法を考える」
 サリュートアの言葉に、アストリアーデの顔が輝いた。腕を組み、左方を見るサリュートアの顔を、期待をこめて見る。
「長距離馬車が使えないなら、他の馬車を探すしかない。誰かのものを借りるのは無理だし、流石に盗むことは出来ないから、やっぱり食品とか生活品の……」
「また荷台に乗るの? あたしはもう嫌!」
 サリュートアの呟きを聞き、アストリアーデは悲鳴のような声を上げた。
「仕方ないだろ! 他に方法があるの? 君は自分で考えもせずに、文句を言うだけじゃないか!」
 サリュートアにそう言われ、アストリアーデは黙り込む。彼の言っていることが正論だというのは分かっている。いつだって彼は正しくて、言い合いをして、勝ったためしがない。
 目の中に、涙がじわりと広がる。また馬鹿にされたくないから、急いで横を向き、隠した。
 自分の格好を見る。荷台に乗ったから、お気に入りの服が汚れてしまった。それだけでも、とても辛いことなのに。
 この気持ちは、服など機能的であれば良いと思っているサリュートアには分からない。
 今彼が着ている服だって、アストリアーデが見立てた服だ。服に金などかけたくないというから、安い服や古着を一生懸命探し回って、流行に左右されず、けれども洗練されたファッションに仕上げた。それも、荷台についていた土や肥料などで汚れてしまっている。
 学校でも、サリュートアのことをお洒落だといって褒める女子の声を何度も聞いていた。彼がもてるのは、アストリアーデの努力だって大きく力を貸している。
 けれども、彼はそんなことに気づきはしない。
 こんなことなら、自分だけの荷物を持ってくるべきだった。
「こんなことなら、連れてくるんじゃなかった」
 溜め息交じりに、サリュートアが言葉を吐き出す。
 それは、とても冷たく、アストリアーデの胸を抉った。
「サリュートアのバカ! 死んじゃえ!」
 気がついたらそう言い放ち、アストリアーデは走り出していた。
「なっ――ちょっと、アストリアーデ! 待てよ!」
 後ろで、サリュートアの慌てた声が聞こえるが、それは無視して走る。
 一方のサリュートアは、遠ざかっていくアストリアーデの背中を見ながら、しばし呆然としていた。止めた方が良いのは分かっていたが、どうしても追いかける気にはなれない。
「何だよ、あの態度。――勝手にしろ!」
 そう吐き捨てると、彼は踵を返し、アストリアーデの向かった方とは逆へと歩き出した。

 日は中天を過ぎ、もう傾き始めている。
 アストリアーデは、町中の小さな酒場の窓際でひとり、ジュースを飲んでいた。果実の色をした液体を、ちびちびとすすってはため息をつく。まだ時間が早いので、店内にはまばらにしか客がいない。
 サリュートアが探しに来る気配はまだない。つい頭に血が上ってあんなことを言い、ひとりでここまで来てしまったが、こんなところで旅を終わりにはしたくない。かといって、すごすごと戻って、自分から謝るのは悔しかった。
 何か、きっかけとなるものはないか。
 アストリアーデはジュースをまた一口飲むと、あごに手を当てて考える。
「お嬢さん、おひとり?」
 唐突に声をかけられ、アストリアーデは弾かれるように振り返った。そこには、背の高い女が立っていた。赤く長い髪を後ろで縛り、男物のような色気のない服を着ている。
「さっき、馬車乗り場で騒いでたでしょ?」
 そう言って笑う女に、アストリアーデは顔を赤くする。気にしているつもりはないが、改めて言われると恥ずかしい。
「別にからかいに来たわけじゃないのよ。いい話があるの」
「いい話?」
 女は静かに頷き、少し周囲を見回した後、アストリアーデの向かいの席を手で示した。
「ちょっとここ、いいかしら?」
「あ、うん」
 アストリアーデが頷くと、女は静かに席に着く。
「あたしはリア。宜しく」
「あたしは、アストリアーデ」
 リアは、笑顔で手を差し出すが、アストリアーデは、あまりその手を取る気にはなれなかった。何が目的なのか、よく分からない。まさか、金目当てということもないだろうが、思わずバッグを手元に引き寄せていた。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
 そう言ってリアはくすくすと笑ってから、やって来た店員に、アイスティーを注文した。
「まあいいわ。それで、話なんだけど……あたしたちの馬車に乗らない?」
「リア……さんの馬車に?」
 アストリアーデは、訳が分からず目を瞬かせる。
「リアでいいよ。……つまり、こういうこと。長距離馬車が出ない。その代わり、あたしたちがファンサーレ方面への馬車を出す。もちろん、お代はいただくわ。でも、格安」
「格安!?」
 アストリアーデは、つい声を高くしてしまい、リアに「しっ」と言われてしまう。
 この町の長距離馬車は高いと、サリュートアがこぼしていたのだ。ファンサーレ方面への馬車は、ここからしか出ていない。競争相手がいないから、多少高くても、移動手段がない者は皆、結局は乗る。
「だけど、山賊が出るんじゃないの?」
 盛り上がっていた気持ちが、すぐに崩れていく。そのことがあるから、危なくて馬車が出なかったのではないだろうか。
「だーいじょうぶ。護衛付きよ。長距離馬車の場合、そういうのはないからね」
「そうなんだ……」
 アストリアーデの胸に、希望がじわりとにじみ、広がっていく。リアの馬車に乗れば、荷台でひっそり身を潜めることも、体を痛めることも、服を汚すこともない。しかも、旅費が浮く。サリュートアも、きっと喜ぶに違いない。
「……あの、連れがいるんだけど、一緒に乗せてもらえるかな?」
 はやる気持ちを抑えながら、リアを見ると、彼女は形の良い眉を、ぴくりと動かす。
「連れって、一緒にいた男の子?」
「うん。……ダメ?」
「ふーん……」
 リアはしばし考えるように視線を横に向けた。アストリアーデは、祈るような気持ちで、大きく呼吸をする。
 やがて、リアは笑顔で頷いた。
「いいよ。連れておいで」

 もう、辺りは暗くなってきている。このままアストリアーデを一人にしておくのは危険かもしれない。気は進まなかったが、探しに行くしかなさそうだ。
 そう思った時、聞き慣れた声がした。
「サリュートア~!」
 アストリアーデが、手を大きく振りながら、満面の笑みでこちらに向かって走ってくる。勝手にどこかに行ったくせに、いい気なものだとは思ったが、それはいつものことだ。
 サリュートアは大きく息をつくと、体をそちらへと向ける。アストリアーデは彼のもとまでたどり着くと、肩で息をするのももどかしそうに、早口で話し始めた。
「あのね、ファンサーレ方面の馬車に一緒に乗せてってくれるって人が見つかったの!」
「乗せてくれるって……何で?」
 サリュートアが聞き返すと、アストリアーデは首を横に振った。
「わかんない。酒場で声をかけられたの」
「バカ、あからさまに怪しいじゃないか」
「何でバカっていうの!? リアはいい人だし、荷台なんかに乗っていかなくても済むし……それに、お金も払うんだから、長距離馬車と一緒じゃん!」
「お金取るの?」
「うん。それがおかしいの?」
「いや……」
 サリュートアは腕を組み、考えた。それは、おかしくはない。
「格安なんだよ!? 五千リューゼ! サリュートアだって、長距離馬車が高いって愚痴ってたじゃん。これはチャンスだって! どちみちファンサーレの方に行くし、馬車が余ってるからやってるんだって」
 アストリアーデが、形勢が有利になったと悟ったか、一気に畳み掛ける。
 確かに、ラウストスの長距離馬車の料金は高い。ファンサーレにある、ここから一番近い町まででも、一万リューゼはかかる。そちらに行く用事があり、馬車も用意できるのであれば、他人を乗せて金を稼ぐことは、悪くないアイディアだ。半額にしたところで、儲けは出るだろう。
「それにね、一緒に乗る人は、全員女の人なんだよ。お客さんも、護衛の人も。あたしたち、格闘もジェイムに教わってるじゃない。なんかあっても大丈夫だって」
 確かに、腕には多少の自信がある。ジェイムだけではなく、父の部下たちも、皆褒めてくれる。
 自分が注意していれば、きっと何とかなるだろう。
「……分かった。いいよ」
「やったぁ!」
 サリュートアが頷くと、アストリアーデは跳び上がって喜ぶ。妹の姿を見ていたら、つられて顔が綻んだ。
「出発は?」
「明日の朝だって! あたし、リアに返事してくるね!」
「分かった。ここで待ってるよ。宿はもう取ってあるから」
「うん!」
 一時はどうなることかと思ったが、何とか旅は続けられそうだ。
 サリュートアは空を見上げ、大きく息を吐いた。満天の星に、少し欠けた月。
 明日は、良い天気になりそうだった。

 翌日の早朝、町の郊外に集まった面々は、挨拶もそこそこに、馬車へと向かった。四人乗りの馬車が二台ある。
 昨日アストリアーデが言ったように、女性ばかりだった。皆若く、少女と呼べる年代の者もいる。
「女の人ばっかりだから、サリュートアの方がよっぽど危ないね」
「うるさいよ」
 アストリアーデは、サリュートアに向けてにっこりと笑うと、上機嫌で馬車の中に入っていく。リアがそれに続いた。
 サリュートアも乗り込もうと馬車へと近づいたが、ふと、視線を感じ、振り向く。
 そこには、帽子を目深に被った、小柄な女が立っていた。帽子も、この気温の中暑いのではないかと思われるジャケットも、パンツも地味な色で、大き目の眼鏡に遮られ、その奥の瞳も良く見えない。
「あなた、サリュートア君っていうの?」
 しまった、と、サリュートアは内心舌打ちした。何があるか分からないから、偽名を使っておくべきだった。
 しかし、ここで嘘をついても、相談もなしにアストリアーデが合わせられる訳はないし、どちみちリアには本名がばれている。
 仕方なしに、サリュートアは頷いた。
「……はい。そうですけど」
「あの子は、アストリアーデちゃん?」
「ええ。……だから何なんでしょうか?」
 サリュートアの声が、警戒の色を帯びる。女はそれに気づいた素振りも見せずに、ゆっくりと首を振った。
「ううん。素敵な名前だと思ったの。……わたしはナオ。宜しくね?」
 そう一方的に言うと、ナオは口の端を少し上げ、ジャケットの裾をひるがえし、サリュートアよりも先に馬車に乗ってしまう。
 サリュートアは、腑に落ちない気分でその姿を見ていたが、やがて、後に続いた。
 そして、馬に乗った護衛二人に挟まれるようにして、馬車はゆっくりと動き出す。

 ゴトゴトという音と振動が、耳を、体を叩く。
 最初は物珍しそうに窓から景色を眺め、いちいち感嘆の声を漏らしたり、はしゃいだりしていたアストリアーデも、半日以上乗っていたら、流石に飽きたようだ。やや傾いた日の光は明るさを変え、窓から差し込んでいる。リアは腕を組んで目を閉じ、ナオは帽子と眼鏡のせいで、視線がどこを向いているのか分かりづらい。
 そしてサリュートアは、窓の外をじっと見ていた。
 ラウストスの町役場で見せてもらった、長距離馬車の地図は頭に叩き込んである。今乗っている馬車が、同じルートをたどっているか、ずっとチェックし続けていた。
 アストリアーデには悪いと思うが、サリュートアは彼女ほどリアたちを信用していない。それは、不信感というよりは、自分がしっかりしなければならないという思いからかもしれない。
 だが、ここまでルート通り来ている。こんなことをするのも、取り越し苦労になるのかもしれない。大体、金だって払っているのだから、自分たちを騙すメリットなど何もない。
 そう思って、背を椅子にもたれかからせ、大きく息をついた時――胸がどきり、とした。
 今、馬車が道を右に曲がった。落ち着いて視線を走らせる。やはり右――街道を離れ、人家のない方へと行こうとしている。
 いや――しかし、近道を通ろうとしているのかもしれない。急いで頭の中の地図と照らし合わせる。
 でも、答えはひとつだった。この馬車は、ファンサーレへの最短ルートを通らない。そして、それは自分たちに告げられない。
 まだ、家はまばらにある。ここで逃げれば、何とかなるかもしれない。もし自分の勘違いだったとしても、アストリアーデと話し合う必要があると思った。
 サリュートアは深く、静かに呼吸をすると、何事もなかったかのように口を開く。
「……トイレに行きたいんだけど」
「そう」
 リアはゆっくり目を開けると頷き、御者台の方へと合図する。馬車は、大きく何度か揺れると止まった。それを確認すると、サリュートアは席から腰を上げてドアを開け、アストリアーデの方へ目を向ける。
「アストリアーデ、ちょっと」
「え? あたし?」
 戸惑いながらも立ち上がろうとするアストリアーデの腕を、リアが掴む。彼女はサリュートアへ挑むような視線を向けた。
「トイレくらい、ひとりで行けるでしょ? ねえ?」
 サリュートアとリアの目が、お互いを牽制し合うかのようにぶつかる。
「いいから、ちょっと」
「う、うん……」
 その合間で、所在なげにしていたアストリアーデは、サリュートアの真剣な態度に気圧され、リアの手を振りほどこうとした。
 その時。
「――!?」
 空だ、とサリュートアは思った。
 次の瞬間、背中に重い痛みが走り、口から空気がこぼれる。
 一瞬の間のあと、馬車から落ちたのだと理解すると、彼は急いで体を起こした。扉がバタン、と閉まり、再び馬車は走り出す。
「くそっ! ――アストリアーデ!」
 サリュートアは背中の痛みをこらえながら、足に力を込め、走った。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 でも、じわじわと実感が湧いてくる。
 リアが、サリュートアを馬車から蹴り落としたのだ。
「なんで!? ――なんでこんなことするの!?」
「何でって、あの坊やが邪魔だったからよ」
 楽しげに笑うリアを目にしながらも、まだどこか諦めていない自分がいた。これは、きっと何かの冗談だ。
「馬車を止めて!」
「嫌よ」
 大きな声で訴えるアストリアーデに、リアの返答は素っ気なかった。馬車の後ろから、サリュートアが必死に追いすがってくる。けれども、その距離は離れていく一方だ。
「止めなさいよ! 止めないと――!?」
 力を帯びてきたアストリアーデの声が、振り向きざまに小さくなる。
 リアの右手には、何かが握られていた。
 金属製の筒――銃だ。
 アストリアーデは現物をまだ見たことがなかったが、それでもそれが、人を殺す武器だということを知っている。
 指先が震えた。それは決して、怖いからではなかった。
「騙したのね!?」
 これ以上はないというくらい、瞳に憎しみを込めて、リアの目を見据える。しかし彼女は、心を動かす素振りすら見せない。
「騙しただなんて人聞きの悪い。あんたが納得してついて来たんじゃない」
 指先の震えは、止まらない。
 悔しい。悔しくて、情けなかった。目先のことに惑わされて飛びついた自分の浅はかさも、こんな女を良い人だと思って信じた愚かさも、サリュートアまで巻き込んでしまった馬鹿さ加減も。
 けれども、アストリアーデに今出来る精一杯のことは、せめて泣かないように堪えることだけだった。

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