表白

 そうして三人は、セシリアと名乗った女と一緒に、馬車の乗り場まで向かうことになった。
「セシリアさんは、学者なのかな?」
 サリュートアが尋ねる。それは単なる興味というだけではなく、彼女の反応を見たいという意図も込められていた。
、その問いに、彼女は小さく首をかしげる。相変わらず帽子が大部分を覆っている顔は、明るい午後の陽射しの下でもよく見えない。
 それは眼鏡の奥に見えなかったナオの目を思い出させて、少し不安な気持ちにさせた。
「学者というわけではないですね。……趣味で覚えました。あの文書は、コレクターの方から譲ってもらったものなんです」
「どうして、ヨセミスフィアに行きたいの?」
 今度はアストリアーデが問いを発する。
「あの文書で名前を見かけて、気になってはいたんですけど、ずっと何なのかわからなかったんです。それで皆さんのお話を聞いて、場所なんだと知って、いてもたってもいられなくて」
 口調は出会った時とあまり変わらないが、彼女の声からは、少し興奮している様子も伝わって来た。
「……実は、あたしたちもよくわかってないの」
 アストリアーデが申し訳なさそうに言うと、彼女はふるふると首を振る。それは、風に揺られる案山子のようにも見えた。
「はい、それも聞こえました。でも、一人で探すよりはずっといいと思いましたし」
 彼女の佇まいには、リアやナオとは違い、『隙』のようなものがある気がする。
 サリュートアたちとて、何故サマルダを目指してきたのか、詳しい話はバートにもしていない。

 やがて馬車乗り場へと着き、四人で一緒の馬車に乗り込む。
 サリュートアとアストリアーデ、バートとセシリアが並び、向かい合って座った。
 そして、ごとごとと馬車は走り始める。
 窓の外に見える景色は、段々と見慣れないものへと変わっていった。この辺りの家は、白っぽい石を使って作られているものが多く、形もマイラの街とは趣が違っている。
 リアたちと馬車に乗った場所から、ずいぶんと遠くまで来たものだと、サリュートアは思う。
 このまま、平和に旅が続いてくれることを願うばかりだった。

 ◇ ◇ ◇

「ね? あたしがコーディネートしてあげる」
「いえ、私は本当にいいですから」
 服飾品店の中に、アストリアーデとセシリアの声が響く。
 馬車は夜に次の町に到着し、それから宿で一泊して、翌日のことである。
 服飾品店と看板は出ていたが、そういったものだけではなく、化粧品や食器、家具なども置かれていた。
 それなりに広い店だが、客の姿はあまりない。
 パーティーにでも行くのだろうかと思うような、やたらと派手な服を着た女店主は「いらっしゃいませ」と言ったきり接客する気がないのか、カウンターで何かを書くことに没頭している。
 その間にも、店の隅での二人の押し問答は続いていた。決着が中々つかないため、男二人はすっかり飽きて、展示品のソファーに腰掛けて寛いでいる。
 きっかけは、この店を見つけたアストリアーデが、入ってみたいと言ったことだった。
 少しの間、自分の服や化粧品などを見ていたのだが、そのうちに矛先がセシリアの方へと向かい、何故そんな服を着ているのか、ちょっと違った服を着てみるのも良いんじゃないかと言い出し、現在に至る。
「あの……じゃあ、ちょっと合わせてみるだけ」
 どこまで続くのかと思われたせめぎ合いは、セシリアが折れることで落ち着いたようだった。
「やった! じゃあ、早速試してみよう? 奥の部屋借りますね!」
「私、ここでいいんですけど……」
 戸惑うセシリアをよそに、気が変わらないうちにとアストリアーデは彼女の腕と数着の服を掴み、店の奥に見える、カーテンの掛かった部屋へと勝手に入っていく。
 店主はそちらを見もせずに「どうぞ」とだけいうと、また何かを書く作業へと戻っていった。
 カーテンの向こうから、主にアストリアーデの声と、時々セシリアのくぐもった声が聞こえてくる。
 男二人が、ソファーでうとうととし始めた時だった。
「へへ、どう? すっごくステキでしょ!」
 カーテンが開く音と共に、アストリアーデの得意気な声が彼らを揺すり起こす。
 二人とも驚き、中々言葉が出なかった。彼女の隣に恥ずかしそうに立っている女性と、自分たちの知っているセシリアの姿が、上手く結びつかなかったからだ。
 旅をすることを考え、パンツスタイルなのは変わらなかったが、今までの古ぼけた案山子を思わせるものとは全く印象が違い、手足がすらりと長く見える。
 帽子から見えていたぼさぼさの黒い髪もヘアピンを使って上手く纏められ、猫を連想させる赤銅色の瞳や小さな鼻、ふっくらとした唇を持った顔には化粧が施され、少女のようなあどけなさを残しながらも、大人の女性の魅力を携えていた。
 彼女は恥ずかしそうに、顔を俯かせている。
「うん、今までの格好よりずっといいよ。流石アストリアーデ」
 サリュートアが笑顔で言うと、アストリアーデは驚いたような顔をした。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない。……ありがと。バートさんは?」
「あ――い、いんじゃね?」
「ね? みんなもこう言ってるし、買っちゃおうよ」
「……でも、いいです」
 彼女の言葉は否定を示していたが、アストリアーデには何故か、落胆しているようにも聞こえた。
「何で? すごく似合ってるよ。バートさんも鼻の下伸ばしてるし」
「伸ばしてねぇ!」
 突然バートの声が大きくなったので、セシリアは驚いたように顔を上げたが、やがて、またその顔は伏せられる。
「あ……その、お金もないので」
「そっか」
 久しぶりにこうやって買い物に来て浮かれてしまい、そういった彼女の都合も全く聞いていなかったと、アストリアーデは反省する。
 それでも、先ほど感じた自分の感覚は間違っていない気がして、少し考えた後、バートの方へと目を向けた。
「えっとね、バートさん、買ってあげてよ。お願い!」
 そうして両の手のひらを合わせ、顔の前に掲げる。
 自分が買うことも出来るのだが、それだとセシリアが頷きづらい気がしたのだ。
「何で俺が」
「鼻の下」
「だから伸ばしてねぇ!」
 二人のやり取りを横で眺めていたサリュートアは、思わず笑みを零した。
 バートの方にも遠慮があるとはいえ、アストリアーデの方が、彼の扱いが上手いのかもしれない。
 いや、つられて以前のような元気さが顔を覗かせるようになっているのは、アストリアーデの方なのか。元々彼女の方が、人付き合いは得意だった。
「……ま、でもあの汚ねぇ格好のまま一緒に旅するっつーのもあれだから、買ってやるよ」
「やった! ありがとう!」
 そこで、また本人の気持ちを無視して話が進んでいたことに気づき、アストリアーデは隣に視線を戻す。
 セシリアは、迷うようにどこかを見ていたが、やがてふっと表情を緩めると、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「お前のそれも買うのか? ついでに買ってやるから貸せよ」
 アストリアーデは手に、太陽や星、花などがあしらわれた髪留めがいくつかセットになっているものを持っている。
「いいよ、あたしは自分で買うから」
「早く貸せって」
 彼女としては、買うのを迷っていたこともあったし、自分まで買ってもらうのは悪い気もしたのだが、バートがせっかくそう言ってくれているので、甘えさせてもらうことにした。
「うん。……ありがとう」
 セシリアはバートが会計をしている間も、自らの姿を嬉しそうに、鏡で何度も確認していた。

 ◇

 その後、皆で昼食を取り、街を少し散策してみることになった。
 ヨセミスフィアに関しての情報を少しでも探そうと、図書館や古書店を探したのだが、目ぼしいものは見つからない。
 サリュートアが今まで調べてきた情報の中に、その名前が全く出てこなかったことを考えると、もしかしたら、あの男が作った言葉なのではないだろうかという考えも頭をよぎった。
 しかし、そもそも自分が見てきた情報など微々たるものであろうし、もし、自分の理解出来ない言語で書かれていたならば、それが目に留まるはずもない。
 町の人にもそれとなく聞いてみたが、知らないか、見当外れの答えが返ってくるばかりだった。
 サマルダにも近づいているので、そちらのことも聞いてみるが、ごく普通の町だという情報しか得られない。
 日も大分傾いてきて、そろそろ宿へと向かおうとした時だった。
「おい」
「わかってる」
 小声で言ったバートに、サリュートアはそちらを見ないまま答える。
 ――誰かが、自分たちの後をつけている。
 アストリアーデも気づいたらしく、一瞬不安そうな表情をしたものの、騒いだりはしなかった。
 それまで、これから向かう宿について明るく話していた彼女の表情が曇ったのを見て、セシリアは不思議そうに首をかしげている。
 どう伝えたら良いものか迷った後、アストリアーデは後ろにいるサリュートアをちらと見ると、今までと同じ口調で「宿っていえば、この前サリュートアったらね」と言ってから、セシリアの耳元で小声で囁いた。
「普通のままにしてて。誰かにつけられてるみたいなの」
 すると、セシリアの表情がさっと蒼ざめ、彼女の足元がふらつき始めた。
「お、おい、何言ったんだよ?」
「そんな変なことは言ってないもんねー」
 こういう連携はお手の物である二人は、彼女のあまりのうろたえぶりに動揺しながらも、何とかフォローをし合う。
 誰かからつけられる経験などあまりするものではないが、それを伝えただけでここまでになるとは、正直予想はしていなかった。
「何だよ、俺にも教えろよな!」
 状況を察したバートも話を合わせ、セシリアに目配せをするが、彼女は虚ろな目でどこかを見て、苦悶の表情を浮かべている。
 やがて、弱々しい笑顔をこちらへと向けた。
「ごめんなさい。……気分が悪くて。先に宿に向かいます」
 そして、歩く足を速めたかと思うと、皆が止める間もなく、宿とは別の方角へと走り出す。
 それに反応するように、背後からはっきりと複数の足音が迫ってきた。
 つけられていたのは、セシリアだったのだ。
「セシリアさん!」
 アストリアーデが彼女を追って走り出す。サリュートアは先頭を走っていた男に咄嗟に足払いをかけた。派手に転んだ男に、周囲にも動揺が走る。
 その間にバートが何かを取り出し、男たちの方へと向かって撒いた。それはパン、パン、パンと弾ける音を出しながら、辺りに白い煙を撒き散らす。彼はサリュートアの手を引き、走り出した。
 アストリアーデたちの後を追う二人の背後からは、男たちの怒号と、煙に咳き込む声が聞こえて来る。
 角を曲がると、大通りとは違い、細い路地が入り組んでいた。もう既にセシリアはおろか、アストリアーデの姿も見えない。いつ男たちが追ってくるかもわからないから、大声で探すわけにもいかない。
 しかし、ぐずぐずしていれば追いつかれてしまう。
 二人とも、何かヒントになるものはないか、目を凝らして周囲を観察する。一か八か、バートが自らの勘にかけてみようかと思った時、サリュートアが声を上げた。
「バートさん、こっち!」
「マジか?」
「うん」
 バートはとにかくサリュートアを信じてみることに決め、彼の後ろについて走った。サリュートアは角で一旦止まってはきょろきょろとし、何かに手を伸ばしてまた走る。
 それを幾度続けただろうか。
 やがて視界が開け、遠くに山々が連なるのが見えるようになってきた。
「サリュートア、こっち!」
  小さく呼ぶ声がし、サリュートアは足を止めてそちらを見る。緑が広がる敷地内に立つ、白い石造りの納屋の扉の隙間から、揺れる金の髪が見えた。
 サリュートアはバートに手招きをすると、開いた扉から中へと滑り込む。
 二人とも入ったことを確認し、アストリアーデは扉を静かに閉めた。
「開いてたから、ちょっと借りちゃった」
「不法侵入だぞ」
 バートはそう言ったものの、彼自身それを気にしている様子はない。中に置かれていた木の箱の一つに、早々に腰を下ろした。
「はい。……ちょっと汚れちゃったけどね」
 サリュートアはそう言って、ポケットから取り出したものを妹に渡す。
「いいよ、役に立ったんだから」
「それ、さっき買った髪留めか。……なるほどな」
 アストリアーデが笑顔で受け取ったものを見て、バートが目を丸くした。
「アストリアーデがよく迷子になってた頃を思い出したよ」
 懐かしさに、サリュートアの顔も綻ぶ。
「サリュートアが小石に絵を描いてくれたんだよね。それを目印で置いておけば、迷わなくてすむって。最初は赤い花、次は白い犬、黄色い鳥……って決めて、それをたどって帰ったの。今でも部屋に置いてあるよ」
 髪留めが残っていれば、男たちに見つかる可能性も高くなるが、サリュートアが真っ先に見つけてくれると信じて、道へと置いて行った。
「ごめんなさい。皆さんにご迷惑を……」
 セシリアはそう言って、両手で顔を覆う。
「まず説明。泣き言はそれからだ」
 バートが彼にしては珍しく、鋭い声で言った。
 セシリアも驚いたように顔を上げたが、そのおかげで少し落ち着いたのか、先に別の箱に座っていたアストリアーデに促され、隣に腰を下ろす。
 そして一つ大きく呼吸をした。
「……私は、逃げ出して来たんです」
 彼女自身、何から話してよいのかわかりかねているようだった。何か言いかけては、また口を閉じる。
「どうして?」
 見かねたアストリアーデが、彼女に問いかけた。
 すると彼女は、急に寒さを感じたかのように、自らの腕を何度もさする。
「……殺されると思ったから」
 おずおずと発せられた物騒な言葉に、皆驚きの表情を浮かべて彼女を見た。
「どうして、そう思ったの?」
 アストリアーデがもう一度尋ねると、セシリアは唇を震わせながら搾り出すように言う。
「……父が死んだ後、私が財産を受け継ぐことになったからです。そしてその財産を狙う人たちが、私のことを殺そうと話しているのを、偶然耳にしてしまいました。父も……もしかしたら……」
「誰かに、そのことを話さなかったの?」
「話しました」
 彼女は唇を噛み、悲しげな表情を浮かべた。
「その人は、一緒に逃げようって言ってくれて。私たちは人目を盗むために、バラバラに出発して、近くにある湖のほとりで待ち合わせることになっていたんです」
 そこで言葉は、一旦途切れる。
「でも、そこで待っていても、その人は来なかった。代わりに来たのは、知らない男の人たちでした。その時になって初めて、自分が騙されたことに気づいたんです」
 彼女は、きつく目を閉じ、握った手で額を支えるようにすると、長い息を吐いた。
 詳しくは語らなかったが、その人物のことをとても信頼していたのだろうということが、皆にも伝わる。
「私が走り出すと、その人たちは追ってきて……もう逃げられないと思った時、足が滑って、体が湖の方へと転げ落ちました。私の体は途中の木に引っかかったんですが、石か何かが湖に落ちたようで、大きな水音がして……暗かったのもあって、私が湖に落ちたと思ったのか、男たちは帰って行きました」
 それから彼女は、必死で逃げたと語った。
 なるべく遠くへ、遠くへという一心で進み、途中で見つけた店で服や身の回りのものを色々買って、今までのものは処分し、長かった髪も自分で切り落とした。
 それから追手に遭遇することもなく、ようやくこれからのことを考える余裕が出てきた頃に入ったのが、あのレストランだった。
「そこであなたたちの話を耳にして、もしかしたら一緒に連れて行ってもらえるかもしれないって思いついたんです」
 彼女のことを良く知らない追っ手の目であれば、十分に欺けるだろう。
「ヨセミスフィアって書いてあるっていうのは、嘘なんだね?」
「……ごめんなさい」
 アストリアーデの言葉に、セシリアはうな垂れる。
「アイセフバックが使われているというのは本当で、あれは当時の書簡なんです。父が研究をしていたものですから……嘘をついて、皆さんを巻き込んで、本当にごめんなさい」
 久しぶりの、誰かと一緒に行動するという体験は、とても安心感があった。
 あの服飾店での一軒も、拒否し続けたら怪しまれるかもしれないと思い、顔を晒すことになったが、皆と一緒に歩いていれば、気づかれないかもしれないという淡い期待もあったし、いざとなれば自分だけが標的になれば良いと思っていた。皆が巻き込まれるかもしれないということまで、きちんと考えていなかった。
 どうせ三人だって、いざとなれば自分のことを見捨てるのだと、何処かで思っていたのかもしれない。
「大体そんな感じじゃないかなって、思ってたよ」
 彼女は、アストリアーデの声に引っ張られるように顔を上げる。
「だって、タイミングが良すぎるでしょ? あの変な字だって、あたしたちの誰も読めない」
「……そうですね。でも、皆さんは僅かな可能性にも賭けていた。私は、それを卑劣にも利用しました」
「違うよ」
 言葉と言葉がぶつかり、余韻を残して消える。アストリアーデは少しだけ首を振った。
「……ううん、何かわかるかもって思ったこともある。だけど、やっぱり一緒に行こうって決めたのは、セシリアさんと旅をしてみたいって思ったからだよ」
 セシリアの目は、驚いたように見開かれる。
「あたしね、バカだから何度も騙されてるの。そのせいですごく沢山の人に迷惑をかけて、だから、サリュートアも心配してくれてた。あたしだって、もう騙されるのなんてごめんだし、恐かった。だけどね、バートさんも言ってたでしょ? 『旅は道連れ』って」
 その瞳に向かって、アストリアーデは微笑んだ。
「あたしもセシリアさんと一緒に旅をしたら、楽しいんじゃないかなって思えたの。それなら、もし言ってることが嘘だったとしても、いいんじゃないかって。悪い人には見えなかったし。実際、そこは合ってたよね?」
「アストリアーデも少しは成長したよな」
 サリュートアが言葉を挟むと、彼女は口を尖らせて彼を睨んだが、堪えきれなくなったかのように吹き出した。
 しかしすぐに、その表情は陰りを見せる。
「それに、あたしが余計なことしなきゃ、見つからなかった。……ごめんなさい」
 頭を下げる彼女に、セシリアはゆっくりと首を振った。
「いいんです」
 それから、バートとサリュートアの方にも目を向ける。
「皆さんと一緒に旅をして、私も楽しかった。久しぶりに人と話して、一緒に食事やお買い物をして、お化粧したり素敵な服も着られて、本当に嬉しかった。……もう、こそこそするのも疲れちゃいましたから」
 言葉を噛みしめるようにそう言ってから、彼女は吹っ切れたように笑む。
「……だからいいんです、もう。これ以上、皆さんにご迷惑をかけることは出来ません。短い間でしたけど、ありがとうございました」
 そして、ゆっくりと立ち上がった。
 そう、セシリアも、三人といるのが楽しかった。だから少しでも、一緒にいたいと思ったのだ。
 けれどもそのせいで、面倒に巻きこんでしまった。
 自分の問題は、自分で決着をつけねばならない。
 立ち上がり、ドアへと向かおうとする彼女の手を、がっしりと掴むものがあった。
 バートの手だった。
「何言ってんだバカ!」
 彼は見るからに不愉快そうに顔をしかめ、セシリアを睨みつける。
「あのな、余計なことしたアストリアーデもバカだけど、どんな過去があろうが、きちんと話さなかったお前もバカなわけ。あ? 俺らを見くびんなよ? 金のことしか考えてねぇバカどもと一緒にすんなバカ! そんで私さえ犠牲になればとかいうお涙頂戴はもっとバカだっつーの、このバーカ!」
 声を潜めているとはいえ、激昂しているのが伝わってくる彼の台詞に、彼女の瞳は揺れる。
「バカって言い過ぎ。子供じゃないんだから」
「うっせぇバカ!」
 横から呆れたように言ったサリュートアにも、同じ言葉が降ってきた。
「でもまぁ、内容には大体同意かな」
「見捨てて行けるわけないでしょ!」
 アストリアーデもそう言ってセシリアの空いている方の手を握ると、戸惑っている彼女を促し、また座らせた。
「あの……でも」
「お前はどーなん? このまま一人で行きてーの? それとも俺たちと行くの?  ――はい、三つ数えるうちに決めちゃってください。いーち、にーい……」
「あ、あの、一緒にお願いします!」
 畳み掛けるようなバートの言葉に乗せられ、慌てて答えるセシリアに笑って、「はい決定。作戦会議な」と双子の方を向く。彼らも笑顔で頷いた。
「でも、どうやって乗り切ったらいいかなぁ……バートさん、何とかならないの?」
 アストリアーデが早速というように発言をする。彼は任事官なのだ。
「俺がさ、女子供を従えながら、通行証見せて『任事官様だ! 大人しくしやがれ!』っつって、大人しくする連中だと思うか?」
「そりゃ、そうだけど……上手く、他の任事官に協力を得られれば」
「んー、任事官にも、色々いるからな」
 フォローしたサリュートアへ返ってきた歯切れの悪い言葉に、彼はまたナオのことを思い出し、それ以上は聞けなくなってしまった。
「んっと、セシリア……は本当の名前じゃねーのか」
 バートが名前を口にしてから、そのことに思い至って言葉を切る。すると彼女は首を横に振った。
「……いえ、本名です」
「偽名じゃねぇのかよ!」
 彼女は、嘘をついて仲間にしてもらおうと思ったから、せめて名前くらいはと思ったらしい。
「姿もだが、名前も聞かれたかもな」
 変なところで義理堅いな、とバートは呟く。セシリアはすみません、と縮こまった。
「ま、いいや。とにかくお前ん家、金持ちなんだろ? ああいう奴らを雇うくれぇだから、ここらへんの任事官にも手回し……まてよ」
 ふと浮かんだ考えに、バートの言葉がまた止まった。
「まさかとは思うが……お前の名字、リーヒャエルドじゃねえよな?」
 顔を覗き込まれ、彼女はそれに耐えられなくなったように目を伏せる。
「……はい」
「ま――マジで!?」
「有名なの?」
 大げさとも言えるほどに驚くバートを見て、アストリアーデが目を瞬かせる。
 サリュートアは自らの記憶の中から、その名前を見つけ出していた。
「……確か、周囲の貴族が没落していく中、大商人へと見事な転身をしたんだっけ」
 アレスタンには王がいなくなり、そのため、貴族たちも急速な変化を求められた。その件には父と母も大きく関わっているのだが、流石にそれは口には出来ない。
 もしかしたら、両親ならば交流のある人物なのかもしれないが、二人とも仕事の話を一切家には持ち込まないし、仕事関係の客を家に呼ぶこともしないため、サリュートアたちは両親と個人的に親しい人たちとしか会ったことはなかった。
「ああ、一年くれぇ前に当主のフォルスタ・リーヒャエルドが死んで、一人娘が家を継ぐことになったって話だ」
「それが、セシリアさんなの!?」
 アストリアーデは思わず大きな声を上げそうになり、サリュートアに窘められる。その横で、バートは頭を抱えた。
「まずいぞこりゃ。リーヒャエルド家だったら、各地にかなりの影響力を持ってる。やっぱ俺たちだけで立ち向かうのは無謀だ」
 制度が変わったからといって、人と人との関係が即変わるわけではない。しかもリーヒャエルド家は商売でも成功を収めているのだから、影響力はさらに大きくなるだろう。
「んー、ならどうすっかなー」
 しかし、バートもそこで諦めたりはしない。腕組みをしてさらに考えを巡らせる。
「……ん? そっかそっか、まずは『任事官様だ!』もアリか」
 何かに思い至ったらしいバートの言葉を聞き、サリュートアも彼の言いたいことを理解する。
「……そうか、別に殺しに来たんじゃないってことだよね?」
「そうそう」
「どういうこと?」
 話を聞いていてもさっぱり理解出来なかったアストリアーデは、二人を交互に見る。セシリアも興味深そうに耳を傾けていた。
「さっき追ってきた男たちって、そこら辺のゴロツキって感じだっただろ? 結構簡単に撒けたみたいだし。もしセシリアさんを本気で殺そうと思うなら、もっとちゃんと動ける人を雇うんじゃないかな?」
 サリュートアが答えると、アストリアーデは顎に人差し指を当て、首をかしげた。
「うーん……でもさ、そんなプロみたいな人って、そんなに沢山はいないんじゃない?」
「だからさ、さっき追ってきた男たちは、セシリアさんを殺そうとしたわけじゃないんだよ。だって、ずっと現れない娘だよ? もしかしたら本当に湖で死んだのかもしれない。生きていたとしても、どこにいるのかもわからない。死体が見つからないのは変だけど、そのためにそんなに労力を割くかな?」
「首謀者はぜってーケチだからな」
 バートがそこで合いの手を入れる。
「だから、各地にこっそり通達を出す。もし見つけて連れ帰ってくれれば、幾ら出す……とかね」
「じゃあ、『探し人!』ってやればいいじゃん」
「大々的にやって、本当に穏便に帰って来ちゃったらどうする? 本来の当主が返り咲くんだよ。今まで以上に、周囲の注目も集まることになるし」
「そっか。……でもさ、そしたらさっき見つかっちゃったじゃん? 仲間に知らせて、大人数で探されたら逃げられないんじゃない?」
「多分、喋らないんじゃないかな。少なくとも、しばらくの間は」
「何で?」
「そりゃ、みんなに知れ渡っちまったら、取り分が減るだろ?」
 バートがそう言って笑う。
「ま、憶測に過ぎねえけどな。でもな、相手の居場所がわかってんならともかく、プロでもない奴らを雇うのって、リスクが高すぎるぜ? あとで強請られるかもしんねぇし。人探しって名目なら、いくらでも言い訳出来るからな。んで、こっそり連れ帰ってから……」
「セシリアさん家の影響力がそんなにすごいんだったら、協力してくれる人もいるんじゃないかな?」
 話が嫌な方向に行きそうだったので、アストリアーデは急いで割って入る。
「家の影響力もあるかもしれないけど、セシリアさんのお父さんのことが好きな人だっているはずでしょ? そういう人だったら、乗っ取りみたいにされるのだって良く思ってないだろうし」
 その意見を聞き、セシリアは何かを思い出したかのようにバッグの中を探し始めた。
 皆が見守る中、やがて古い手帳が現れる。
「父の手帳です」
 セシリアはそれを、明り取りの窓から漏れてくる西日に当てながら捲った。
「父は、自分には各地に友達がいるんだって自慢してました。その割に全然会わせてくれないと言ったら、縁があれば会うんじゃないかって笑ってましたけど」
 やがてこの地方にある町の名が見えたので、そこから一つ一つ、住所を確認していく。
 そして、その指先が止まった。
「この人の住所……ここの近くだわ」
「本当!? じゃあ、その人に会いに行ってみない? 助けてくれるかもしれないし」
 ほっとしたように言うアストリアーデに、セシリアは目を伏せる。
「でも、私は全く知らない人ですし、本当に信じられるかどうか……」
「このまま逃げたってダメなら、行くしかないんじゃない?」
「お前、肝据わってんなー。やっぱ兄妹だな。……ま、俺も行ってみてもいいんじゃないかと思うぜ。お前の親父が会わせてくれなかったのも、その友達っつーのが、切り札だからなんじゃねーの? 娘をいざっつー時に助けてくれるさ」
 バートの賛同を得て、アストリアーデの声に明るさが増して来た。
「そっか、会ったことがあったら、そこに逃げたかもって思われちゃうもんね! その人たちのこと、悪い人たちは知ってるのかな?」
「それは、わかりません。……でも、この手帳は、父が生前にくれた本の中に混じっていたんです。父が亡くなってからそれをぼんやり見ていて、気づいたんですけど」
 セシリアは、弱っていく手帳の上の光を眺めながら考える。
 本当に、バートの言うような理由なのだろうか。
 だとしたら父は、こういう状況になることを予測していたということなのか。
「俺も、闇雲に逃げ回るよりはずっといいんじゃないかと思う。セシリアさんが生きてこの町にいるっていうこともわかっちゃったしね」
 黙ってしまったセシリアを見て、サリュートアも言う。
 自分たちはこの町のことを何も知らない。町の外へと出る前に、捕まる可能性も高い。もし先ほどの男たちだけでは済まなかった場合を考えると、協力してもらえるのはありがたいと思った。
 皆に見守られ、やがてセシリアは大きく息を吐く。
「……そうですね。行ってみましょう」
 そうして作戦会議は終わりを告げた。
 四人は、訪れた夜の中へと飛び込んで行く。

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