友人

「イサ通り……あっちですね」
 セシリアの囁くような声に皆頷き、急いで、けれども出来るだけ静かに歩みを進める。
 駆け出したい気持ちはあったが、そんなことをすれば明らかに怪しくなってしまう。
 街灯の明かりがぼんやりと照らし始めた街には、まだそれなりに出歩いている人の姿もある。普通にしていたほうが、気づかれにくいはずだ。
「次の角を右です」
 再びセシリアが小さく言う。
 彼女が初めて訪れたこの町で、すぐに目的の場所を察することが出来たのは、初めての土地へと来たら真っ先に目立つ建物や通りの名前を覚え、全体を把握する癖がついていたことが大きい。もちろんそれは、追っ手から逃げることを考え、身に着けた術だった。
 咄嗟に変装ということは出来なかったが、それぞれ服の着方を変えたり、髪留めなどの小道具を使って、出来るだけ印象を変えるようにもしていた。
 緊張の中、歩みを進めていると、突然笑い声が聞こえ、皆ぴくりと体を動かす。
 しかし前から歩いてきた男女は、こちらになど全く興味はないようで、楽しそうに話をしながら通り過ぎて行った。
 日が落ちてから時間が経つにつれ、段々と闇は濃くなって行き、歩く人々の姿が明かりの下にふっと現れてはまた消えていくように見える。その度にどきりとはしたが、平静を装いながら進んだ。
 やがて道は十字路となり、四人は右へと曲がる。その先は今までよりも狭く、建物に囲まれた道が前へと伸びていた。
 大通りとは違い、人の声や足音は聞こえてこない。街灯は灯っていたが、数が少なく、夜に営業している店もないようで、明かりが映っている窓もまばらだった。
 皆の足取りも自然と速くなる。目的の人物の家は郊外にあるため、街を抜けてしまえば追っ手も撒きやすくなるかもしれないという思いもあった。
 石畳の上に打ち付けられる靴の音が、ばらばらと広がって周囲にこだまし、次第に大きくなる誰かの息遣いが耳に届く。
「走れ!」
 言ったのはバートで、その時にはすでに全員が走り出していた。
 この道は獲物を追い込みやすい場所とも言える。予感はしていたが、それが本当になってしまいそうで誰も口には出せなかった。
 背後に聞こえる足音は、その大きさを増している。
「止まれ!」
 前方から低い声が飛んでくる。そう言われても、もちろん止まるつもりなどない。
 しかし、待ち構える男が掲げた通行証を見て、一瞬の迷いの後、バートは他の三人に手で合図をし、自らも立ち止まった。すぐ近く、そしてやや離れた場所から、複数の荒い息遣いが聞こえてくる。
 男が持っていたのは、任事官の通行証だった。明かりを反射して光る金色の模様は本物のようだ。
 彼は迷ったが、隠していれば余計に面倒なことになるだけだと判断し、自らも通行証を取り出して見せる。
「あー、アレスタン第二地区遊動班所属、バート・レイトンっす。任務なんで通してください」
「任務とは、どのようなことだね?」
 男はその場所から動かずに言った。こちらを警戒しているのかもしれない。
 頭に布を巻きつけ、口もとまでマフラーで覆っている姿は、隠密行動の最中のようにも見えた。
「そちらは? 名くらい名乗ってもいいと思いますけど」
 バートが腕組みをして聞き返すと、男は少しの間を置いてから答える。
「……第四地区保安班、バーガンディーだ」
「詳しくは言えないっすけど、護衛です」
 バーガンディーと名乗った男は眉をひそめた。それはバートの態度のせいなのか、それともその他の理由なのかはわからない。
 担当地区を越えて仕事をする遊動班は邪魔者として扱われることも多く、よく「遊び班」などと揶揄もされている。
「……つーことで、失礼」
「レイトン任事官補佐」
 皆を促し、そのまま進もうとしたバートを、バーガンディーが呼び止めた。
 通行証を見れば、ある程度の役職はわかるようになっている。補佐、の部分を強調して言ったのは、自らの立場の方が上だと示したかったからかもしれない。
「彼女をこちらへと渡しなさい。私が保護し、安全に送り届けることを約束しよう」
 バートは男をじっと見る。
 彼が何も知らずに任務として遂行しているのか、それとも知っていてセシリアを連れて行こうとしているのか、判別は出来ない。けれども、この場で引き渡すことは出来ないと感じた。
「さっきのまだある?」
 サリュートアが、バートの背後から小声で素早く問う。それが何を示すのかは彼にもすぐにわかった。
 一瞬の迷いは生まれたが、前を見たままポケットから幾つかの小さな玉を取り出し、そっと渡す。
「何をした?」
 バーガンディーのいぶかしむ声がきっかけとなり、包囲がじりじりと狭まっていく。
 サリュートアは受け取った小玉を、近くに立っていた三階建ての建物の、細く開いていた窓の中へと投げ込んだ。
 何回か破裂音が響き、その後すぐに窓から煙が立ち上り始める。建物の中から、大きな悲鳴が上がった。
 仲間も含め、うろたえる周囲を尻目に、サリュートアは大きく息を吸い、夜の街へと思い切り声を放つ。
「火事だー!」
 ざわめきはさらに大きくなり、その場だけではなく、寝静まった街が刺激され、起き出したかのようだった。
 アストリアーデもすぐにそれに加わる。
「大変! 火事だよ火事! みんな逃げて!」
 我に返ったバーガンディーが号令をかけるが、一歩遅かった。
「火事だって!?」
「煙が! 助けてくれ!」
 建物から、パニックに陥った人々が飛び出してくる。
 火事と聞きつけ、他の家からも人影が続々と現れ、大通りの方からも騒ぐ声が聞こえ始めた。
「火事だって! ゼノアさんとこだよ!」
「皆さん、落ち着いてください! 何でもありません!」
「何言ってんだ! あんなに煙が出てるじゃねーか!」
 実際に煙が出ている以上、バーガンディーの言葉に説得力はない。
「まさか、あんたが火をつけたんじゃないでしょうね!?」
「何を言っているんですか!? 私は任事官――」
「そんな盗賊みてぇな格好の任事官がいるかよ!」
「おい、誰か水持って来い!」
 人々の憶測や叫びで、その場の混乱はさらに増すが、これがずっと続いてくれるわけではない。
 アストリアーデは隣で立ちすくんでいたセシリアの手を取り、強く引く。彼女の足も魔法が解けたかのように動き出した。
 そして二人は体を屈ませながら、もみ合う人々の間をすり抜けて行く。
 ちらりと後ろを振り返ると、どこにあれだけの人が居たのだろうと思うくらいの人だかりが出来ていて、彼女たちが離脱したことにはまだ気づかれていないようだった。
「あのっ、お二人が!」
「サリュートアたちなら絶対大丈夫。今は逃げなきゃ!」
 そう言ってアストリアーデは走る足に力を込める。セシリアも一旦緩みかけた足取りを出来る限り速めた。
 喧騒は次第に遠ざかり、夜の息遣いがまた、二人を包み込む。

 ◇

「ここまでくれば大丈夫かな」
 街の明かりが遠くなり、足の裏を土が押し返してくる。街の騒ぎが聞こえなくなった代わりに、虫の声が大きくなった。
 立ち止まり、振り返っても誰の姿も見えず、足音も聞こえない。
「……あの」
 セシリアが何を言いたいのかすぐにわかったので、アストリアーデは努めて明るい口調で答える。
「二人なら、絶対大丈夫だって! 場所も知ってるし。今あたしたちが下手に様子を見に行って捕まっちゃうのが、一番しちゃいけないことだと思う」
「そうですね。……ごめんなさい」
 アストリアーデとて、不安がないわけではない。
 自分で言った大丈夫という言葉をひたすら心の中で繰り返しながら、心の奥底から這い上がってこようとする暗いものを必死で追い払っている。
 それから二人は、また歩き出した。
 空には月や星が見えるが、やはり街灯のない夜道は暗い。でもランタンを使うわけにもいかないので、夜目が利くアストリアーデが前に立ち、何か気づいたことがあれば報告しながら進んでいく。
 やがて、少し高台になったところに、ぽつりと明かりが見えてきた。その光は、ほっと胸の中をも暖めてくれるかのようだった。
 二人はそちらへと向かって急ぐ。

 ◇

 門の前にたどり着いても、誰の姿も見えなかった。
「まだ、来てないみたいだね」
 アストリアーデは、まるでただの待ち合わせをしているかのような口調で言ってみたが、それでも気分は沈んでしまう。
 セシリアも何か言おうと、口を開きかけた時だった。
「よっ、遅かったな」
 突然横からした声に、喉元まで出かかった悲鳴を、二人はぐっと堪える。
 茂みの中から出てきたのは、バートだった。続いてサリュートアも這い出してくる。
「驚かすなんてひどいよ! 心配してたのに!」
 気持ちが落ち着いてくると、アストリアーデの口からはつい、そんな言葉が出ていた。
「いや、別に驚かせたかった訳じゃなくて、誰かに見つかったら困るから隠れてただけなんだけど」
 興奮で声が大きくなりそうな彼女に、しっ、と指先で合図をしてサリュートアが言う。彼女は「そっか」と、ようやくほっと緊張を緩めた。
「んじゃ、早いとこ乗り込もうぜ!」
 そのまま色々と話し込みたい気持ちではあったが、バートの一言で、今の状況へと意識が引き戻される。
 鉄扉は押せば開いたため、そのまま中へと入らせてもらった。
 良く手入れされ、石畳が敷いてある庭は、外とは違ってとても歩きやすい。それでも暗がりではあるし、でこぼこもしているので、少し慎重に歩みを進めた。
 やがて大きなドアの前へとたどり着く。セシリアは緊張をほぐすように何度か息をした。
 そして、ドアベルの取っ手に手を伸ばして引く。少し離れた場所で、軽やかなベルの音が鳴るのが聞こえた。
 しばらく経っても返答はない。
 先ほど見えた明かりは、この位置からは見えなかった。寝ていてもおかしくない時間ではあるし、突然の来客に警戒されているのかもしれない。
 もう一度ベルを鳴らすかどうか迷い、セシリアが振り返って皆の顔を見た時、ドアがゆっくりと開いた。
 慌てて彼女は体を戻し、隙間から漏れ出た黄金色の光に目を細めながら、ぎこちなく礼をする。三人もそれに倣った。
「こ、こんばんは。夜分に申し訳ありません。スウォルト・ナシェビルさんでしょうか?」
 ランプの光には年老いた男が照らし出され、その眼差しをじっとこちらへと向けている。
「そうだが、どちら様かな?」
「あの……フォルスタの娘のセシリアと申します」
 次に何を言えば良いのか、言葉が中々見つからない。
 男の目に見つめられ、視線を逸らしたくなるのをこらえながら引きつった笑みを浮かべる。
「そちらは?」
 男は、今度は後ろにいた三人へと目を向けて言った。
「ええと、その……お友達です」
 セシリアはそう言ってから後悔をした。
 こんな時間に明かりすら持たず、初対面の人物のところへ友人を三人も引き連れてくる者などいないだろう。
 サリュートアも何とかフォローできないものかと考えたが、言い訳を重ねれば余計に怪しくなるし、かといって本当のことをいきなり言っても良いものかわからない。
「……水車小屋のある風景」
 気まずい雰囲気が漂う中、男が突然、そんな言葉をぽつりと発した。
「妖精のダンス」
 セシリアは驚いたように目を見開いて言う。
「ああ」
 すると男の表情は、柔らかな笑みへと変わった。
「良く来たね。入りなさい」
「は、はい……お邪魔します」
 彼に手招きをされ、セシリアは再び頭を下げてから、ゆっくりと家の中へ足を踏み入れる。
 彼女以外の三人は、訳がわからないという顔をしながらも、その後に続いた。
「待たせてすまなかったね。手伝いの者も、時々しか来てもらわないものでね」
 そうして、廊下を少し進んだ先にあった部屋へと通される。
 そこにあるランプにも火が灯され、部屋がずいぶんと明るくなった。落ち着いた風合いのソファーやテーブル、高価そうな茶器の並べられた棚が光に照らされ、揺れている。
「少し待っていてくれ。茶でも淹れてこよう」
「あの、お構いなく!」
 慌てて言ったセシリアに、男はにっこりと笑う。
「私も飲みたいのでね。それに、何か話すこともあるのだろう?」
「は、はい……せめて、何かお手伝いを」
「君は客なのだから、座っていなさい」
「はい……恐れ入ります」
 男は頷くと、入って来たのとは反対側にあるドアから出て行った。
 四人はソファーへと腰かけ、ほっと息をつく。アストリアーデは少し声を控えめにしながら言った。
「でも良かった! 二人とも無事で」
「ったりめーだろ。お前がセシリアと一緒に逃げてくれたおかげで、こっちも助かったぜ」
 バートはそう言ってぐっと親指を立てた。
「私も、ほっとしました。お二人は、どうやってあそこから逃げてきたんですか?」
「ああ、『宿にまだ人が残ってるぞー』って声がしたから、よし助けっべ! みてーな感じで中入って、そのまま裏から出て逃げてきた」
 セシリアの方へと答えたバートに、アストリアーデも尋ねる。
「中に残った人は、大丈夫なの?」
「ダイジョブダイジョブ、あれ、別に燃えるわけでもねーし、くせー煙が出るだけだし」
「あれって、任事官の道具なのかな?」
 サリュートアも思い浮かんだことを聞いてみた。滅多に使われないのかもしれないが、見たことも聞いたこともない。
「いや、前に知り合った、自称発明家のおっさんに貰った」
「あれ、普段は使い道なさそうだよね。周囲の迷惑になるし。どっちかというと悪役の道具かもね」
 アストリアーデの言葉に、バートは笑う。
「すっげー役立ったのに、ひでー言われようだな!」
 つられて起こった笑いが収まると、セシリアがぽつりと言った。
「でも、逃げてきて良かったんでしょうか。あの人、任事官だったのに。皆さんまで悪人にされてしまうかもしれません。……本当にごめんなさい」
 小さく発せられたセシリアの声は、さらに尻すぼみに小さくなって行く。
「そうやっていちいち謝んなよ」
 バートは少し苛ついたように言い、でも、と付け加える。
「もしあいつが味方だったら、一緒に行った方が良かったのかもしんねぇ。そしたら謝んのはこっちの方だ」
「そんなこと――」
「それはないよ」
 アストリアーデが二人の会話に力強く割り込む。
「あの人にセシリアさんを渡しちゃダメだった。みんな絶対正しかったって!」
「は、はい。そうです。私も、そんなこと望んでませんし」
 断言するアストリアーデを見て何度も頷き、セシリアも珍しく力のこもった言い方をする。そんな二人に勇気付けられたのか、バートは「そだな」と軽く言って笑顔を見せた。
 騒ぎを大きくした張本人のサリュートアは、発言するタイミングを掴めずに思わず苦笑いを浮かべる。
 救われた気分なのは、彼も同じだった。バートはいつも軽口を叩いてはいるが、自分が責任者だという思いがあるのだろう。
 その時、ノックの音がしたので、皆一斉に口をつぐんでそちらを見た。
 ドアが開き、ポットとカップを乗せた木のワゴンを押して、男が入ってくる。セシリアは立ち上がり、ワゴンを移動させるのを手伝った。
 男は礼を言うと、テーブルの上にカップを並べ、ポットから茶を注ぎ入れる。柔らかく湯気が立ち、少し甘みのある爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「さぁ、どうぞ」
 男もソファーへと腰掛け、そういって手のひらでテーブルを指し示す。だが、今までの経緯を考えると、すぐには手を出し辛い。
 躊躇いを見せる一同に、男はまず自らがカップに口をつけ、そして微笑んだ。
「妙なものは入っていないから、安心していい」
「あ、あの……すみません」
 頭を下げるセシリアに、男は小さく首を振った。
「謝らなくていい。大変な思いをしたのだろうね。……改めて、私はスウォルト、フォルスタの友人だ。セシリア、まず何があったか話して貰えないだろうか」
 セシリアは仲間たちを見る。話すことに異論を唱える者はいなかった。
「……はい」
 そして彼女は、彼女の父が死んでから、今までに起こったことを話し始める。
 スウォルトも、他の皆も口を挟むことなく、ただ彼女が話すことを聞いていた。
 内容があのレストランの部分へと差し掛かってからは、主にサリュートアが時々補足をする。
 そうして話を聞き終えると、スウォルトは少し考えるように時間を置いてから口を開いた。
「まず、葬儀にも行けずに、申し訳ない。ここから祈らせてはもらったが」
「いえ」
 セシリアはそう言って小さく首を振る。
「……父は、本当に病死だったのでしょうか」
 少し目を伏せた彼女の問いかけに、返答はない。
 顔を上げてそちらを見ると、スウォルトは何かを考えるように視線を動かしていた。
「実は私も今、それを調べている。……いざとなれば、君にも力を貸して貰いたい」
 やがて発せられた言葉を聞き、セシリアは目を見開く。
「ええ――はい、もちろんです!」
「だが、もう少し時間が必要だ。それまで辛いだろうが、耐えてはくれないだろうか」
「はい」
 セシリアは頷き、そして笑顔を見せた。
「大丈夫です。今は、一人ではないですから」
「それは良かった」
 スウォルトは三人を見る。皆、何となく照れ臭くなり、視線を逸らしたり、茶を飲んだりした。
 その様子がおかしかったのか、彼は愉快そうに笑ってから言う。
「すまないね。せっかく来てもらったのに、こちらの話ばかりで」
「いや、いいっすよ、別に。俺たちはオマケみたいなもんすから」
 バートがそう答え、また一口茶を飲んだ。
 アストリアーデは、ふと思い浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「そういえば、さっきのは何だったの? 水車とか妖精とか」
「あれは、私が小さい頃に父と決めた合言葉で、それぞれの部屋に飾ってあった絵のタイトルなんです。父の部屋には『水車小屋のある風景』、私の部屋には『妖精のダンス』。部屋をノックしても、合言葉を言わないと部屋に入れてあげないって決めて」
 そう言って、懐かしそうな表情をセシリアは浮かべる。
 スウォルトもまた、笑顔を見せた。
「あいつは、娘の合言葉の言い方がとても可愛いんだと何度も言ってたよ」
「……ひどい。秘密の合言葉を簡単にばらすなんて」
 そうして微笑んだ彼女の目からは、いつの間にか涙が零れていた。
 それはとめどなく流れ始め、口からは嗚咽が漏れ始める。
 今まで泣くことすら出来ずに、ずっとここまできたのだろう。
 隣にいたバートが背中に優しく手を置くと、彼女は彼にしがみつき、堪えきれなくなったように声を上げて泣き始めた。
 しばらくの間、セシリアの泣き声だけが部屋へと響く。
 彼女がひとしきり泣き、落ち着くのを待ってスウォルトは言った。
「いずれ、ここにいることもばれるだろう。早いうちに移動した方がいい」
「でも、どうやったら見つからないように逃げられるかな?」
 少し不安げな表情で言ったアストリアーデに、スウォルトは頷きを返す。
「皆、支度をして私についてきなさい」
 そうして彼はランプを持ち、足早に部屋を出た。四人は急いで荷物を持って後に続く。
 黄金色の光に導かれながら廊下を進み、幾度か角を曲がり、そこから一番奥の扉をくぐると、そこは書斎のようになっていた。
 スウォルトはそのまま、部屋の壁にあった大きな本棚の前まで歩みを進める。
 そしておもむろに、中の本を取り出して床へと置き始めた。
「すまないが君たち、手伝ってくれないか」
 彼に言われ、皆も本棚へと近づくと、分厚い本を取り出し、床へと移動させていく。
「よし」
 彼はすっかり空になった本棚を満足そうに見てから、本棚の中の仕切りを手に持ち、足を踏ん張って横へと引いた。
 すると、がらがらという音と共に、本棚が移動する。
 それから露わになった壁を手で探る。何かが外れるような音と共に、一部が四角く盛り上がった。
 彼はその側面にある溝に指を滑り込ませ、手前に引く。
「隠し扉!?」
 それが扉のようになって開くのを見て、アストリアーデが声を上げた。
 ぽっかりと空いた穴のように、向こう側は暗い。少し黴臭い空気がひゅうと届く。
「抜け道だよ。この家が建てられた当初、何かあった時のために作られたようだ。私は幸いにも、今まで使わずに来られたがね」
「これって、どこまで続いてるのかな?」
「この先にある森の中まで続いているようだね。最初は狭いが、しばらくすると随分と広く、快適になるようだ」
 スウォルトの返答に、彼女は首をかしげる。
「どうして使ったことがないのに、中まで知ってるの?」
「フォルスタが良く使っていたからね」
 そう言って彼は、懐かしそうに微笑んだ。
「こっそり出て行けるからと面白がっていたな。来る時も使いたいと言っていたが、それはやめてくれとお断りしたよ」
 それを聞いてセシリアも、「父らしいですね」と笑う。泣いたことで色々なものが流れ出たように、彼女はすっきりとした表情をしていた。
「スウォルトさんは、ヨセミスフィアって知らない?」
 アストリアーデはふと思い立ち、そう聞いてみる
 彼は目を瞬かせ、それから少し思いを巡らせてたが、やがてこう口にした。
「さぁ、聞いた事がないね」
「そう」
 駄目で元々という気持ちで聞いてはみたのだが、想定していた答えであっても、やはり残念な気持ちにはなる。
「あっ、何でもないの。ちょっと探し物をしてるだけだから」
 彼が少し申し訳なさそうな顔をしたので、アストリアーデはそう言って手をひらひらとさせた。
「そうか。見つかるといいね」
 その穏やかな笑顔は、どこかジェイムを思わせて、何だか胸が温かくなるような、少し締め付けられるような気分がする。
「君たちのおかげで、次に取るべき行動がわかったよ。ありがとう」
 彼はバートの方にも目を向けて言った。
「セシリア君を頼む」
「ああ、じーさんも元気でな」
「ありがとうございました。……私たちのことも、それから、父とも仲良くしてくださって」
 体を屈め、扉の中へと進む皆に続きながら、別れを惜しむようにセシリアは振り向き、スウォルトへと言う。
「礼を言うのはこちらの方だ。私は君のお父さんから、沢山のものを与えてもらったよ。……元気でまた会おう」
 そうして扉は閉じて行き、彼の穏やかな顔は、ゆっくりと見えなくなって行った。

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