活路

 暗く細い道を、四人は進む。
 通路の中は這って進まねばならないというほどではなかったが、この中では一番背の低いアストリアーデでも、少し体を屈めないと頭をぶつけてしまうくらいの高さしかない。バートは特に動きづらそうだった。
 しばらく皆、無言で歩いた。ランタンの明かりに照らされたトンネルは、しっかりと固められ、崩れてくるような心配はなさそうだったが、圧迫感があり、息苦しく感じる。呼吸の音が耳元で響いて聞こえ、それが余計に気持ちを落ち着かなくさせた。
 スウォルトの話からすれば、それほどの危険はなさそうな道ではあったが、やはりまだ気楽に話をするような気分には誰もなれず、足取りも自ずと慎重なものとなる。
 後ろを振り返っても、閉じられた扉があった場所は、もうわからなくなっていた。
 先の見通せない道は右へ、左へとゆるやかにうねりながら続き、それぞれ一歩、また一歩と足を動かしながら、出口が見えるのを待つ。
「明かりが見える」
 先頭にいるサリュートアが最初にそれに気づき、小声で言った。その声は本人が意図したよりも大きく聞こえ、少しどきりとする。
 程なくして、他の三人にも、その明かりが認識できるようになった。
 出口かと思いかけ、今はまだ夜なのだということを思い出す。日の光のように煌びやかでもなく、ランプや松明の灯とも違う印象の光だった。明るいのだが、目が痛むような強さはあまり感じられない。
 前へと進むたびに、その光は周囲の壁へと広がり、その表面を鮮明に見せていく。
 向こう側には、今の場所とは明らかに材質の違う壁が見えた。
 サリュートアは道の端から少しだけ顔を出し、その先を見る。左側はすぐに行き止まりで、右側には道が長く続いていた。これがスウォルトの言っていた『広く快適な道』だろう。
 彼はまず自らがそちらへと出た。ずっと壁が広く、天井が高くなり、体が楽になる。
 しばらく様子を見たが、特に問題はなさそうなので、皆に手招きをする。この場所から見れば、今まで通ってきた道は、横穴といった雰囲気だった。
 その穴からアストリアーデ、セシリア、そして最後にバートが出てきて、サリュートアがしたのと同じように、周囲を眺める。
「あ……広いね」
 アストリアーデが明るい道を眺め、自分の声の大きさを確認するようにしてから言う。
 先ほどの道よりも声は響かず、部屋の中で会話をするような感覚がある。
「あー、狭いし息苦しいし、もう通りたくねー」
 後ろでは、バートが愚痴をこぼしながら体をほぐすように動かしていた。
 先ほどの狭い道はでこぼことしていて歩きにくかったが、ここは整備された道のように滑らかで真っ直ぐだ。
「古い水路……でしょうか」
 セシリアが首をめぐらせて言った。
「ずいぶんと明るいわ」
 天井が灯し、周囲を照らす光は、明らかにランプなどの生むものとは違う。角張った道の隅までしっかりと届き、長く続く先のほうまで明るくなっている。
「旧時代の名残だろうな」
 バートが体を動かすのを止めて言う。彼のアジトもそうだった。
「旧時代……へぇ、こういうの初めて見ました」
 興味深そうに壁や天井へと視線を行き来させる彼女を見て、アストリアーデが疑問を口にする。
「セシリアさんの家、お金持ちなんでしょ? こういうのなかったの?」
「お金持ちと言っても、何でもあるわけではないですからね」
 それを聞き、セシリアはくすくすと笑った。
「父は旅の最中に何度か見たことがあるみたいでした。ああいうのは『遺産』だから、と言ってましたよ。どこにでもあるわけではないし、仮に持ってきたとしても使えないからと。……ああ、ここもその一つなんですね。道理で何度も通りたがるはずだわ」
 そうしてまた、少し寂しげな表情をする。
 父との思い出が、彼女の中を巡っているのかもしれない。
「皆さんは、見たことがあるんですね」
「ああ、俺が居たアジトもこんな感じだったからな。こいつらも……ま、たまたまその『遺産』とやらに巡り合ったってわけで」
 バートがそういう言い方をしたのは、アストリアーデの気持ちを気遣ってのことだったかもしれない。
 だが、アジトやウィリスの家に行くまでもなく、二人の住んでいる家がすでにそうだったということを、バートは知る由もない。
「とにかく、行こうぜ」
 彼の言葉が合図となり、四人の足は継ぎ目のない道の上を進み始める。石畳の上を歩く時よりもずっと軽やかな足音が、周囲へと響いた。
 壁にも天井にも特徴や起伏もなく、しばらく歩くことを続けていると、同じ場所をずっと歩いているのではないかという気分になってくる。
「どこまで続いてるのかな」
 何となく黙っているのが耐えられなくなり、そう呟いたアストリアーデにサリュートアは答えた。
「近くの森って言ってたけど……」
 それで思い出したかのように、セシリアがバッグの口を開け、中から地図を取り出す。
「ええと……ここ、でしょうか」
 彼女が指差したのは、先ほどの町の北西方向にある森だった。
 東側にも森はあるが、それだとどちらかというと町の中心部に近づいてしまう。昔と町の様相は変わっているかもしれないが、それだったらわざわざスウォルトがこの道を使わせることは考えにくい。
 いつの間にか、サマルダまであと少しというところまで来ていた。
 そこへ行けば何があるのか、未だに何もわからない。最初にあった漠然とした目的にも、サリュートアは今はあまり価値を見出せなかった。
 でもその代わり、妹のために力になってやりたいという思いが強くあったから、旅をやめようという気持ちは湧いてはこない。
 それよりもまず今は、追っ手から逃げ切ることが先決だ。
 気がつけばまた、皆黙々と歩みを進めていた。
 やがて、繰り返されているように思えた景色も、終わりが見えてくる。
「階段だわ」
 真っ直ぐだった道の左手側の一部が行き止まりとなり、それ以外は階段となっていた。
 壁の左端に窪みがあるのを見つけ、バートはそこを手で探ってみる。
 だが、何も起こる気配がない。
「んー……ここ、何かありそうなんだけどな。壊れてんのか?」
 彼はしばらくそうしていたが、やがて諦めたように肩をすくめ、振り返った。
「ま、いっか。行こうぜ」
 そして彼は皆の返事を待たず、階段に足をかけて上り始める。アストリアーデとセシリアも、後に続いた。
 サリュートアは振り返り、一応確認をした。誰の姿も、また物音も聞こえなかったので、彼も階段を上り始める。
 長い階段の先はまた行き止まりになっていて、馬車の車輪のようなものがついていた。
 バートは頭上のそれに手を伸ばし、押しても引いても動かないことがわかると、今度は時計回りに回してみる。
 すると少しの抵抗を感じさせながらゆっくりと回り始め、やがてかちり、という音とともに天井の一部が少し浮き上がって窪んだ。
 そのまま手で押すと、上に向かって動く。彼は慎重に力をかけて行き、生まれた隙間から外を覗いた。通路内から漏れる明かりに周囲が照らされ、湿った地面や草が光を発する。土と緑のにおいも漂ってきた。
 注意深く目と耳を凝らしてみるが、特に妙な動きをするものや、音は聞こえない。
 バートは扉をぐっと押し上げ、まず自らが表へと出た。
 もう一度周囲に注意を向けてから、皆に合図をする。先頭のアストリアーデはほっと息をついてから地面の上へと這い出し、セシリアも続いて表へと出た。最後尾のサリュートアは、また中を確認してから扉を閉める。
 通路から漏れる光がなくなると、周囲は一気に暗さを増した。空気も冷えていて、少し肌寒く感じるほどだ。
 鳥の囀る声が聞こえたから、朝が近づいているようだった。
「まずはちょびっと移動するぞ」
 バートがそう言って周囲を見回す。
 スウォルトにその気がなかったとしても、もし彼の家が調べられたとしたら、あの抜け道も見つかってしまうかもしれない。
 そうなった時のことを考えれば、この場所に留まり続けるのは、あまり得策とはいえなかった。
 ランタンを灯すかどうか迷っていると、彼の袖を「あそこがいいんじゃない?」と言ってサリュートアが引く。流れのまま移動を始めた彼らに、アストリアーデとセシリアもついていった。
 やがて、大きな木が倒れている場所が見つかる。茂った枝葉が他の木々とも絡み合って、上手く抜け道の出口から身を隠してくれた。
 一同は倒れた木へと腰掛け、改めて出口のほうを確認をする。そちらには、特に異常は見られない。
 ようやく、一息つけた心地がした。
 すると、抑えていた不安もふっと心に上ってくる。
「……私たち、指名手配とかされるんでしょうか」
 そう呟いたセシリアに、バートはそちらを見ないまま、ぶっきらぼうな言葉を返した。
「されるのは、俺たちだけだ」
「あ……ごめんなさい」
 慌てて彼女は謝るが、かえってそれが彼の癇に障ったようだった。
「いちいちうっせーよお前は! 俺もこいつらも好き好んでやってんだからガタガタ言うんじゃねぇよ!」
 バートは声を荒げ、おもむろに立ち上がる。
「お前らちょっとここで待ってろ、様子見てくっから」
 そうしてバートはその場を離れ、今まで来たのとは逆の方へと進み始めた。
 目が慣れてきたとはいえ、明かりもなしに歩くには、少し心許ない。木の枝に頭をぶつけたバートを見て、サリュートアも慌てて立ち上がる。
「俺も行ってくる」
「気をつけて。何かあったら合図するね」
 アストリアーデの言葉に頷き、サリュートアはバートの後を追った。
 二人が木々を掻き分け、地面を踏みしめる音は、次第に遠ざかっていく。
 しばらくそれを眺めた後、セシリアがうな垂れ、ぽつりと言った。
「……私、バートさんに嫌われてるんでしょうか。怒らせてばかりで」
 それを聞いて、思わずアストリアーデは笑みを漏らす。
 何故笑われたのかわからず、不思議そうに視線を向けるセシリアに、アストリアーデは言った。
「ごめんね。……逆だよ、きっと」
「逆?」
 それでも意味が伝わらず、彼女はもっとストレートに言い直す。
「バートさん、セシリアさんのことが好きなんだよ」
「えっ――え?」
 アストリアーデの言葉がよほど意外だったのか、彼女の動きは一瞬止まり、それから急に、風に揺られる木のように慌しくなった。
「そ、そんなこと、ないですって!」
 ぶんぶんと両手を振るセシリアは、年上なのに、何だか可愛らしく思えて、アストリアーデはまた笑みをこぼす。
「その好きが、どこまでの好きかはわからないけど、嫌いだなんてこと、絶対ないよ」
 それから彼女は、言葉を探すようにしてから続けた。
「バートさんは……多分ね、悔しいんだと思う。自分が」
「……悔しい?」
「そう。セシリアさんのために、何かしてあげたいって思うんだけど、中々上手く行かないっていう、悔しさ……なのかな」
「そんなこと……とっても良くしてもらってるのに」
 セシリアはそう言って、膝の上に乗っていた葉をつまみ上げ、指先で弄び始める。
「うん。……あたしもね、自分に出来ることがあったのに、してあげられなかったから、バートさんも、きっとそう思ってるんじゃないかなって、そんな気がするの」
 アストリアーデは倒木に腰をかけなおす。触れた手のひらに、ごわごわとした木の肌の感触が伝わった。
 ウィリスの父が望んだことは、決してウィリスの望んだことではなかった。
 はっきりと彼女はそう口にしたし、それは彼女の本心だったということはわかっている。
 それでも、もしかしたら、という言葉はちくちくと胸を刺したし、それ以外のことだって、もっと違うやり方があったのではないだろうかと、悔やむ気持ちは今でも尽きない。
「アストリアーデさんたちは、何故、旅をしているんですか?」
 その問いへの返事が来る前に、セシリアが続けて言葉を発した。
「余計なことだったら、ごめんなさい」
「ううん、そんなことないよ。だから謝らないで」
 彼女がつい謝罪の言葉を口にしてしまうのも、何かやりきれない思いがあるからなのかもしれない。
 そんなことを思いながら、アストリアーデは目を閉じ、自らの記憶をたどった。
 そして、部屋の引き出しから一つ一つ、大切な服を取り出しては整理していくかのように、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「……友達がね、どうしてああいう生き方をしなきゃいけなかったのかって、知りたくて」
 最初は自分たちが何者かを探す目的の旅だった。
 それが今ではどうでも良くなったかというと、少し違うのかもしれない。でも、それだけだったなら、アストリアーデはあの時、旅を続けたいと言うことはなかっただろう。
「知ったところで、もうあの子は帰ってこないけど……でも、あたしもね、もう少し前に進める気がするの」
 言葉と共にウィリスの顔が脳裏に浮かんで、鼻の奥がじんと疼いた。多少涙を流したところで、見えはしないだろう。でも、どうしてもそうしたくなくて、ぐっと堪える。
 そんなことをするのは、誰かに見られるのが嫌なのではなく、めそめそする自分が嫌だからなのかもしれなかった。
「強いんですね、アストリアーデさんは」
 まるでそれが伝わったかのように、セシリアの口から言葉が漏れる。
「そんなことないよ」
 アストリアーデは遠くに目を向けたままで言った。
「一人だったら、なんにも出来なかったと思う。サリュートアや、バートさんや、沢山の人たちがいたから、ここまで来れたの。……もちろん、セシリアさんもね」
 暗い森の中に、マーサの笑顔や、旅を続けろと言ってくれたオーファの顔も浮かんだ。
「今までだってそうやって誰かに助けてもらってたのに、あたし、ずっと気づかなかった」
 旅を始めたばかりの頃、サリュートアと喧嘩をしたことを思い出す。あの時は本気で腹を立てていたのに、今思い起こせば何だか微笑ましくさえある。
 あの出来事がなかったら、今はどうなっていただろうか。
 もう旅は終わっているだろうか。それとも途中でやめて、家へと帰っていただろうか。
 きっとこんな思いをすることはなかっただろう。けれど、ウィリスと会うこともなく、こうしてバートたちが戻るのを待って、セシリアと話をしていることもなかったに違いない。
「私は、何もしていません。ご迷惑をかけてばかりですし……」
 セシリアの言葉は、終わりに近づくほど小さくなっていく。
「あたしはそんなこと思ってないよ。サリュートアもね。やっぱり同性がいると違うんだなあ、とか言ってたよ」
 アストリアーデはサリュートアの口調を真似て言う。
「……それは、私も同じですね。もしアストリアーデさんがいなかったら、声をかけづらかったですし」
 それで少し気持ちが和らいだのか、セシリアの声が少し柔らかく、はっきりとした。
「きっとバートさんもそうだから、ちょっと怒ったりするんじゃないかな?」
 しかし次の言葉で、彼女の顔は訝しげな表情へと変わる。
 空は少しずつ明るくなってきていて、お互いの表情の細かい部分も徐々に読み取りやすくなってきていた。
「誰かの助けになれたり、誰かが喜ぶことをしてあげられることって、すごく嬉しいことでしょ? 自分にもそれだけの力があるんだって思えるし」
 今度はセシリアの瞳を、アストリアーデは見た。
「だからセシリアさんも、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言えばいいんだよ。そしたらバートさんも、きっと嬉しいんじゃないかな」
 彼女は少し考えるようにしてから、やがて小さく、何度も頷く。
「そうかも……しれないですね」
 その時、少し離れた場所から木々が擦れる音が聞こえ、二人はそちらに顔を向けた。
 一瞬の緊張が走るが、すぐにそれはバートたちだということがわかり、安堵の息が漏れる。
「少し行くと森が途切れるみてーだな。結構明るくなってきたし、少し移動してから休まねーか?」
 あまりここでじっとしていることも良いとは思えなかったので、異論を唱える者はいない。
 昨日から落ち着かない状況で、皆、寝ずに歩き通しだったから疲れていたが、何とか気力を振り絞る。
「……あの」
 そこで唐突に、セシリアが声を上げた。
 皆が視線を向けると、彼女は亀のように首を縮こまらせ、困ったような顔をしていたが、やがて深々と頭を下げる。
「改めて、色々ありがとうございます。お三方には、とても感謝しています」
 そんなセシリアを、サリュートアとバートはぽかんと眺めていた。
 何も今すぐに言わなくても、とアストリアーデは思ったが、そういう彼女の生真面目とも言えるところは、好ましく思えた。
「どういたしまして」
 アストリアーデもそうやってお辞儀をすると、サリュートアも戸惑うように首の後ろを掻きながら言う。
「あ、どうも。こちらこそ」
「……別に、礼を言われることなんかしてねーし」
 バートは目を逸らしながらぼそりと言った。
 双子は思わず同時に吹き出し、ようやく顔を上げたセシリアも、照れたように笑う。
「まだ安心できる状況でもねーだろ。……行くぞ!」
 そう言ってそそくさと歩き出したバートが、また木の枝に頭をぶつけたのを見て、今度は朗らかな笑いが起こった。

 ◇

 森を抜けると、そこには緑の丘陵が広がっていた。
 今までが暗かったこともあり、その緑はとても明るく見える。所々に咲く花が、鮮やかな彩を添えていた。
 見晴らしが良いので、この場所で何かがあればすぐに気づくだろう。だが、こちらの姿も同じように見えてしまう。
 近くに見つけた茂みの陰にひとまず隠れ、四人は休みを取ることにした。
「俺が見張ってっから、お前ら寝ていいぞ」
 バートはそう言って水筒の水を一口飲み、口もとを拭う。
「私も起きてます。二人ずつ交代のほうがいいでしょう?」
 セシリアもそう申し出た。
 彼女の言うように、その方が何かあった時にも気づきやすいだろうということで、まずはサリュートアとアストリアーデが眠ることになった。
 横になると今までの疲れがどっと押し寄せるように、体が重たく、意識は蕩けるように曖昧になっていく。
 すぐに寝息を立て始めた二人を眺め、バートはふっと表情を和らげる。いつも生意気なことを言ってはいるが、寝顔からはまだまだ幼さを感じさせた。
 それから、視線を外の世界へと向ければ、鋭い草葉の先に虫が止まるのが見え、鳥が高らかに鳴く声が聞こえ、少し温められた空気が肌に触れるのを感じる。
 注意深く観察をするが、丘陵の上に流れる時間はただ長閑で、何の危険もないように思えた。
「……しっかしお前の親父も物好きだよな。あの抜け道をよく使ってたって。こんなとこに出るんだぜ?」
 ずっと流れていた無言の時に慣れた耳に、独り言のようなバートの言葉が届く。
 セシリアはふっと笑みを浮かべた。
「山や森の散策とか、好きでしたからね。それに、あの抜け道を通るのが、とても楽しみだったんだと思います」
 セシリアには、嬉々としてあの通路を歩く父の姿をありありと思い浮かべることが出来た。
 あそこを通るためならば、他の不便さなど犠牲にしても惜しくはなかったのだろう。
「バートさんは、どうしてお二人と一緒に旅をしてるんですか?」
 彼女も双子の安らかな寝顔に目を向け、それから尋ねると、バートは何故か困ったように頬を指先で掻いた。
「……上司の命令」
「嘘ばっかり」
 やがて出てきた言葉を聞いて、セシリアの口からはそんな言葉が飛び出す。
「マジだって」
 手を動かしながら力説するバートを見て、彼女は微笑んだ。
「でも、それだけじゃないでしょう?」
「……ま、ほっとけなかったっていうのはあるな。あいつら無茶ばっかするし。そこら辺、上司とも意見が一致したっつーか」
 セシリアは、今度は堪えきれなくなったようにくすくすと笑う。
「何で笑うんだよ」
「だって、バートさんって素直じゃないんですもん。とっても優しいのに、それを無理に見せないようにしてるみたい」
 セシリアの答えに、バートは押し黙ってしまう。その姿を見ていたら、今までのことが急に思い出された。
「今まで私の周りにいた人は、逆でした。皆とても親切で、優しいふりをしてるけど、本心は全然違って……でも、私は馬鹿だから、その表面を信じきってたんです」
「いいじゃねーか、もう気づいたんだしよ。一つ賢くなったってことだ」
 寂しげに言った彼女に、今度はすぐに言葉が返って来た。その視線は彼女ではなく、周囲に配られている。
「……そうですね。皆さんとも会えましたし。本当に良かった。あの時、声をかける勇気を出して」
 彼女も、つられるように周りを見ながら言った。
「俺も――」
 バートが何かを言いかけたので、セシリアはそちらを見る。
 だが彼は目が合うと急に視線を逸らし、寝ている双子のほうへと向けた。
「いや、ねみーなって話。そろそろ交代!」
 彼がそう言って体を揺さぶると、二人は呻り、重そうにまぶたを上げる。
「もう時間なの……?」
 アストリアーデは眠い目を擦りながら、懐中時計に目をやった。
「えー!? まだちょっとしか経ってないじゃん!」
 そう言って口を尖らせた彼女の頬を、バートはつまんで左右に引っ張る。
「バーカ、これからまた移動もしなきゃなんねぇのに、そんなに寝てたら日が暮れちまうだろ! 俺だってねみーの!」
「もうちょっと落ち着いたら、もっとちゃんと寝られるよ。……たぶん」
 サリュートアも伸びをし、焦点の定まらない目のまま妹に言う。
「わはったから引っ張るのやめへよ」
 バートが頬から指を離すと、彼女は頬をさすりながら、しぶしぶと言った表情で起き上がった。
 少し寝たことで、疲労感が大きくなったようにも感じる。
 体が重く、気持ちの動きも鈍い。でもあのまま起き続けていたら、緊張の糸がぷつりと途切れてしまう瞬間が来るのかもしれなかった。
 優しく通る風に吹かれていると、少しだけ目が覚める。
 でも日が当たっている地面を手で触るとぽかぽかと暖かく、また眠りへと誘われそうになった。
 ふと目を向けた先には、うららかな陽気の中、気持ちよさそうに日向ぼっこをしている野ねずみの姿があったが、羨ましげに眺めているアストリアーデの視線に気づくと、慌てたように草むらの中へと姿を消した。

 ◇

「……そろそろ、ですよね」
 セシリアが唾を飲み込み、緊張した面持ちで言う。
 二人も仮眠を取った後、すぐに移動をすることとなったのだが、行き先として決まったのは最寄の村だった。
 人のいる場所は出来るだけ通りたくはなかったものの、そこを抜ける以外は、高い山を越えなければならなかったり、かなりの遠回りをしなければならなかったりというルートしかなかったのだ。
 追っ手が来る気配もとりあえずはない。ぐずぐずしているよりは早く動いたほうが良いと判断し、現在、その村のすぐ近くまで来ている。
 草を食む牛の姿や、ゆったりと回る風車が青空に映える。
 このような状況でなければ、心地よい散歩気分が味わえただろう。
 建つ家の数が増えてくるにつれ、緊張感は増して来る。
 やがて、向こうから人がやってくるのが見えた。
 荷台を引いた老人は、こちらにじっと視線を向けている。。
 不自然にならないようにと意識しながら見返したところ、彼は小さく首を傾げてから視線を逸らし、通り過ぎて行った。
「……何か、含むような視線じゃなかったですか?」
 老人と荷台が小さくなってから、セシリアが堪えきれなくなったかのように言う。
 彼女は現在はスカーフを頭に巻きつけ、帽子のようにしていた。
 以前の経験も踏まえ、仲間たちもなるべくセシリアの名を口にしないか、呼ぶ時は『シーア』と呼ぶことに決めていた。本人からは『リア』のほうが良いのではないかという意見が出たが、他の三人により全力で却下された。
「知り合いと間違えたんじゃね?」
 そんな彼女へと、バートは相変わらずの調子で答える。
「バートさんが睨んだからじゃない?」
 アストリアーデもフォローをしようと口を挟んだが、その内容にバートがむっとしたような表情をした。
「睨んでなんかねーよ」
「それそれ。バートさん、目つきが恐いもん」
「俺も初めて会った時、印象悪かったしなぁ」
 続けてサリュートアも言うと、バートの声が一段と高くなる。
「それはこっちも同じだっつーの! クソ生意気な――」
「あの、喧嘩しないでください!」
 そのまま白熱しそうな勢いだった応酬は、セシリアの言葉で一気に冷める。近くにいた子供たちが遊ぶ手を休め、こちらを眺めていた。
 バートは一つ咳払いをし、そしてまた声のトーンを戻して言う。
「とにかくだな、あんま気にすんな」
「……はい」
 セシリアは小さくそう言って顔を俯かせる。
 こちらが静かになると、周囲の人々の視線も次第に離れ、何事もない日常の光景が戻ってきたようだった。
 四人とも怪しまれない程度に辺りに気を配ってはいたが、今のところ妙な動きというのは見られない。いずれにしても、急いだほうが良いだろう。
 そのまま一気に村を抜けようと、皆、足に力をこめる。

「ここも、変な感じはしないけど」
 アストリアーデが周りを眺め、小さな声で言った。
 セシリアは少し怯えたような目で、サリュートアとバートは注意深く周囲を観察する。
 一行はあの後馬車へと乗り、さらに北へと向かった。あの村の馬車乗り場を見て、バートが乗ることを提案したのだ。
 近づいて来ているとはいえ、まだサマルダまでも距離はある。徒歩ではかなりの時間がかかってしまうし、馬を買う金は流石にない。
 駅馬車であれば身元が割れるわけでもないので、なるべく早く移動することを考えると、それが最善の策のように思われた。
 実際この町まで何事もなくたどり着くことが出来たのだが、少し拍子抜けした気分を味わいつつも、つい何か裏があるのではなどと疑心暗鬼になってしまう。
「普通、だよね」
「だと思いますけど……」
 サリュートアの言葉に、セシリアが緊張した声で答えた。
 サマルダまでは馬車を乗り継いでいかないとたどり着けないので、この町でも同じように乗り場まで向かっている。
「もし」
 バートが腕組みをしながら、ぽつりと言った。
「バーガンディーがちゃんとした任務で動いてたんなら、俺たちは誘拐犯だ」
「えっ、そんな」
「落ち着け、仮の話だよ」
 つい声を上げたセシリアに笑い、彼は続ける。
「そんな奴らをほっとくはずはねぇ。遠くへ逃げちまう前に、何がなんでもとっ捕まえるだろう」
「でも、誰もこないよね。今のところ」
 アストリアーデも首を巡らせて周囲を見た。あまりにも何も起こらないので、段々と動きが大胆になってきている。
 バートは頷いた。
「そうだ。何でだ?」
「やっぱりあの人、悪い人だったんだよ!」
 そう言い切るアストリアーデに、サリュートアは言う。
「秘密裏に動いていたっていうのは確かなんだろうね」
「んじゃ、それはそれで、何で追って来ねえのか」
「……あたしたちを泳がせてるとか?」
 アストリアーデに指を突きつけられたバートは、その指先を眺めてから、アストリアーデの顔を見た。
「泳がせる意味ってあるか?」
「気づかれないように隠れてて、いきなり捕まえるとか!」
「それなら、今までもチャンスはあったよね。いくらでも」
 冷静な言葉が今度は横からやって来て、彼女は指先をすとんと下ろす。
「それに俺も名乗ってっから、その線でも探せるはずなんだが」
「今のところ、そういうことはなさそうだね。やっぱり、何か公に出来ないことがあるんじゃないかな」
 今度はバートの言葉を引き継ぐようにして言ったサリュートアの方へと、アストリアーデは指先を向けた。
「何か邪魔が入ったとか?」
「かもな。ま、単に見失ったとか、諦めただけかもしんねーし。どっちにしてもビクビクしても仕方ねーから、次の町で何ともなさそうだったら、宿探そうぜ」
 そしてバートは、黙ったままのセシリアのほうを見る。
 セシリアは少し目を閉じ一呼吸すると、仲間たちを見て静かに頷いた。

 ◇

「サマルダって、どんなところ?」
 女はそう問われ、目を瞬かせる。
「さぁ、あたしは行ったことないからねぇ」
 それから長い指先を動かし、何度かカウンターを叩いてから、思い出したように言った。
「……確か、ノルズさんが行ったことあるって言ってたけど、大したことはない、普通の町だって言ってたかな」
「そう……ありがとう」
 アストリアーデは彼女に礼を言って背を向ける。
 あれから数日が経ち、一行はヒスタというところまで来ていた。サマルダ行きの馬車が出る町だ。
 小さな馬車乗り場の建物は古く、閑散としている。色あせた壁に、誰かの描いた落書きが残っていた。
 あれからやはり何事もなく順調に旅は進み、宿に泊まって寛いだり、町の人に話しかける余裕もようやく出てきたところだ。
 サマルダのことはどこで聞いても、同じような答えしか返ってこない。それほど、特徴のない町ということなのかもしれない。
「アストリアーデ、早く!」
 サリュートアに呼ばれ、急いで外へと向かう。
 待っていた馬車に乗り込むと、先に席に座っていたセシリアが微笑んだ。バートは、窓の外に視線を向けている。最後にサリュートアが乗って、立て付けの悪い扉にやや苦戦しながら閉めた。
 やがて馬が嘶きと共に、体に振動が伝わり出す。
 町の景色が、ゆっくりと動き始めた。

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