遠子の謎

 それから特に異世界からの襲撃もなく、平穏に数日が過ぎた。
「遠子キック!」
「うわっ、あぶね!」
「それって、ただ普通にキックしてるだけじゃない」
「おはよーございます……って、何やってんの?」
 ミーティングルームに入った祥太郎が目にしたのは、防具をつけた才と遠子が対峙している姿だった。
 その隣には扇を構えたマリーが行司のように立っている。
「遠子さん、マリーちゃんに馬鹿にされたのが悔しくて、何か必殺技を考えてるみたい」
「遠子ファイヤー!」
「ちょ、え? 待って!? おわっ!?」
 今度は気合とともに彼女の手のひらから出た炎が、才の体を包み込んだ。
「それはねぇ、ここの仕事向きじゃないし」
 マリーが言って扇をパタパタとやると、その火はあっという間に小さくなって消える。
 あらかじめ張られていた結界のおかげで、床や壁が焦げるということも全くない。
「……ああ、わかってても心臓に悪い」
 もちろん才も無傷である。彼は床にへなへなと座り込み、大きく息を吐いた。
「さっきマリーが言ったのって、どういう意味?」
 それを見守っていた祥太郎も一息つくと、小声で理沙に尋ねる。
「ここの仕事って、あくまで異世界の人を追い返すのが目的だから、殺傷能力があるものは向かないんですよね。こちらを侵略する気もなく、話し合いが出来る人たちであれば、交流が生まれることもあるんですよ」
「へぇ……」
「いま、少しここの仕事、見直したでしょう?」
「まあ、少しはね」
 悪戯っぽく笑った彼女に、祥太郎も笑みを返した。
「だけど遠子さんなら、俺と同じようなことも出来そうだけどなぁ。物体置換なんて、かなり高度な技だと思うし」
「缶コーヒーと薬草スープですね」
「コーヒーもスープも、数をなして襲ってきたり、逃げ回ったりはしないからね」
「うわっ、マスターいたんですか。ビックリした」
 驚き、振り返る二人を見て、マスターは楽しげに目を細める。
「それなら、ずっと易しくはなるだろう?」
「ああ……まあ」
「遠子君は各々のレベルはそれほど高くはないんだが、器用に何でもこなせるからね。だから、サポートを担当してもらっている」
「へぇ」
 そう言われれば納得するしかない。理沙も何も言わなかった。
「ところで……そろそろやめて貰っても良いだろうか」
 マスターの声に、何故か掃除用具で戦っていた三人は、ぴたりと動きを止める。
「試合終了! 今のは私の勝ちよね」
「違うわよ! 絶対に、わ・た・し!」
「俺だろ俺!」
「皆に客人を紹介するよ」
 揉めている三人は無視して、マスターは手で隣を示した。しかし、そこには誰の姿もない。
 皆が訝しげな顔で見守る中、彼のズボンの裾から、小さな空色の物体がひょっこりと出てきた。
「あっ!」
「ああっ!」
 祥太郎と理沙が思わず声を上げると、羽の生えた象は怯えたようにまた姿を隠す。
「ミリソーニルのアリアマネ大使だ」
 象は、また恐る恐るといった風に出てきて、ぺこりと頭を下げた。
「アリアマネさんって言うのね。宜しくお願いします!」
「へぇ、本当に交流ってあるんだ」
 笑顔で象に近づき、長い鼻と握手する理沙を見て、祥太郎は不思議な気持ちになる。つい先日戦っていたことが嘘のようだ。
「ま、圧倒的な力の前には、屈服するしかないわな」
 偉そうに胸を張る才に、「才くんは特に見せつけてないでしょ」ときっちり突っ込んでから、遠子は屈みこみ、異世界の大使に向かって手を差し出した。
「アリアマネちゃん……アリーちゃんね。よろしく」
 大使アリーは、最初こそ緊張した様子を見せたものの、やがて嬉しげに長い鼻先で彼女の手のひらをぺしぺしと叩き始める。
「その呼び方、わたしとカブるからやめない?」
「大使はしばらく、こちらに滞在なさるそうだ。まずはアパート内や周辺を見てもらおうかと思っている。君たち、頼むよ」
 マスターは皆の様子に満足気に頷くと、返事を待たずに部屋を後にした。
「私も、ちょっとお出かけしてこようと思うから、みんな宜しくね」
 遠子もそんなことを言いつつ、さっさと部屋を出て行く。
「トーコがまた逃げたわ。まったく二人とも、面倒なことはすぐ押し付けるんだから!」
「じゃ、俺もこれで――」
 ぶつぶつ文句を垂れるマリーの脇を通り抜けようとする才の腕は、がっしりと掴まれた。
「サイは手伝ってくれるわよね?」
「え、あ、まあ……」
 状況を静かに見守っていたアリアマネは、明らかにしょんぼりとする。
「あのね、みんなアリーちゃんのお世話をするのが嫌って訳じゃないんだよ。用事があって……」
「ちょっと、その呼び方定着させるのやめて!」
 フォローに入った理沙には、マリーからクレームが入った。
「まあまあ、名前くらい大目に見ようぜ。嫌ならマリーはフォンドラドラのほうで呼べばいいわけだし」
「フォンドラドルードよ! それに何故わたしのほうが変えなきゃならないの!?」
「とりあえず、アパートの中を案内すればいいのかな?」
 理沙の言葉に、アリアマネは嬉しそうに羽を動かした。そのまま体はふわふわと空中に浮かび上がり、肩の高さまで到達する。
「ふふ、かわいい」
 彼女はアリアマネの頭を指先で優しく撫でて、部屋の外へと向かった。
「いいなー、俺も小さくなって理沙ちゃんの肩に乗りたい」
「気色悪いこと言ってないで、わたしたちも行きましょう」
 才をドアへと押しやるようにしながら出て行くマリーの後に、祥太郎も続く。

 部屋から出ると、廊下の先に、エントランスへと向かう遠子の姿が見えた。途中すれ違ったスタッフと、何やら立ち話をしている。
「遠子さん、どこに出かけるのかな?」
 理沙の呟きを聞き、祥太郎もぽつりと言う。
「遠子さんって謎だよなぁ。神出鬼没だし」
「わたしもそう思う」
 マリーも同意してから、皆が予想していなかった言葉を続けた。
「だから、探ってみましょう」
「探るって……もしかして、後をつけるってこと?」
「ええ」
 彼女は驚く祥太郎に頷く。
「うーん、それっていいのかな……だけど確かに気にはなるよな。じゃあ、どうやって探る?」
 迷いはおざなりに示されただけだったが、咎める声もなく、むしろ全員乗り気だという顔をしている。
「誰かが小型カメラをつけて追うのはどうだ? 残りのメンバーは、モニタでチェックする」
 才は持っていたアタッシュケースを開き、そこから指先ほどの大きさの機器を取り出した。
 ケースの内側半分にはモニタが取り付けられているのが見える。
「盗撮用か」
「データ収集用だよ!」
 彼は口元を歪める祥太郎に大声で反論してから慌てて声を潜め、皆の顔を見回す。
「それで、誰が行く? 俺はこの操作があるからな」
「……あたし、こういうの苦手です」
 理沙の発言には、皆が同意した。
「俺? もし遠子さんが男が入れないような場所に行ったらどうすんだよ」
 祥太郎の言葉にも頷き、一同の視線はマリーへと集まる。
「わ、わたし? イヤよ。ドレスだって目立つし、汚れちゃうし」
「そこは着替えろよ!」
「着替えてる間に出て行っちゃうわ。それに、わたしだって向いてないもの」
「理紗ちゃんよりはマリーちゃんのほうがきっとマシだって!」
 祥太郎と才が説得を試みるが、彼女は中々首を縦に振らない。
 ちらと視線を向けると、遠子はスタッフとの会話を終え、再び歩き出すところだった。
「そうだ!」
 そこで、理沙がぽんと手を叩く。
「アリーちゃんにお願いしたらいいんじゃないですか? 体もちっちゃいし、空も飛べるし、適任だと思います!」
 今度は視線が彼女の肩へと集まる。
 まさか自らに矛先が向くとは思っていなかったアリーは、おろおろとそれを見返した。

 ◇

「行ってらっしゃい!」
「頑張って来いよ!」
「気をつけてな。カメラ壊すんじゃねぇぞ?」
「無事に終わったら、アリーって名乗るのを許してあげてもいいわ」
 笑顔で見送られ、仕方なくミーティングルームの窓から飛び立つアリー。
 皆、理沙の意見に賛同こそすれ、客人として来たばかりの異世界人に尾行させるのはどうなのかという意見は全く出なかった。
「ね、早く見てみましょうよ」
「今セッティングちゅー」
 才はテーブルに置いたアタッシュケースを弄りながら、マリーの急かす声に軽く答える。
 程なくして、モニタに街並みが現れた。
「あっ、映ったわ!」
「へー、結構綺麗に映るな」
「すごーい!」
 賞賛の声を受けて彼は得意げに笑い、カメラの調整を行う。
「おっ、あれは遠子さんじゃないかな」
 歩く影にぐっとズームすると、姿が大きく映し出される。それは、遠子に間違いなかった。
 アリーは事前に教えられた通り、少し離れた場所にふわりと降り立ち、後をつけ始める。
「アリーちゃん、尾行が上手!」
「リサやめて。まだその呼び方、許してないんだから」
「だから何でマリーにそんな権限があるんだよ」
「わたしのほうが先にここにいるんだもの、当たり前じゃない!」
「はいはい、くだんねー喧嘩はやめような。そろそろどっかに行くみたいだぜ」
 才の言うように、遠子は歩くスピードをゆるめ、きょろきょろとあたりを見回している。
 それから少し細い路地を入って進み、古ぼけた建物の中へと入っていく。
「服屋さん……?」
 理沙の言うとおり、そこは衣料品を扱う店のようだった。看板にもずいぶんと年季が入っている。
「トーコったら、こんな古臭い店でお洋服買ってるのかしら。だからあんなに地味なのね」
 マリーはどこか嬉しげに扇を動かしながら言う。
 画面は店内へと入る遠子を映し出し、その後大きく揺れた。アリーが閉まりそうになるドアに慌てて滑り込んだようだ。
「アリ……アマネちゃんナイス!」
 理沙は一瞬マリーの様子を窺い、また画面を食い入るように見つめる。
 店内は予想していたよりも、かなり広い。様々なコーナーに分かれているようだった。
「えっ、この服300円? やすーい!」
「300円? お洋服が? ゼロの数間違ってるんじゃないの?」
「マリーちゃんは贅沢な服ばっかりだから……あたしも今度ここ来てみようかな。あっ、もっと右側映してくれればいいのに」
「あなたのショッピングが目的じゃないんだけど」
「ごめんね、つい。遠子さんは何買うのかな……?」
 小さなアリー視点のカメラは、スカートの裾や什器の脚などを掻き分けながら、ターゲットを追う。
 布のジャングルがしばらく続いた後、急に視界が開けた。
「ランジェリーのコーナーね」
「おー、結構派手なのあるなー! ――うぼっ」
 才が呟いた途端、彼だけではなく祥太郎の視界も真っ暗になる。
「あなたたちは見なくていいの」
 マリーの結界だった。
 それは隙間のないヘルメットのように、二人の頭部をすっぽりと覆っている。
「えっ、これ買うの?」
「意外に大胆……!」
 盛り上がる女二人の背後で、じたばたもがく男たち。
 やがてやけに静かになったことを不思議に思い、理沙が振り返った時だった。
「マリーちゃん、二人がぐったりしてる!」
「えっ? ――あら、大変!」
 マリーが扇を振るうと、真っ黒なヘルメットは一瞬にして消え、青い顔が現れる。二人は大きく咳き込みながら、むさぼるように呼吸をした。
「はぁはぁ……し、死ぬかと思った」
「な、何で俺まで……」
「あ……ごめんなさい。空気穴忘れてて」
「結界に空気穴とかあんのかよ!」
「あれ? 遠子さん移動するみたい?」
 祥太郎の決死の突っ込みも、本来の目的の前ではあえなくスルーされる。
 画面は、いつの間にか先ほどの路地を映し出していた。
「つ、次はどこに行くのかしらね」
 何だか話がうやむやになったことにマリーは心の中で安堵しつつ、モニタを注視する。
「うーん、あんまり知らないところだなぁ。遠子さん、色んな場所知ってるんですね」
「地図出してみよっか?」
 そう才が提案した時、前を行く遠子が早足になるのが見えた。アリーも置いていかれまいと、追跡のスピードを速める。
 角を曲がった先には、またしても古びた看板。元々は白かっただろうと思われる外壁も、汚れて黒ずんでいた。
「お肉屋さん……かな」
「タイムセールって書いてあるな」
 理沙の呟きには、すっかり元気を取り戻した祥太郎が反応する。
「お夕飯の買出しかしらね?」
「でも、食堂はあのおばちゃんが仕切ってんだろ?」
「トーコは色んな場所を手伝ってるのだし、頼まれることもあるんじゃない?」
 マリーと才がそんなことを話し合っていると、建物の陰に隠れつつ、ガラスのドア越しに映し出されたと思われる映像が入ってきた。
「もう少しアップにしてみるな」
 カメラをズームインすれば、陳列棚に並ぶ商品と、手書きの価格が鮮明に見えてくる。
「今度は……グラム1000円? いいお肉屋さんなんだ」
「和牛かな?」
 先日の遠子の言葉を思い出し、祥太郎は何気なく言ってから目を凝らす。
「こう……もり」
 一瞬の沈黙。
 見間違いかと思い、もう一度ゆっくり読み直してみる。
「こ、う、も、り肉。――コウモリの肉!?」
「おい、こっちはカエルだぞ!」
「く、クモにく……」
「いやぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
 並べ立てられる単語に、頭を抱えて絶叫するマリー。
「どうしたんだね? 今、悲鳴が聞こえたが」
 それを聞きつけ、マスターがミーティングルームへとやってきた。
「いや、あの、なんでもないんです!」
 理沙は慌ててマリーの口を手で押さえ、何とか笑顔を作りながら答える。
「何でもないようには聞こえなかったが……」
「あの、その……そうそう、ヨガです!」
「ヨガ?」
「ええ、絶叫ヨガって言って……今ね、セレブの間で密かに人気なんですよ。マリーちゃんって、そういうのに敏感ですから」
「ああ……まあそうだね。あまり叫ばれると驚くから、適度に頼むよ」
「はい、気をつけまーす!」
 ドアが閉まる音を聞き、皆、大きく溜め息をつく。
「あーびっくりし――」
「ところでね」
「たぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
「……今度は何だね?」
 再びドアを開けたマスターは、大声を出す理沙に驚く。
「ヨガですよ!? 絶叫ヨガなんです! マスターこそ何なんですか?」
「それは……失礼。アリアマネ――」
「うわぁぁぁぁぁっっっっっ!!!」
「君までどうした?」
 今度は才が、アタッシュケースの蓋を思い切り閉めながら叫んだ。
「絶叫ヨガに決まってますよね? 文句でもあるんすか?」
「い、いや、適度にしてくれれば構わないけれどもね。ところで……そのアタッシュケースに何か?」
 彼はあからさまにその上へと体を覆いかぶせるようにしている。
「えっ? あー、これはですね……」
「それは?」
「あっ、そうそうそう!」
 祥太郎は何度も手を叩き、中々次の言葉を出せない才に代わって答えた。
「アリ……アドネ大使は、せ、セレブの間で密かに流行っているという絶叫ヨガを見てみたいとご所望だったのです――が、ちょっと驚かれてしまって、このケースの中に隠れつつ、ご堪能したいと」
 それから少しの間、誰も言葉を発しなかった。
 気まずい空気が流れ始めた頃、マスターが口を開く。
「ふむ。異世界に来られたばかりで、色々な体験もなさりたいだろうしな。邪魔して悪かった……では、引き続き頼むよ」
 彼は言って、どこか引きつった笑顔を見せ、またドアの向こうへと姿を消す。
 一同は耳を澄ませ、足音がしなくなったのを確認してから、長い長い息を吐き出した。
「マリーぃぃぃぃぃぃぃ」
「マリーちゃん、マジで勘弁してくれよ!」
「びっくりした……」
「ご、ごめんなさい……」
 三者三様に責められ、流石に恐縮するマリー。
「で、でも、ああいうの苦手なんだもの……」
「まあ、あたしも得意なわけじゃないけど……あっ、カメラどうなってます?」
「そうだった!」
 理沙に言われて、才は閉じたままだったアタッシュケースを急いで開くと、モニタが皆に見えるように動かす。
「よかった。見失ってないみたいだな」
「アリーちゃんすごいですよね」
 映っているのは、マンションのようだった。今までの場所とは打って変わって、小奇麗な建物だ。
 遠子は、その中へと真っ直ぐに入っていく。
「普通のマンションみたいだけど、お店とかあるのかな?」
「わからないわよ。誰かと会うつもりなのかも」
「誰かって――カレシとか?」
「はっ? 何言っちゃってんの? 俺の遠子さんにそんなのいる訳ねーじゃん!」
 祥太郎の言葉に即反応を見せた才に、マリーは呆れたように言う。
「あれだけ全く相手にされてないのに、その発言はどこから来るの……?」
「危ない!」
 小さく叫ぶ理沙の声を聞き、皆、口を閉ざしてモニタを見る。
 どうやら遠子が引き返してきて、アリーが柱の影に隠れたようだ。
「忘れ物かな……?」
「いえ、気づかれた――かも」
 丈の長いスカートから少しだけ見える足が、ひたひたとこちらへ近づいてくる。
 皆、緊張した面持ちで見守った。
 やがて、ピンクベージュのバレエシューズが、カメラの前でぴたり、と止まる。
「やばいな」
 映像は足から腰、胸へと移動して行き、遠子の顔を映し出す。
 ――はずだった。
「いやぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
「きゃぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
 今度はマリーと理沙が、同時に絶叫する。
 そこには遠子の顔はなかった。
 目も鼻も口も文字通り全くなく、のっぺりとした蒼白い面があるだけだ。
 それはじりじりと後ろへ逃げようとするこちらに向かい、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
「な……なんだよ、これ」
「わ、わかんねぇよ。と……とりあえずフラッシュで威嚇して……」
 才は声を上ずらせながらも、カメラの操作をしようとキーを叩く。
「あ、あれ……?」
「サイ、どうしたの……?」
「あの、ぜ、全然操作受け付けなくて……」
「や、変なこと言うのやめなさいよ……!」
「マジなんだって!」
 その間にも、遠子だった者は手を差し伸べるのをやめない。
 それはもう、カメラに触れてしまいそうだった。
「こ、これ、こっちに出てきたりしないよな……?」
「変なこと言うのやめてって言ったでしょ!?」
 祥太郎の言葉に、半泣きになるマリー。
「とととにかく、何とかしないと……!」
 才は必死でキーを叩き続ける。しかし使い慣れたはずのツールが、全く言うことを聞いてくれない。
 異様に細く長い指先が、今にもこちらに掴みかかろうとしたその時――。
 どん、という大きな音が部屋へと響いた。
「いやぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
「きゃぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
「うわぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
「ぐわぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
「ただいまー」
 乱暴に開いたドアとともに、のんびりとした声が聞こえる。
「トーコ!?」
「……遠子さん?」
「えっ――えっ!?」
「な、なんで……?」
 慌ててモニタを確認すると、先ほどの廊下が映っている。
 そこには、誰の姿もない。
「途中でアリーちゃんにも会ったから、一緒に帰ってきちゃった」
 遠子の手の中には、申し訳なさそうにぺこぺこするアリーの姿。
「絶叫ヨガの調子はどうかな?」
 そしてその後ろにはマスターの姿が。

 遠子の謎は深まる一方、マスターには皆、こってり絞られたという。

 目次