新春の幻(後編)

「……マジ? どうしてそうなんの?」
 皆が納得顔の中、やはり祥太郎だけ一人腑に落ちない。
 すると、マリーがいつものように溜め息をつきながらも説明を始める。
「いい? そもそもあのアパートは、『ゲート』が発生しやすい場所に建っているわけでしょう?」
「そうなの?」
「そうなの! 突如異世界との道が出来てしまうのが『ゲート』、特に『ゲート』が発生しやすいエネルギースポットに設置されているのが『ゲートキーパーズ・アパート』、そもそもそれだけ不安定な場所なのだから、こういう不可解な事態が起きた場合、大体は異世界のせい。――理解できて?」
「あー、なるほどー」
「多分、さっきの雷の時よね」
 腕を組み、思いを巡らせていた遠子が、ぽつりと言った。
「シミュレーターの不調が『ゲート』を開くきっかけになったのか、『ゲート』が開いたから環境が不安定になったのかはわからないけど」
「でも、あんまり変な感じしなかったですよね。『ゲート』が開いてるあたりって、ちょっと独特の雰囲気あるじゃないですか」
 理沙の言うことは祥太郎にも理解できる。アパートの『ゲートルーム』の先にある奇妙な扉も、その先に広がる空間も、異世界の影響で様々な形状になると聞いた。
「今は閉じてしまっているからなのかもしれないけれど……何も感じられないのは、わたしたちの力が封じられてしまったこととも関係があるんじゃないかしら」
「この家に結界が張ってあるってことだよね?」
 マリーは少し考えてから、首を小さく振る。
「わたしたちが何も気づかなかったのは、最初からでしょう? だから多分、この村全体。もっと広い範囲かもしれない」
「そんなに強力な結界を、誰が張ったっていうんだ?」
 今度は祥太郎の質問にも、溜め息は返らなかった。他の者も、彼女の答えを待っている。
「『自然結界』――その土地自体が持っているエネルギーが結界と同じ作用をすることがあるの。長い年月を経て自然が作り出したその力は普通、人よりも遥かに大きいわ。……だけど、少し妙ね」
「妙って?」
「わたしたちの能力をこれだけ徹底して封じ込めるような結界だもの。能力者じゃなくても心地よさを感じないから、住みにくいはずなのよ。動植物も元気がなくなるし。ここ以外に定住できるような土地がないのかもしれないけれど」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、祥太郎の目は才へと向けられる。
「お前、予知能力者だろ!? こんなことになるって何でわかんなかったんだよ!」
「そ、それは……ほとんどのリソースは通常の業務に割いてるだろ、今回は特に危険はないと思ったし、ちょっとした気の緩みっつーか」
「早い話が忘れたってことだろ!? 使えねーな!」
「サイのコントロール力の高さが仇となったわね。予知能力者の多くは勝手に入ってくる情報に苦しむことも多いわけだから」
「だけどさ、身の危険が迫ってんだから、ピンと来たりするだろ? フツー」
「そういうことなんじゃない?」
 ヒートアップする祥太郎の背にかかった遠子の声は、また普段どおりのんびりとしている。
「遠子さん、そういうことって?」
「きっと、ここから無事脱出できるってこと」
 その言葉の直後。――どこからか微かな音が聞こえ、皆慌てて身構えた。
 少しの間を置いて扉がぎっと軋み、ゆっくりと開き始める。そこから覗き込んだのは、見覚えのある顔だった。
「君は……さっきの」
 驚く祥太郎に、現れた少女ははにかむような笑みを見せる。
「はい、ニコと言います。助けに参りました。わたしと一緒に来てください」
「でも――」
「急いでください。もう見張りの人たちが戻ってきてしまいますから」
 少しの迷いはあったが、ここにいたところで仕方がない。外へと出るということで、全員の意見がすぐに一致した。
 まずは祥太郎が外を覗いてみると、確かに誰もいない。後ろに手招きをしつつ、丸太に切り込みを入れただけの梯子を慎重に降りていく。全員が降りきった後、梯子は外して地面へと置いた。
「こちらです」
 ニコは入ってきた門とは逆方向へと向かう。足下と周囲に気を配りながらついていくと、そちらにも小さな出口があるのが見える。彼女は何度か左右を確認してから、そこをすり抜けた。
 その先にも誰の姿も見当たらない。早足で進む背中を追い、祥太郎たちも緩やかに上る坂道を急ぐ。来た時に見たと思しき家が遠くにあり、今は丘へと向かっているのだということがわかった。
「丘に登ったら見つかっちゃうんじゃないか?」
「こちらの道ならお屋敷からはあまり見えないんです。今は村のみんな、長のお屋敷にいますから」
 隣に並び、小声で尋ねた祥太郎に、ニコも小さく返してくる。振り向いて確認しても、彼女の言う通り、気づかれた様子は今のところない。
 屋敷へと向かった時よりもずっと速いスピードで進んだため、丘の上までたどり着くまでにそれほどはかからなかった。息を整えながら周囲を見回すと、右手の方向、木の隙間から、あの大木の隆々とした枝が姿を覗かせている。
「こちらへどうぞ」
「家……みたいですね」
 示された方を見て理沙が言葉を漏らす。周囲の景色に溶け込んで一瞬わからなかったが、村で見たのと同じ、茅葺の住居が木の中にたたずんでいた。
「はい、私の住まいです」
「あ」
 祥太郎は小さく呟き、もう一度大木の方を振り返る。この場所は、初めて会った時、ニコが走り去った方角に当たると気づいたからだ。
「お入りください。粗末なところで申し訳ありませんが」
 彼女は言って、木で囲まれた小さな入り口へと入っていく。
「足下にはお気をつけて」
 背を屈ませながらついていくと、下が斜めになっていた。慎重に下りた家の中は意外に広々としていて、半地下になっているため天井も高く感じる。
「ひとまずは安心……だと思います。みんなあまりここへは来ませんから」
 客人が周囲を観察してる間に、主は中央にある炉で火を起こし終えていた。光が隙間風に揺れ、円錐形の屋根にゆらゆらと影を投げかける。
「しっかし酷い目にあったな……どうして急に閉じ込められたりしたんだろう」
「ごめんなさい。きっと、わたしのせいなんです」
「どういう意味?」
 炎を見つめながらのぼやきに意外な反応が返ってきて、祥太郎は驚く。
「長や、村を守れなかったからです」
「もう少し、詳しく話してくれないかしら?」
 遠子がそう言うと、ニコは言葉を探すようにしながら話し始めた。
「……わたしはこの村の巫女を務めています」
「おおっ、やっぱマジで巫女ちゃんなんだ!」
「話が進まないから、ミコ太郎くんは少し黙っててね」
「ミ……」
 絶句した祥太郎に微笑み、遠子は話の先を促す。
「同じく巫女だったお祖母さんから聞いたことがあるんです。『神の山が赤く光る時、災厄が訪れる。だが燃えぬ雷とともに降り立つ人々がそれを祓うだろう』。……少し前のことでした。山のてっぺんが、突然赤く光り出し、それからしばらくして、長が病にふせられて……他にも、日照りや大雨が続いてるわけでもないのに作物の育ちが悪くなったり、獣の姿も見えなくなりました」
「どうして頂上が赤く光ったんだろうな?」
 才の疑問には、ニコは小刻みに首を振る。
「その光景がとても恐ろしくて……まだ誰も確かめられていないと思います」
 しかし、それから表情を少しだけ明るくして彼女は言った。
「でもその後、燃えない雷と一緒に、皆さんがいらっしゃって」
「だからニコちゃんは、私たちのことを『神様』って呼んだのね」
 初めて会った時のことを、遠子は思い出す。ニコは頷き、それからまた申し訳なさそうな顔をした。
「みんなも、おもてなしをすると言っていたのに、あんなところに閉じ込めるなんて……言っても聞く耳を持ってもらえませんでした。災厄を鎮める力がわたしにはなかったから、信用してくれていないのだと思います。そのせいで……ごめんなさい」
「そんなのミコ――ニコちゃんのせいじゃないって! あいつらが酷いってだけだろ?」
 しばらく無言で俯いていたが、堪えきれず励ました祥太郎に、彼女は力なく首を振る。
「皆、悪い人たちじゃありません。わたしたちはこの村で、力を合わせて生きてきました。ただ、災厄のせいで苛立っているだけなんです」
「……長殿は、今は?」
「お体の調子が優れないとのことで、御簾の向こうから出ていらっしゃらないそうです」
 遠子は答えを聞き、小さく頷くと呟いた。
「なるほど、ね」
 その時、火のはぜる音に、別の音が混じる。微かに聞こえるのは、複数の人の声のようだった。
「私たちが逃げたの、ばれちゃったみたいね。ニコちゃん、神の山って、ここから近いのかしら?」
「ええ、ここがもう山の入り口なので」
「申し訳ないんだけど、頂上まで案内してくれる?」
 ニコは少し不安げに顔を曇らせたものの、すぐに決心したように眼差しを遠子へと向けた。
「――はい」
 それからすぐに火を消し、こっそりと外へ出る。村人の声はまだ遠く、ここにいることは勘付かれてはいないように思えた。
「こっちです! 家を背にしながら向かいましょう」
 彼女の指示に従い、皆、少し腰を屈めた状態で進む。それから間もなくして木が密集した場所へと入り込んだ。
 ニコは一見でたらめに動いているようにも見えるが、実際に後をついてみると、他の場所よりもずっと歩きやすいのが理解できる。
「もう! ドレスが汚れちゃう!」
 そんな中、ひらひらとしたドレスの裾をぐるぐると体に巻きつけ、まるで蓑虫のような姿になったマリーの顔がどんどん曇っていく。
「マリーはいつだってそんな感じのドレスじゃんか」
 呆れたように言う祥太郎に、彼女はぷっと頬を膨らませた。
「いつもは結界でコーティングしてるんだもの。今日だって安心してたのに、無効化されちゃったし!」
 それほど険しい山ではなかったが、和装の才と遠子も、やはり動きにくそうにはしている。
 景色を楽しむ余裕は流石になく、しばらく黙々と進んでいると、遠ざかったはずの村人の声が、先ほどよりも大きく聞こえた気がした。
 振り返っても、その姿は見えない。しかし、確実に近づいているという感覚がある。
「ニコさんの家のあたりまで来てるのかも」
「ええ、そうかもしれません。でも、災厄のこともあって皆にも迷いがあるはず。――今のうちに急ぎましょう」
 そう理沙に答えたニコの顔にも、沢山の汗が浮かんでいる。彼女は唇を舌で湿らせると、細い山路を踏みしめて登った。
 背後の気配を気にしながらも、再び無言の時が流れる。微かな息遣いや、落ち葉が潰れる音が耳元でするかのような錯覚に陥ったが、鳥の声は聞こえなかった。
 それから二、三十分は経っただろうか。
「……あそこです」
 ニコがふと足を止める。ささやかに発せられた声であったが、無言に慣れた耳には少しだけ刺激が強い。
 彼女が指差す方向には、大地の切れ目と空が見えた。じっと見ていると、時折空がうっすらと赤くなるのがわかる。まだ茜に染まる時刻には早く、そもそもこんなに明滅するはずもない。
「あれか」
 才の言葉に、彼女はこくりと頷く。その表情は硬く、体も小刻みに震えていた。
「何があるかわからないから、ニコはここで皆と待ってて」
「あっ、あたしも行く」
 マリーと理沙が斜面を登り、慎重にそちらへと近づいていく。
 光っているものの正体は、地面に埋め込まれた小さな石だった。その表面に、葉脈のように張り巡らされた模様が赤く脈動し、光を放っている。
「マリーちゃん、どう?」
「……これ、マジックアイテムだわ。多分、ここ一帯のエネルギーの流れを変えて、力を奪ってる」
「あたしが取ってみようか?」
「駄目。普段のリサならともかく、力を失ってる今は、何が起こるかわからないもの」
 とりあえず何があるのかは確認できたが、現時点ではどうしようもない。一旦二人は、皆が待っている場所へと戻ることにした。
「……こうなったら直接、災厄の元凶を叩くしかないわね」
 マリーたちから話を聞いた途端、そう言ったのは遠子だ。
「遠子さん、元凶って?」
「決まってるじゃない。御簾の向こうから出てこない長よ。……でもその前に、突破しなきゃならないわね」
 振り返ると村人たちの姿は、小さいながら認識できるほどに近づいている。向こうから気づかれるのも時間の問題だろう。
「……さて、どうする?」
「あたしは強行突破でもいいですけど」
「つーか、それしかねーじゃん」
 祥太郎の問いかけに、理沙は指を鳴らし、才は溜め息をつく。
「わたしは手荒なことはしたくないんだけど、仕方ないわね」
 マリーはそう言いながらも、まだ蓑虫形態を解く気はないらしい。
「あの、わたしが皆を説得しますから……!」
 慌てて口を挟むニコの肩を、背後からとんとん、と叩く手。
「私にいい考えがあるわ」
 遠子は言って、悪戯っ子のような笑みを見せた。

 ◇

 男たちは押し黙ったまま、山を一歩一歩、登っていく。乾いた大地を踏み締める音が、木々の間にこだました。
 山に入ることを恐れているのは誰しも同じだが、長の指示とあれば仕方がない。
「いたぞ!」
 やがて先頭を行く者が鋭く声を上げる。前方で、細身の女がこちらを見下ろしていた。
「女だ! ――ひとりだけか!?」
 また別の者が声を上げる。次第に着物に描かれた花も鮮明に見えてくるが、近づかれても女は怯えの色一つ見せず、微笑んでいる。その余裕のたたずまいが、余計に彼らの不安を煽った。
「こんなところまでご苦労様」
 だが女はしれっと挨拶をし、それから懐に手を入れる。
 ――場に緊張が走った。しかしそこから取り出されたものを見て、男たちは判断に迷う。
 女の手にあるのは、小さな包み。白く細い指先は、迷うことなくそれを開ける。
「何をしている!」
 そこから舞う、煙のようなものを見て、ようやく危険を感じた先頭の男が女に掴みかかろうとした。――が、その屈強な腕が届く前に、男の体がゆっくりと沈んでいく。女はそれを見下ろしながら、さっと片手を上げた。
「走って!」
 掛け声とともに、茂みから次々と人影が飛び出し、脇をすり抜けていく。慌ててそちらへ対処しようとしたが、粘膜に当たるざらっとした感触に、男たちは取り乱した。
「これは!?」
「ぶふぁっ、何だこの臭い!」
 また女が、あの粉を撒いたのだ。
 動揺は呼吸をも乱し、得体の知れぬものの侵入を許してしまう。抵抗しようという思いも空しく、男たちの意識は急激に薄れていく。
 呻き声はやがて、ばたばたと人が倒れ伏す音へと変わっていった。
 最後の一人が倒れるのを確認しながら女――遠子は口元を着物の袖で覆い、山を一気に駆け下りる。倒れた男たちは戦いの最中ということも忘れ、彼女の撒いた眠り薬で夢の中だ。
「遠子さん!」
 祥太郎が短く言って木の陰から手招きし、すぐに口元を手で覆う。全員、遠子が渡した抗睡眠薬を飲んではいるが、なるべく眠りの粉は吸収しないに越したことはない。
 ある程度離れ、誰も追ってこないのを確認してから、皆ようやく大きく息をつく。
「まさかあんな隠し玉持ってたなんて……先に言ってくださいよ、遠子さん」
「使う時になったら言おうって思ってたから」
「それより……長が災厄の元凶だというのは、本当なのですか?」
 戸惑いを隠せないニコに、遠子は静かに目を向けた。
「ええ、そう考えるのが自然だもの。私たちを捕らえるように言ったのも、長殿でしょう?」
「ですが……」
「優しい人だったのね。長殿」
「はい。あまりお会いする機会はなかったですが、祖母もわたしも気にかけていただきました」
「それならなおさら、止めに行かなきゃいけないんじゃない?」
 遠子はそう言って、答えも待たずに歩き出す。
「……どんな結果が待っていたとしてもね」
 その呟きは、ニコには届かなかった。

 ニコの家付近でも男たちが数人待機していたが、静かにさせるのは苦もなく、それから長の屋敷まで誰にも遭遇することはなかった。
 ぐるりを囲む塀を一息に抜け、屋敷の奥へと駆ける。ニコの案内もあり、他の建物よりも立派な居宅はすぐに見つかった。
「どうなさった、客人」
 そこに乗り込もうとした矢先、部屋の中から飛び出すようにやってきて目の前を塞いだのは、最初に会った男たちだった。
「ニコ、これはどういうことだ?」
 問いかけられても彼女は上手く答えられず、黙って俯いている。
「客人って、私たちのことよね」
 その代わり、口を開いたのは遠子だった。
「当然でしょう」
「あなたたちのおもてなしって、お客を閉じ込めることを言うのかしら?」
「何を仰っているのやら」
 男は口の端を上げ、目を笑みの形に歪める。
「あちらでお待ちいただいただけでしょう。……ささ、お戻りください」
「でももう、宴は始まるんでしょう?」
「申し訳ありません。準備に手間取っておりまして」
「せっかくみんなでお散歩して時間潰したのに、まだかかるって」
 遠子は仲間たちに視線を送ってから、男の背後へと目を向ける。
 地面から高い位置にある床の先、部屋の奥のさらに一段高くなった場所に、御簾がかかっているのが見えた。
「あら、すてきな御簾」
 その奥には、動かぬ影。強引に近づいて覗き込もうとする彼女を、村人たちは遮る。
「なりません」
「あちらにいらっしゃるのは長よね? ご挨拶しないと」
「それはなりません。――皆、客人をお連れしろ!」
 男の呼びかけに応えて現れ、近づいてくる者たち。いつの間にか村人の数は増えており、すでに周りを取り囲まれている。山で遭遇した人数よりも、こちらの方が多い。
「これで皆さんお揃いね」
 だが、遠子たちはこれを待っていた。
「うわっぷ」
「いやっ!」
「ごほっ――これは何だ!?」
 それには誰も答えない。皆息を止め、口元を覆いながら、近づいて来る者たちに眠りの粉をぶつけていく。
 中でも身軽な格好をした祥太郎と理沙はジャンプをして床へと飛び乗り、もがく村人を追い越して広間へと突入した。そして素早く薬を御簾の向こうへと投げ入れ、庭へと引き返してくる。
 ――振り向けば、御簾の奥で影が動くのが見えた。
 一瞬の緊張と、続く爆発音。天井の一部が吹き飛ぶのを見て、ニコが悲鳴を上げた。そこから飛び出した人影は、重力を感じさせない動きで屋根の上へと降り立つ。
 煙がおさまった後に現れたのは、さらさらと流れる黒髪と、煌びやかな着物。まるで、平安絵巻から抜け出てきたかのような女だった。
「……小癪な」
 切れ長の目が、憎憎しげにこちらを見下ろしている。
「長……!?」
 ニコの目は、驚きに見開かれた。もちろんその人物が、彼女の知る長であるはずがない。
「本物の長殿はどうしたの?」
「そんなもの」
 遠子の問いに、女の口が、にぃっと頬まで裂ける。
「とっくに燃やしてやったわ。わらわがここを支配するには邪魔じゃからの」
「んー、ま、確かに美人っちゃ美人だけど。あんたみたいな性根の腐ったのに支配されたいなんて思うヤツ、いねーんじゃねーの?」
 才の軽口も、女は鼻先で笑い飛ばす。
「ふん、小童が粋がりおって。二百年の時を生きるわらわに楯突くとは」
 笑みを浮かべるその顔からは、それだけの齢は全く感じられない。
「なんだBBAか」
「誰がばばあじゃ!」
「怒るくらいならトシばらさなきゃいいのに。バカじゃないの?」
 未だに蓑虫なマリーが、呆れたように溜め息をつく。
「いかにも三下くさいよな」
 祥太郎もそれに乗っかれば、遠子が穏やかにたしなめた。
「三人とも、今がどういう状況だか、忘れてない?」
「……あ」
 思わず顔を見合わせた三人が視線を戻すと、女のこめかみがぴくぴくと引きつっている。
「ずいぶんと好き勝手を申すではないか。望みどおり――」
「先手必勝!!」
 その言葉を遮り、とにかく突進しようとした理沙の腕を、がっしりとつかむ手。
「えっ?」
 それは、ぐっすりと眠っているはずの村人のものだった。
 その目に理性の光はなく、ただ虚空を見つめたまま、彼女の腕をぎりぎりと絞る。
「――痛っ、やめてください!」
 しかしその訴えが届くはずもなく、力が緩むことはない。
 そして不気味な動きで近づいてくる姿は一つではなかった。眠っていたはずの全ての村人が立ち上がり、包囲網をじりじりと狭めていく。
「なんだこいつら!?」
 祥太郎が理沙の腕をつかむ女の手を引っ張るが、びくともしない。
「祥太郎さん、後ろ!」
「えっ? ――くそっ、離せ!」
 そのうち近づいてきたもう一人の女に、彼自身も捕らえられてしまう。
「なんて馬鹿力だ! みんな早く逃げろ!」
「そうしたいのはやまやまなんだが……遠子さん、どうします?」
「うーん……どうしようかしら」
「皆、あの女に操られてるみたいね」
 村人たちに合わせてじりじりと動いてはいるものの、逃げ場はどんどんと失われていく。
 ニコは端から相手にされていないらしく包囲網の外に置かれていたが、腰が抜け、恐ろしさに声も上げられないようだった。
 女は戸惑う皆を見て、高笑いを上げる。
「ほほほ……おぬしらが眠らせてくれたおかげで、精神を支配するのが容易くなったわい。礼を言うぞ」
 それから若干の抵抗も空しく、ついに三人も捕まる時が来た。
「さて、わらわの邪魔をした罪は重い。どう料理してくれようか――そうじゃ、まずは謝罪をしてもらおうかの」
 その姿を見てまた可笑しげに笑い、女はふわりと地面へと降り立つ。そして真っ赤な爪の先で、才、マリー、祥太郎を順に指差した。
「悪いことをしたら謝るのが道理というものじゃろう。でなければ天罰が下るもの。なぁ、小童ら?」
 それから恍惚とした表情で、じり、じりと三人へと近づいていく。
「ああ、どのような謝罪が良いじゃろうか。土下座か? それとも裸踊りか? いやいや、そんなものは生ぬるい。もっともっと――」
 ごちっ。
「あうっ」
 その時、頭上から降ってきた何かが鈍い音を立て、女の頭に命中した。
 女は思わずよろけて膝をつき、降ってきた物体は、ごとっと地面に落ちる。
「あ、俺のPC」
「貴様ら、一体何を――」
 女は慌てて体を起こすと、憎しみと痛みで歪んだ顔をこちらへと向けた。
 ずどん。
「ぐへぇっ!」
 その直後、今度は先ほどよりも巨大な物体が降ってくる。
「あら、消えた本棚」
 起き上がりかけた女は、もろにその下敷きとなっていた。
「あっ、『ゲート』!」
 そしてそれらを投げ落としたのは、空に開く黒い穴。
「……ん? 体が軽くなったぞ」
「うわっ、俺のPCが!」
 呟く祥太郎の隣で、才が悲鳴を上げる。その視線の先では、銀色のラップトップが書架に潰され、大きく変形していた。
 そして愕然としている人物が、もう一人。
「わ、わらわの秘術石が……」
 何とか書架の下から抜け出した女の手のひらの上には、粉々になった赤い石が乗っている。本棚とPCに挟まれ、すり潰されてしまったらしい。
「どうやら、今ので結界が壊れたみたいね」
 遠子が言うと、女は憤怒に満ちた面を上げた。
「き、さ、ま、ら――!」
 怒りは稲光となり、あたりにほとばしる。その一筋は庭にあった石造りの噴水に当たり、粉々にした。
「今度は、私たちの番よね」
 だが遠子は涼しげな顔で言う。すると彼女を捕らえていた手からすとんと力が抜け、男が崩れ落ちた。
 彼女が自由になった指をぱちん、ぱちんと鳴らすたびに、村人は次々とその場に倒れ伏していく。
「た、助かった……ニコちゃん大丈夫?」
「は、はい……わたしは、な、なんとか」
「痛かった……ちょっとあざになってる!」
「折り目がついちゃったわ。クリーニングに出さないと」
「うわ……ほぼ割れてる……」
 女は自由になった面々を見て、驚きの表情を浮かべた。
「何を――わらわの術を追い出したというのか!?」
「当然じゃない」
 遠子は言って、胸を張ってみせる。
「だって遠子さん特製のお薬が、この人たちの体に入ってるんだもの。――祥太郎くんお願い。彼らを避難させて」
「了解!」
 倒れた村人たちは、今度は次々と姿を消していく。
「ニコはここにいてもらったほうがいいかしら? 大丈夫よ、きちんと守るから」
 通常形態に戻ったマリーが扇を振れば、ニコの周りを見えない壁が覆った。
「マリーちゃん、前方から火炎!」
 その背中に、才の鋭い声がかかる。
「邪魔者は全て燃やし尽くしてくれるわ! ――何っ!?」
 波のように打ち寄せた業火が一瞬にして消え失せると、女は小さく声をあげ、すぐに新たな術の準備へと移った。
「次は稲妻だ! 真上と10時方向、2時方向!」
「任せといて!」
 しかし発動する直前で才に見破られ、空に突如現れた円形の闇に吸い込まれて消える。
「貴様ら、何者だ!?」
 流石に女の顔からは、余裕の色が抜け落ちていた。
「あなたも中々の術者だけれど、わたしたちのチームと当たってしまったのが運の尽きよね。行いが悪いから天罰が下るんじゃない?」
 マリーがここぞとばかりに言い返すと、女の表情はさらに醜く歪む。
 形勢逆転。今度は迫られる立場となり、じりじりと後ずさる女。
「こっちは行き止まりです!」
 だが逃げようと踵を返したその先には、祥太郎と理沙がいた。
 息を呑んだ一瞬で、その体は至近距離にまで移動する。理沙の手が、軽く女の鳩尾へと触れた。
「『ライトニング手のひら.com』!」
「――っはっ」
 そこから伝わった衝撃波により、女はあっさりと気絶する。
 急に訪れる静寂。ニコは信じられないという表情で、再び地面へとへたり込んだ。
「ライトニング――ドットコム?」
「えへへ、今名前考えちゃいました! 手のひらに気がこもってる感じも表現できてて、すごくないですか?」
「はぁ……まぁ」
 祥太郎は上機嫌な理沙に曖昧に答え、地面に横たわったまま動かない女を見た。
「すげーのは確かかな」
「間違いねぇ! あの『ゲート』は、アパートにつながってる」
 ハイタッチをする二人の向こうでは、『ゲート』をじっと見つめていた才の声が上がる。
「完全に閉じちまうまで、十五分ってところか。急がないと! この女はどうする?」
「さすがにこのままここへ放っておくわけにはいかないわよね。連れて帰って、マスターに任せましょう」
 遠子がマリーを見ると、彼女も神妙な顔で頷いた。
「わかってる。あんな厄介な術を使う輩だもの。気合を入れるわ」
 マリーは女のそばまで行くと、舞うように扇を動かし、厳かに告げる。
「イーア・イルス・イーヴェ――我、フォンドラドルードの盟約に連なる者なり。大地を抱き、天翔ける精霊たちよ、ここに集いて魔を封じる棺となれ」
 それから常人には聞き取れない速さの言葉を口から紡ぎ出す。それは軋むような音となり、あたりに風を巻き起こした。
「『常闇の結実<コアグレーション・オブ・ダークネス>』!」
 そして一際強く放たれた言葉とともに、小さな黒い炎が生まれ出る。それは女を囲む六つの点となった。昏い光がほとばしる度に、炎を頂点とした闇色の六角形が濃くなり、体を覆い隠していく。
 やがて風がおさまった後には、黒い結晶が地面に横たわっていた。
「マリーちゃん、理沙ちゃんに対抗してカッコいい演出してる間に、あと五分しかないぜ!」
「演出じゃないわよ! ドットコムと一緒にしないで!」
 才とマリーが言い合っている間に、理沙は結晶を片手でひょいと持ち上げる。
「二人ともドットコムを気に入ってもらえたのは嬉しいんですけど、落ち着いて。……才さん、あそこまで行ければ、帰れるんですよね?」
「ああ。この感じなら、『ゲート』の中にさえ入っちまえば、自然にアパートに戻れるはず。――祥太郎、頼んだ」
「OK」
 祥太郎も、大分小さくなった空の『ゲート』を見た。不満を並べ立てていたマリーも、流石に黙るしかない。
「ああ、そうだ、ニコちゃん」
 遠子はまだ呆然としているニコに向かって、小さな包みをいくつか差し出す。
「これ、解毒剤。眠ってる人たちは自然に起きるけど、もしあまり長く起きない人がいたら使って」
「本当に短い間でしたけど、ニコさんと友達になれてよかったです」
「とも……だち、だなんて。そんな」
「またどこかで会えるといいわね、ニコ」
「ニコちゃん! ――ぶっ」
 抱きつこうと手を伸ばした才は、袴の裾をマリーに踏まれ、地面へと顔面から突っ伏す。顔はひどい有様になったが、そのおかげでニコの緊張は少し解けたようだった。
「か、神様、本当に行ってしまわれるのですか? 長もいなくなられて、わたしたち、これからどうすれば良いのか――」
「ニコちゃん。あなたが長になって、この村をまとめればいい」
「そんな! そんなことわたし……できません!」
 涙を浮かべて取り乱す彼女に、遠子は優しく笑む。
「出来るわ。だってニコちゃんはこの村や村の人たちが大好きで、誰よりもみんなのことを考えていたもの。悪い術にも嵌ったりしなかったし、私たちのことも助けてくれた。そのおかげでもうすぐここ一帯は、肥沃な大地に戻る」
「で、でも……」
「じゃあ別に、みんなで頑張ればいいじゃない。何にしてもニコちゃんの先見の明は役に立つから」
「あと一分で閉まるぜ! 行かなきゃ!」
 才の切羽詰った声。祥太郎が意識を集中すると、才、マリー、結晶を抱えた理沙が一瞬にして転移した。
「元気でね。ニコちゃんならきっと、みんなを助ける巫女になれるわ」
 ニコの手を握り、手を振った遠子の姿もすぐに掻き消える。
「ニコちゃん、短い間だったけど、ありがとな!」
「神様――」
「祥太郎」
「えっ?」
「俺は祥太郎だ。『神様』じゃなくてさ」
 そして、祥太郎もこの地を離れる。
 その直前、ニコの口が何事かを呟くのが見えた気がした。

 ◇

 後日。再びのミーティングルーム。
「……はぁ、何だか疲れたわね。これがお正月ボケってやつかしら」
「絶対違うと思います」
 溜め息をつきながら言う遠子に、理沙が突っ込みを入れる。しかし皆、先日の疲れが取れない気分なのは同じだった。シミュレーターは結局、物置へと戻っている。
「おい、大変だぞみんな!」
 そんな気だるい午後の空気を破るように、ドアを乱暴に開ける音と才の大声が響く。
「元気だなー、お前」
「俺だってだるだるしてたい気分だけど、そうもいかなくなっちゃったの! ――とにかく、この動画見てくれよ!」
 ぶつくさ言う祥太郎から視線を外し、彼は皆が見られるよう、タブレットをテーブルの上に置く。
『……これは大きな発見ですね』
 再生された動画は、ニュース番組のようだった。
 キャスターの問いかけに、大学教授だという男が答える。
『はい、今までこの地域からは、全くこういったものは発見されませんでしたから』
 画面には地図と一緒に、『新たな遺跡発見!』というテロップが踊っていた。
『この村を治めていたのは、ニコという女性のシャーマンのようです』
 唐突に出た、聞き覚えのある名前。
 全員だるさもすっかり忘れて画面の前へと集まってくると、食い入るように見つめ始める。
『彼女は神の声を聞いて村を発展させ、災害を防いだとも言われています』
「これ……じゃあ、わたしたちが行ったのって……?」
『当時祭られていた神像も出土したとのことですよね』
 思わず呟いたマリーに構わず、映像の中では、アナウンサーと解説のやり取りが続く。
 そこには、土で出来た像がアップになっていた。
 円筒形の体から、枝のようにうねうねと伸びる十本の腕。その中心には、形の崩れた五つの顔らしきものが見える。
『はい。これはどうやら、「ショータロー神」と呼ばれていたようです』
「……邪神の像じゃねーか」
 ぽつりと漏れた祥太郎の言葉で、部屋の中はどっと笑いに包まれた。

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