騎士と姫君(中編)

 荒い息が二つ、流れる曲の合間に混じる。
「はぁっ、はぁっ……こっち!」
 少年が指差した方向に、少女は黙って従った。
 少年とて道を知っているわけではない。少女に比べて幼く、背も小さかったが、それでも見知らぬ町で彼女を導こうと必死だった。
 彼の丈に合わない黒い服も、その手に引かれる淡い水色のドレスもあちこちが汚れ、破けている。二人とも町の様相を不気味に思う余裕はなく、ただ逃げなければという思いのみに突き動かされていた。
「あっ」
 少女の疲れた足が段差に引っかかる。そのまま硬い地面へと転び、手と膝を打った。
「姫様!」
 戻ってきた少年に、うなだれたままの頭が振られる。その表情は長い栗色の髪に遮られて見えない。
「もういいのです、ガルデ」
「なにがいいんだよ!」
 ガルデと呼ばれた少年は、急いで彼女を助け起こした。
「貴方がわたくしと逃げる理由など、何もないでしょう?」
「そんなことないって、何回も言ってるじゃないか!」
「……もう疲れましたの。わたくしを置いて貴方だけお逃げなさい」
「そんなことできない! そもそもおいらたちのせいで、姫様がこんな目にあってるんだから!」
 姫と呼ばれた少女は、もう一度ゆっくりと首を横に振る。
「貴方たちのせいではありません。それに貴方は、こうしてわたくしを守ろうとしてくれた。――もういいの。お逃げ」
「姫様!」
「ありがたいお言葉、素直に受ければ良いのではないか?」
 二人だけだった空間。唐突に、低い声が割り込んできた。
 慌てて振り向けば、そこにはいつの間に現れたのか、黒服の男がいた。
「我らは姫さえお迎えできればそれで良い。裏切り者の小僧など要りはせぬ」
 男はフードに半分隠された顔に笑みを浮かべ、ゆっくりこちらへと向かってくる。
「姫様、早く!」
 ガルデは姫の腕を強く引く。彼女もされるがまま立ち上がり、よろけながらも走り出した。
「無駄なことを」
 男は小さく言って笑い、フードをさらに深く被る。
 その姿は虚空へと溶けるようにして消えた。

 ◇

 コントロールルーム。
 そこでは、壁一面に張り巡らされたモニターに無人の街が映しだされていた。
「カメラはどうだ!?」
「今頑張ってフル稼働させてます!」
「3丁目2番地で奇声が聞こえたとの報告!」
「そこならザラさんたちでしょ? 他にないの?」
「今のところは……」
 数名のスタッフが忙しなく動いている中、ドアが開く音がする。新たに入ってきた二人を見て、マスターが微笑んだ。
「もう動いて大丈夫なのかね?」
「ええ、無理をしなければ。エフィーゼさん、ここに座って」
 遠子は女――エフィーゼを近くにあった椅子へと誘導していく。
 鎧を外し、ふわりとしたワンピースを着ていると体格のよさが際立つが、細い腕に支えられて歩く足取りはまだ覚束ない。
 彼女は周囲の光景へぼんやりと視線を向けたまま、ゆっくりと腰を下ろした。
「これは……」
「町の様子を映し出したものね」
「町……の」
 驚きを隠せない様子の彼女に、マスターは優しく声をかけた。
「エフィーゼさんと言ったね。まだ体調が戻らないところすまないが、貴女に何が起こったのか、覚えている範囲で教えてはくれないだろうか」
 エフィーゼは何度かまばたきを繰り返した後、我に返ったように言った。
「……ああ、申し訳ない。先ほど遠子殿から、こちらが我々の住む世界とは全く違う場所なのだということを聞きました」
 それから自分の中で確かめるように何度か視線を彷徨わせた後、再び口を開く。
「本日――ではないのかもしれない。ともかく我が国オウンガイアの姫君、リドレーフェ様のご生誕十六年目のパーティーが行なわれた日のことです。近隣諸国からも多くの来賓が訪れ、城内だけではなく、街も大変な賑わいとなりました。……しかし、そもそもの懸念があったのです」
「懸念とは?」
「オウンガイアでは、王位継承者が齢十六となった時に、『神器』という聖なる印が神殿より下されます。それはまだ形なき盾であり矛。主が真に信頼する者と出会え、聖なる騎士と認めた時、神器は騎士専用の武具となります」
「つまり、騎士になる人に渡る前だと、悪用されちゃう可能性もあるってことかしら?」
 遠子の言葉にエフィーゼは頷く。
「姫様が儀を行なわなければ神器は発動することはありません。しかし、イディスという国にはきな臭い噂が流れており……我々も警戒し、パーティーを内々で行なうことも検討されたのですが、伝統のある催しであったために、結局従来どおりとなりました」
 しばらくは和やかにパーティーが進んだと、彼女は語る。
「イディスからの祝いでは、子供たちが登場しました。少年少女が花束や菓子を持ち、顔を輝かせながら祝辞を述べる姿に姫様も心を動かされていたようであったし、我々も何かあったとてすぐに取り押さえられると思っていました。――油断していたとしか言いようがない!」
 祝辞の最中、突然一人の少女が抱えていた花篭の中から煙が噴き出した。それを機に、あちらこちらから煙が発生し、視界は真っ白に閉ざされた。
 エフィーゼはすぐに姫のもとへと走り、抱え込むようにしてその場を離れたのだが、混乱に陥った城内を移動するのは容易いことではなかった。
「あと少しで脱出が出来るというところで、姫様とはぐれてしまったのです。急いで戻りましたが、銃撃を受けて意識が途切れてしまい」
 彼女はそこで喉を詰まらせる。
「私がこちらへと来たのなら、姫様もこちらへと来ているはずです。――いや、必ずいらしている」
 最後の言葉は、確証があるというよりも、まるで自分に言い聞かせてるかのようだった。
「私も、その可能性は十分にあると思う」
 マスターの言葉に、エフィーゼははっと顔を上げる。
「貴女が通ってきた『ゲート』――こちらとあちらを繋ぐ扉のようなものだね、その規模から考えると、貴女一人だけが来たとは考えづらい」
 その表情が明るくなっていくのを見て、マスターは頭を振った。
「だが安心は出来ない。貴女たちの敵もこちらへとやって来ている可能性は高い」
「マスター、不審な人物を補足!」
 その時、映像をチェックしていたスタッフの一人が声を上げた。
「――が、消えました!」
 慌ててモニターに近づくと、そこには白い塀しか映ってはいない。
「録画したものを出してくれ」
「はい」
 映像を少し戻すと、そこには黒服の男が一瞬だけ映し出されていた。目深に被ったフードでさらに顔を覆うようにすると、その姿が掻き消える。
「どうだね?」
 エフィーゼはしばらく画面をにらみつけ、唇を噛んだ。
「……イディスの者と思われます」
「恐らく、あの服で姿を消し、混乱に乗じたのだろうね」
「何やら怪しげな武具を作っているとの噂でしたが、あのような代物まで――!」
「けれど、これでお姫様もこっちに来てる可能性は高まったかもね。――でも、助けに行くのはなしよ。ここがどこだかすらわかってないでしょう?」
 いても立ってもいられず動こうとしたエフィーゼの腕を、遠子がしっかりと掴む。それを振り解こうにも力が出ない。体の痛みはほとんどなくなったが、戦いなど出来る状態ではないのは、本人が一番よくわかっていた。
 ぎりぎりと歯を噛み締める彼女に、マスターは穏やかに言う。
「貴女の気持ちは理解するが、今はどうか、私たちを信頼して欲しい。――才君、『ゲート』の解析はどうかね?」
 『コンダクター』に語りかけると、少しの間をおいて返事が返ってくる。
『大体終わりっすね。後はマサさんにお任せでも』
「では、こちらを手伝って欲しい」
『へーい』
 それから隣の部屋でがちゃがちゃと音がし、扉を開けて才が現れた。
「あっ、おねーさん、元気になって何より。その服、遠子さんの? 似合うじゃん!」
 エフィーゼは顔のほぼ半分を覆っている黒いゴーグルを見てぎょっとし、自らの服装に改めて気づいて顔を赤らめる。上手く状況についていけないのは、体だけではなかった。
 マスターは遠子の手を借り、再び椅子に座る彼女を見てから、コントロールルームにいるスタッフへと視線を向ける。
「では、そろそろ作戦を始めるとしようか」

 ◆

「はぁっ……はぁっ……姫様、大丈夫?」
「わ……わたくしは、平気です……わ」
 強がってはみるものの、上手く言葉にはならない。ガルデも隣で荒い息を立てながら俯いている。細い路地の中にひっそりとある建物の陰に隠れて周囲をうかがうが、誰もいないようだった。向こうも土地勘がないせいか、ひとまずは撒くことが出来たようだ。
 この見知らぬ町に迷い込んでから、どれだけの時が経ったのだろう。パーティーの前に朝食をとって以来、何も口にしていない。日差しは強くはないが蒸し暑く、汗が一向に引かない。喉もからからに渇き、頭がぼんやりとした。
 リドレーフェは座ったまま背後を見る。小ぢんまりとした家のカーテンは閉まっていて、誰の気配も感じられない。そもそも町の様子からして住人がいるのかも怪しかったが、もしかしたら食料や服などは置いてあるかもしれない。続く逃走劇により衣服の痛みも激しく、二人の体にもあちこちに傷が出来、血が滲んでいた。
「ガルデ、少しここで待っていなさい」
「姫様!?」
「そんな顔をしないの。少し家の中を見てくるだけだから」
「ダメだよ! それならおいらも行く!」
「あのね、ガルデ」
 見張りも必要だ、とリドレーフェは言おうとしてやめる。そもそもこの状況でそれが意味をなすかはわからなかったし、一緒に行動した方が得策のようにも思えたからだ。
「……わかりました。では、一緒に参りましょう」
「うん!」
 二人とも疲れ果てていたが、新たな目標ができたことで、少しだけ元気が湧いてくる。
「おいら、先に行くよ。姫様に何かあったら困るもん」
「そう。ありがとう」
 そうしてガルデを先頭に、赤い屋根の家へ二人はそろそろと近づいていく。だが表から見える窓も扉も、しっかりと鍵がかかっていた。
「裏に回ってみよう」
 それから塀と壁の隙間のような庭を横歩きで進んでみたが、そちらには何もなく、高いところに同じくしっかりと閉まった小窓があるだけだった。
 結局二人は、また正面へと戻ってくる。
「おいら、ちょっとした鍵なら開けられるんだけど、これは難しいやつだ。窓の方が何とかなるかも」
 今度は扉を少しがちゃがちゃとした後、ガルデは小声でそう言って、窓の方へと移動した。張り付くようにして調べる少年の姿と、それを見守る少女の姿が、ガラスに映り込む。
 幼い頃、よく城を抜け出しては街へと行き、同じ年頃の子供たちと遊んでいたことをリドレーフェは思い出す。今となっては会うこともなくなってしまったが、あの時の遊び仲間は元気にしているだろうか。
 父や母、大臣や兵士、様々な人の顔が浮かび、最後にエフィーゼの顔が浮かんだ。彼女は身を挺して自分を守ってくれた。無事でいるのだろうか。また、会えるだろうか。
「……姫様?」
 顔を上げると、ガルデの困惑した表情があった。
 自分よりも小さい彼が、こうして自分のことを案じてくれ、守ってくれようとしている。こんなところで挫けている場合ではないと、口を笑みの形にする。
「いえ、何でもないの。鍵は――」
 言いながら、視線が再び窓に向く。体の方が先に動いていた。
「ひめ――」
 爆音と破砕音。
 ガラスを割った弾丸は、突き飛ばされたガルデの黒い髪も一房、引きちぎっていった。
「命拾いしたな、小僧」
 舌打ちと共に現れたのは、あの黒服の男。その鋭い眼光は、反動で尻餅をついたリドレーフェにも向く。
「姫様に手を出すな!」
 ガルデは急いで立ち上がり、リドレーフェのもとへと駆け寄ると、背後にかばって男と対峙する。
「勘違いをするな。害する気などない。我々は姫を迎え入れるだけだ」
「迎え入れたいのはわたくしではなく、神器でしょう?」
 リドレーフェが皮肉交じりに言うと、乾いた答えが返ってくる。
「ああ。でもそれを得るには姫の力も必要なのだから同じことだ」
「わたくしが貴方がたの言うことを聞くとでも?」
「無論、聞いてもらうとも」
 男は言って、にやりと笑う。
「聞かせる手段は幾らでもある」
「そんなこと、させない!」
 ガルデは両手を大きく広げた。
「邪魔立てするなら元仲間とはいえ消すぞ、小僧」
「仲間なんかじゃない! おいらのこと騙したじゃないか! 姫様にこんなひどいことするなんて聞いてなかったぞ!」
「当然だろう。お前に計画を話して何になる。お前も無邪気に喜んでいたではないか。姫様とお近づきになれると。餓鬼の癖に色づきおって」
 ガルデはぎりぎりと奥歯を噛む。浮かれていたのは事実だ。身寄りのない子供の自分に、突然舞い込んできた大きな話だった。今ならわかる。だから利用されたのだと。
 他の皆はどうしただろうか。真っ白な煙の中、姫の姿を見つけて追いかけたら、いつの間にか知らない町で二人きりだった。
「こっちに来るな!」
 銃口を向けられ、恐くて体が震える。その時、後ろからそっと手を握られた。震える手を握り返すと、手のひらが熱くなる。
 何事かをぶつぶつと呟いていたリドレーフェが耳元で囁いた。言われている意味がさっぱりわからなかったが、夢中で何度も頷く。
「何をしている!」
 男が銃をこちらに向けたままで怒鳴った。しかし背後にリドレーフェがぴったりとくっついているため、撃つのをためらっているようだ。そう思い至ると、恐怖と緊張がない交ぜになって耳まで熱くなる。
「我、神器エレスヴァイスが主、リドレーフェの名において命ずる。これよりこの者を神命騎士とし、そなたの力を貸し与えよ!」
「ひ、姫様」
「御意、と。――早く!」
「ぎょ――御意!」
「やめろ!」
 男が銃を撃つ。
 しかしそれは、二人の手のひらから漏れ出した光に阻まれた。鉛の玉はスピードを失い、ことり、と地面へ落ちる。
 光は白銀の帯となって周囲を幾度か跳ね回った後収束し、形となっていく。
 やがてガルデの手に現れたのは、小さな銃だった。
「ど、どうだ、これでおいらは姫様の騎士だ! お前なんか恐くないぞ!」
 銃を構え、男へと向ける。その先が小さく震えた。
「どうした? その玩具のような銃で我を撃つのだろう?」
 男が再び銃を構える。引き金を引かせたのは、姫を守らなければという思いだった。
「何だ、それは?」
 もう一度指に力を込めたが結果は同じ。銃口から発せられた白い光が、男の黒服の上で揺れるだけだった。
「やはり玩具か。餓鬼には玩具で十分ということか!」
 男の目が、怒りに燃える。
「そんな玩具にするために、貴重な神器を使ったのか! 我らがために使われるはずだった神器を!?」
 銃声が響く。銃弾は土がむき出しになった地面へとめり込んだ。三度、銃口がガルデへと向けられる。
「殺してやる――殺してやる!! 貴様もその娘も用済みだ!」
「はいっ、そこまで!」
 唐突に割り込んできたのは、華奢な背中と軽やかな声だった。男の体は軽々と吹き飛び、そのまま向かいの家の塀へと激突する。
「あうっ」
 背中を強打した男は、口から空気を吐き出しながら、ずるずると地面へ崩れ落ちた。
「理沙ちゃんナイス!」
「祥太郎さんもナイスサポートです!」
 笑顔でハイタッチをする祥太郎と理沙を、ガルデとリドレーフェは呆然と見つめた。
「いやー、警報機仕掛けてあった家で良かったなぁ。つーかここら辺、ほとんど無人の地区なんだって?」
「予算もないし、人手も足りないから、色々大変らしいです」
『……そういう話は、また今度にしてくれ。祥太郎君、二人をとりあえずミーティングルームへ』
「了解!」
 マスターの指示に頷き、祥太郎が意識を集中させた時だった。
『待て祥太郎! ――あ、いや』
 才の声が『コンダクター』から漏れ聞こえてくる。
「姫様はおいらが守る! あっちへ行け!」
 注意が逸れた一瞬を突き、ガルデの神器が光った。
「――へっ!?」
 その光に押し出されるように、路地を滑っていく祥太郎。
「あ、あのちょっと? 理沙ちゃん、助け――」
「祥太郎さん!」
 その姿はあっという間に見えなくなる。
「あの、二人とも落ち着いてください? あたしたちはですね」
「お前もあっちへ行け!」
「ちょっと、話を――」
 理沙は慌てて事情を説明しようとするが、同じように神器の光によって遠ざけられた。
「姫様、こっち!」
 それからガルデは気を失ったままの男から黒服を剥ぎ取り、自分とリドレーフェに覆い被せる。
「――っと。あの銃は何なんだ」
「二人がいません!」
 それから数分後。祥太郎と理沙がようやく合流し、転移してきた時には、すでに二人の気配は消えていた。
「才、お前が急に声上げるからこんなことになったんだろ! どこに行ったかわかんねぇのかよ!?」
 祥太郎の言葉に、『コンダクター』から申し訳なさそうな声が返ってくる。
『……いや、すまねぇ、今んとこはさっぱり。でも、別のことはわかった』
「別のことって?」
『イディスとかいう国の連中は、他にもいるってことだ。……ちょっと面倒なことになってきたな』

 目次