騎士と姫君(後編)

「姫――姫様はどうなったのですか?」
 エフィーゼが悲痛な声を上げる。思わず椅子から滑り落ちそうになった彼女を、遠子が支えた。
 モニターの一つに、理沙の『コンダクター』から送られた映像が映る。そこには横たわる黒服の男と、所在なげに立つ祥太郎の姿だけがあった。
「どうやらお姫様たちには、祥太郎君と理沙ちゃんも敵に見えちゃったみたいね」
「イディスの者もまだ存在すると。才殿、どういうことなのです!?」
 背後から襟首をつかまれ、体をがくがくと揺さぶられる才。
「さ――さっき黒パーカーを着た男の姿が浮かんだから警告しようとしたんすけど、別の場所にいた奴だったのを勘違いしちまったみたいで」
 苦しげなその声に、『コンダクター』越しのため息が重なった。
『ったくお前の予知能力は相変わらず人騒がせだなー』
『予知能力じゃなくて、才さんが人騒がせなんじゃないですか? ……まあ、もし本当にこっそり襲い掛かられてたら危なかったかもしれないですし、お姫様たちは頑張って探しましょう!』
『それこそお前の予知で何とかなんねーのかよ?』
「範囲が広すぎて……さっきは偶々意識が合っただけだし」
『ったく、お前の予知は以下略』
「仕方ねーだろ! その代わり応用が利くからコンピューターと合わせたりして色々役に立ってんの! 町にも実装しようと思えばできんだから、文句言うなら予算をよこせよ!」
「だからそういう話は後でしようじゃないか。祥太郎君、理沙君、何が起こったのか報告してくれ」
 いつものやり取りの中にマスターが口を挟むと、理沙の思案顔がモニターにアップで登場する。
『えっと……お姫様と一緒にいた男の子が銃を持っててですね。そのビームが当たったら、あたしたち遠くに押しやられちゃったんです。その隙に、敵さんの黒い服を奪って、姿を消しちゃったみたいで』
「男の子? 何者ですか、それは?」
 そこにエフィーゼが険しい表情で割り込んだ。驚いた理沙の姿が遠ざかる。
『よくわかんないですけど、仲良さそうにはしてました』
「仲が良さそう……姫様と?」
 一転考え込む彼女を尻目に、マスターは二人へと指示を出した。
「とにかく、その倒れた人物をこちらへ……そうだな、ひとまずテストルームへと運んでくれ」
『了解!』
 祥太郎の返答を聞き、一旦通信を切ったマスターに、スタッフの一人が声をかける。
「マスター、どうします? プランCに移行しますか?」
「いや、うちのアパートの管轄は非戦闘員がほとんどだからね。無人地区も多いし、それは最終手段だ。ザラ君たちの――」
「ならば私が!」
 言いかけた言葉を遮ったのは、またしてもエフィーゼだった。
「どうか、私に行かせてください! 私であれば、姫様もきっと話を聞いてくださるはずです!」
「それはそうかもしれないが――」
「でも、危険だわ」
「それなら尚更!」
 彼女は諭す遠子へと、力強く目を向けた。
「イディスは私たちの敵なのです! これ以上皆様にご迷惑をおかけするわけには参りません! どうか、どうかお願いします!」
「ごめんなさい、言葉を変えるわね」
 遠子はそんな彼女を見て、小さく息を吐く。
「あなたにその状態で出て行かれても、かえって足手まといになるの。わかるわよね?」
「それは……」
 率直な言葉は、鋭く胸をえぐった。エフィーゼは言葉を失い、唇を震わせる。
 だが、それが冷静な思考を取り戻させた。
「……遠子殿の仰るとおりです。申し訳ない」
「そうだね。でも、エフィーゼさんの言葉なら届くというのも事実だろう」
 マスターは言って、戸惑うエフィーゼに微笑んだ。
「少し作戦を変えよう」
 それから『コンダクター』に触れ、新たな場所へと通信を繋げる。
「……ザラ君、マリー君」
『ハイ、マスター?』
 すると陽気な声が返ってきた。
『さっきからずっとタイキ。ワタシ、待ちくたびれたネ』
「色々とあったものだから、すまないね。これから、エフィーゼさんという方が、彼女たちの故郷の話をするから、それを聞いてくれるかな?」
『OK、任せておくネ。――ハロー、エフィーゼ? ワタシはザラね。ヨロシクネ!』
「あの、作戦とは、どういう……?」
「まあ、慌てないで」
 モニターに映し出された笑顔に戸惑い、助けを求めるように視線をよこす彼女に、マスターは片目をつぶってみせる。
「ここからがイリュージョニスト、ザラの真骨頂だ」

 ◆

「きっともう、大丈夫」
 途中見つけた小さな公園の茂みに身を隠しながら、ガルデはリドレーフェに言う。手をかざすと一定時間水の湧き出る不思議な泉もあり、そこで喉を潤すことも出来た。
「でも、ハラ減ったな……」
 何かが満たされれば、別の何かが問題として浮き上がってくるのが人生の常というものだ。先ほどから腹の虫が鳴っておさまらない。
「パーティーで食べてくれば良かったのに」
「だっておいらたち、食っちゃいけないって言われてたんだもん。あんなごちそう、めったにお目にかかれないのに!」
「そう」
 空腹なのは二人とも同じだったが、まだ愚痴る相手がいる分、ましというものだった。
「じゃあ今度、わたくしから料理長に言って、ガルデ用のご馳走をたんと作ってもらうわ」
「ほんと! やった!」
 機嫌が上向いた彼を見て、「もし帰れたら」という言葉は慌てて飲み込む。
 今居る場所がどこなのかは一向にわからなかったが、その手に握られた小さな銃が二人の命運を握っているのは確かだった。
 神器は授かる者によって大きく姿を変え、その使い方は使用者にしかわからない。普段はゆっくりと時間をかけ使い方を模索し、学んでいくものなのだとリドレーフェは父から聞かされていた。イディスの者ではない、妙な輩の登場に一時はどうなることかと思ったが、ガルデが偶然にも神器の使い方を理解するきっかけとなったのは、不幸中の幸いといえよう。
 じりじりと時間は過ぎていく。人の気配がない分、鳥の声がよく聞こえた。
「……あら?」
 焦りと空腹に突き動かされるように茂みから顔を覗かせると、そこに妙なものを見た気がして、思わず小さく声が出た。
「姫様、どうした?」
「いいえ、なんでもないわ。……ああ、蝶が飛んでたから少し驚いただけかも」
 指差すほうに、真っ白な蝶が飛んでいる。ガルデは「なぁんだ」と言ったが、リドレーフェの中ではかえってもやもやとしたものが大きくなってしまった。
「姫様?」
 つい、茂みの中からふらふらと歩き出していた。公園の入り口から通りへと顔を出すと、蝶はひらひらと上下に舞いながら、その先の角を曲がろうとしている。
「姫様、危ないって。またあいつらに見つかったらどうすんだよ!」
「やっぱり――気のせいではないわ」
「何がだよ、姫様!?」
「間違いない。オウンガイアシラユキよ!」
 それは故郷、オウンガイアに生息する蝶の名だった。花の蜜を求めて数多く舞うその姿が、季節はずれの雪に見えることからつけられたものだ。国章にまで描かれているが、子供たちはそんなことはおかまいなしに追い掛け回すし、リドレーフェ自身も例外ではない。それだけ誰にとっても身近な存在だった。
 あの蝶の姿があるということは、この奇妙な町も、オウンガイアからそれほど遠くない場所にあるに違いない。そう思い、ガルデの制止も振り切って走る。
 息を切らせて角を曲がった先には、思いもよらなかった光景が広がっていた。

 ◇

『……その先には、白壁が坂道に沿って連なっていて、道はうねりながら城まで続いています』
「白いカベ、ツルツル? ザラザラ?」
『どちらかというと、ざらっとしていました』
 エフィーゼの話を聞き、ザラは少し目を閉じる。
「OK。じゃあ、空気はカラカラ? ジメジメ?」
『海が近くにありますし、今の季節はそちらからの風が通るので、少し湿っています』
「OK。――こんなカンジ?」
 彼女が左手でステッキをくるりと回してから、反対の手のひらを軽く叩くと、その上に町のミニチュアとでも呼ぶべきものがぼうっと現れる。
 それを見て、『コンダクター』の表面に映るエフィーゼは目を見開く。それは手のひらに現れた小さな町への驚きからだけではなかった。
『はい……まさにそうです。まるで私どもの町をご存じかのようだ』
『ザラ君の得意技でね。私も経験したことがあるが、頭の中を覗かれているような気分になるよ』
「ヒトギキ悪いね。ちょっとしたイマジネーションよ。……さてさて、ここからはちびっこの出番ネ」
「わ、わたし?」
 突然矛先が自分に向き、マリーは目を瞬かせる。
「これから、このファントムを町にひろげるから、ちびっこのマジックでコーティングするネ」
「ああ。――えっ?」
 最初の手はずでは、『アパート』の管轄地域と外を繋ぐ道の封鎖を術で強化し、後はその時々で対応することとなっていた。ザラはさらっと言ったが、それが管轄地域全体となると相当な労力がかかる。
「ちびっこのマジックコーティングで、プリンセスたちにファントムをもっともっとリアルに感じてもらって、お上手にエフィーゼのところまで行ってもらうよ。バトルになっても危なくないし、一石二蝶々ネ!」
「簡単に言わないでよ! 儀式に時間がかかっちゃうし、ザラの術にかぶせなきゃいけないんでしょ? そんな高度なの――あと一石二蝶々じゃなくて、一石二鳥」
「やるしかないネ。ダイジョーブ、トーキョーとか、ジャパン全部とか言ってるわけじゃないネ。ちびっこももうステキなレディだから、絶対できるよ!」
「そんな無責任な!」
「ダイジョーブ」
 もう一度、ザラは同じ言葉を繰り返す。
「ワタシだって、いつもケッコー、イッパイイッパイよ?」
「慰めにならないわよ!」
「だってね、どんなに大人になって、パワフルなっても、タイヘンも、コワイも、みんな同じよ? だけど、アンズルーよりヤスシー強いね。みんな、そやってナントカカントカ乗り越えていくものなのよ」
「でも……あと、案ずるより生むが易し」
「イイワケはナシナシね! ダイジョーブ、何かあっても、マリーには支えてくれるナカマがいるからネ!」
「……わかったわよ」
 こうやって押し問答していても、時間だけが過ぎていく。その間に事態は深刻化してしまうかもしれないのだ。
「やるしかないのよね。わかった、やってみる」
「ダイジなのはギシキじゃない、マリーが何をしたいかってことよ。それがダイジね」
 マリーは頷き、扇を広げる。フォンドラドルード家に代々受け継がれてきたもので、儀式を短縮するのに役立ってくれる。高速詠唱を繰り返し、意識を研ぎ澄ませた。
 彼女が認識している魔術の世界は、カラフルな糸が絡み合った織物に似ている。それに働きかけ、変容させるのが『結界師』の力だ。儀式や集中で高められた力は、明確な意図、あるいは『綻びの言葉<ヒドゥン・スレッド>』と呼ばれる呪をきっかけとして発動する。普段は儀式の最中に自然と浮かんでくるその特別な言葉も、今はただ待つというわけにはいかなかった。紡がれた糸の中に隠された糸を捜しに、マリーの意識は飛翔する。
 体温が上がり、息が苦しくなった。初心に戻り、呼吸を整える。焦りと不安、痛む頭に集中が途切れそうになる度に、自分を叱咤して呼び戻した。
(――大丈夫、ザラやみんながいる)
 そうして、数分とも何時間とも感じられる時の流れの後、マリーは『それ』にたどり着いた。
 息を大きく吸い、解き放つ。
「『追従回廊<ホーミング・コリダー>』!!」
 マリーの影が長く伸びた。それは巨大な手のように膨れ上がり、ザラの幻を包み込む。オーロラのように手のひらで揺らいでいたそれは、影と溶け合い、よりリアルな質感を持ち始めた。
「マリー! エクセレント! Wow!」
 ザラはとびきりの笑顔を見せた後、ステッキをくるくると回す。
「ではでは……えーと、イッツアイリュージョン! ポンポポーン!」
 それから、幻をボールのように空へと打ち上げる。
 幻は弧を描いて飛んでいき、少し先の建物の陰へと落ちた。するとぽん、と気の抜けた音と共に輝きが放たれ、日本の住宅街が、異国の城下町へと変わり始める。
「すごい。……けど、相変わらず適当なのね」
 以前見せてもらった別の術も、その場で考えたかのような言葉や振りとともに発せられていた。しかし彼女にとっては呪文など何でも良いのだろう。マリーへのアドバイスの通り、一瞬の集中力の凄まじさが見て取れる。
「このままワタシ、ファントムをひろげるから、マリーもがんばるネ!」
「……善処するわ」
 結界はザラの術にあわせて拡大していくはずだ。それは任せておけばいい。しかし結界の維持は続けなければならない。少しの気の緩みが術全体の瓦解に繋がりかねないと思うと、また不安が大きく首をもたげてくる。
「マリー」
 それを見越したかのように、ザラが声をかけてきた。
「余計なこと考えないね。目の前のやることだけ考えて、五十歩百歩よ」
 彼女にとっても決して楽な作業ではないはずだ。でもいつものように明るく振る舞い、こちらを気遣ってくれる。
「一歩一歩でしょ。――オーケー、任せておいて!」
 自らをも鼓舞するかのように力強く言い、マリーは改めて意識を集中させた。

 ◆

「……メレスティラだわ」
 リドレーフェはぽつりと呟く。故郷の、その町の名。
 蝶はひらひらと、懐かしい景色へ彼女を誘う。
「姫様、待って!」
 ガルデも急いで後を追う。一瞬足を取られそうになり下を見ると、平らだった地面は石畳へと変貌していた。白い壁が続く道も、微かに鼻をかすめる潮の香りも、彼自身覚えがあるものだ。
「ねぇ、姫様、何かヘンだって!」
「どうして?」
「だって、誰もいないし……」
「誰もいないのは、さっきだって同じだわ。景色が戻っただけでも、きっとまだましよ」
「そうかな……?」
 けれど、胸に広がる違和感は、どうしても拭い去れない。
「やっぱり怪しいよ。戻ったほうがいいって!」
「いや」
 唐突に、リドレーフェは足を止める。
「いやよ。わたくし、もうあんな場所には戻りたくない」
「姫様……?」
 彼女は振り返らない。その声は、小さく震えていた。毅然とした態度の奥で、ずっと恐ろしさを我慢してきたのだということに、ガルデは初めて気づく。
「わかったよ、姫様」
 ガルデはリドレーフェを追い越し、後を見ないままで手を差し伸べる。
「行こう。おいらがきっと守ってやる。おいらは姫様の騎士だからな!」
「……ありがとう」
 言ってリドレーフェはそっと涙を拭い、まめだらけの手を握り締めた。

 それから二人は緩やかな坂道を上っていく。立ち並ぶ商店には、やはり誰の姿もない。
「やっぱり……変よね」
「それはさっき言っただろ」
「……そうよね。ごめんなさい」
「いいんだよ。今までのとこだってヘンだったんだし、どっちにしても行ってみないとわかんないんだから」
「ええ。……そうね」
 実際、見知った景色である分、今までの場所よりもほっとするものがあった。それに、変化が起こったということは、この不可解な世界の核心に少しは近づいているということなのかもしれない。
 ガルデは神器を握り締め、油断なく周囲に目をやる。
「今――誰かが」
 気づいたのはほぼ同時だった。ガルデは抱えていた黒服を急いで広げ、自分たちの身を隠す。
 そのまま慎重に進んで行くと、確かに人影があった。少し曲がった細い背中と一緒に、頼りない杖が上下に動く。
「……ルミナ婆だわ」
「ルミナばあ?」
 囁くような声で、二人は会話する。
「ええ。街へ遊びに出る時は、色々良くしてもらうの。――どうしたのかしら。急いでるみたい」
「ついてってみようぜ」
 はやる気持ちを抑え込みながら後をつけた。だが大きなサイズとはいえ、二人で無理矢理に服へと包まっているので、上手く歩けない。
「城へと向かってるみたい」
「声、かけてみる?」
「でも……」
 このままだと見失ってしまう可能性があるが、やはり不安もある。
 リドレーフェが決めあぐねていると、目の前を影が横切った。
「あっ!」
 止める間もなく、ガルデが飛び出していく。
 その先には――黒い服。先ほどの男とは別の、イディスの者だった。
「ばあちゃんを離せ!」
 ガルデが神器を向ける。放たれた光が、ルミナ婆に銃を突きつけていた男を地面へと転がした。
「ばあちゃん、大丈夫!?」
 しかし彼女は皺だらけの顔に笑みを浮かべてこちらへ会釈をし、再び何事もなかったかのように坂道を上り始める。
「えっ、ちょ、ちょっと――!?」
「ガルデ!」
 リドレーフェの悲鳴のような声。振り返ると、目の前には拳が迫っていた。
 重い衝撃。めりっと嫌な音がし、体が宙を舞う。
「――がはっ!」
 次の瞬間、背中に強い痛みが走った。
「ガルデ! ――ガルデ!」
 守らねば、と思う。でもすぐに体は動いてくれない。とにかく神器を探した。生ぬるい感触が顔の上を動き視界を狭めたが、何とか石畳の上に転がったそれを見つけ、手を伸ばす。
 そこへ振り下ろされた重圧と、激しい痛み。
「ぐぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
 硬い靴底で踏みつけられたのだと理解し、その主を見た。
 残酷な笑みを浮かべた黒服の男。もう片方の足で神器を遠くまで蹴り飛ばし、わざわざ揶揄するように近づけてきたその顔に、勢いよく唾を吐きかけた。
「っなぁっ!?」
「へへへー、大当たりー!」
 汚された顔が怒りに赤くなる。男は血走った目で拳を振り上げた。隙が出来た足下から右腕を引き抜き、神器へと向かおうとするが阻まれる。
「この餓鬼がぁっ!」
 背中を掴まれ、放り投げられた。地面へ打ち付けられる衝撃を堪え、すぐに体を起こす。しかし首をがっしりと掴まれた。
 指も太く、その締め付けも強い。大人の男の力だった。
「やめなさい! ガルデを離して!」
 首がふっと楽になる。急に空気が入ってきて、激しく咳き込んだ。
「……姫様、来ちゃダメだ」
 言葉を搾り出した時には、男はこちらに背中を向けていた。怯えた目で後ずさるリドレーフェにじりじりと近づきながら、先ほど落とした銃を見つけ、拾う。
「ダメだ姫様、逃げて!」
 神器を拾っていたら間に合わない。この体格差では、男に体当たりをしても揺らがすことさえ難しそうだった。とにかく必死で、走る。その間にも、男の腕は動いていく。
「姫様ぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
 思い切り跳んだ。我が身をリドレーフェの前へと、男が構えた銃のその先へと。
「はいっ、そこまで!」
 唐突に割り込んできたのは、またもや華奢な背中と軽やかな声だった。男の体は軽々と吹き飛び、後方の白壁へと激突する。
「あうっ」
 背中を強打した男は、口から空気を吐き出しながら、ずるずると地面へ崩れ落ちた。
「うぎぇぇぇっ」
 ガルデの体も、勢い余って地面へとスライディングする。
「何とか間に合ったか?」
「人が住んでるあたりで騒いでくれて助かりましたね。――でも怪我してます! 早く運ばないと」
「理沙ちゃん、これ傷にスプレーしてあげて。応急処置にはなるわ」
「うわ、すごい色……しみません?」
「しみないと思うわ。少し眠くはなるけど」
「何で遠子さんの薬はもれなく眠くなるんすか」
 流石にもう、動く気力は残されていなかった。霞んだ視界に、以前には居なかった人物がさらにもう一人、入り込む。
「姫様……!」
「エフィーゼ……なの?」
「はい、姫様、ご無事で……!」
 大柄な女の手が、リドレーフェに伸ばされる。
 彼女は震えるその手を包み込むようにして握り、ぽろぽろと涙をこぼした。
 ――よかった。
 安堵と共に、体の痛みも少しずつ引いていく。代わりに穏やかな眠気が寄せてきて、ガルデは意識を手放した。

 ◇

「鼻骨の損傷は修復した。あとはしばらく寝かせておけ。目覚めたら何か食べさせてやるといい」
「じゃあ私、早苗さんに用意してもらえるように頼んでくるわね」
「何から何まで恐縮です。ドクターも、遠子殿も」
「私は医者だからな。医者は患者を診るのが仕事だ」
「困った時はお互い様よ。エフィーゼさんも病み上がりなんだから無理しないでね」
 医務室を出て行った二人に深々と頭を下げ、エフィーゼは並んだベッドに横たわる二つの寝顔を見る。それはとても安らかで、見ているだけで胸があたたかくなった。
「ひめ……さま」
 身じろぎした口から発せられた言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「ありがとう。小さな騎士よ」
 姿勢を正し、小声で言う。
 それには、穏やかな寝息が返ってきた。

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