「もっとしっかりやるんだ!」

 するどいムチの音とどなり声が、あたりにひびきます。
 かいじゅうはもう一度、大きな玉の上に乗りました。でも、またすぐに地面へと落っこちてしまいます。ずしん、と大きな音がし、かいじゅうは、いたみに顔をしかめました。

「どうしてできないんだ!」

 調教師は、またムチをふるいながらおこります。

「ごめんなさい」

 かいじゅうは体をふるわせながら、小さな声であやまりました。
 もう休みたかったのですが、調教師はゆるしてくれません。かいじゅうは、仕方なく、また玉の上に乗ります。
 人気者になるというのは、たいへんことなんだと、かいじゅうは自分に言い聞かせました。あたりを見回せば、他の人たちも、きびしい練習をくり返しています。
 これを乗りこえれば、きっとみんなも、かいじゅうを友だちだと思ってくれて、お客さんも、かいじゅうのことをすきになってくれるはずです。
 それでもときどき、しずかでのんびりとした山のことを思い出し、かいじゅうは小さくため息をつくのでした。

「ぼく、人気者になれるのかなぁ……?」

 かいじゅうはオリの中で、テントの天じょうをぼんやりと見上げていました。
 あれから何度も練習しましたが、なかなか上手にできません。調教師にはおこられてばかりでした。
 このまま上手くできなければ、サーカスを追い出されて、またひとりぼっちになってしまうかもしれないのです。
 かいじゅうが大きなため息をついた時、近くでガサッと音がして、テントの入り口から、人が近づいてくるのが見えました。
 サーカスの人が、またおこりに来たのかもしれないと、かいじゅうはおびえましたが、こちらへとやって来たのは子どもでした。長く黒いかみをうしろでしばっていて、白くすきとおるようなはだをしています。
 かいじゅうは、その子に見おぼえがありました。サーカスで、ちゅうがえりとか、つなわたりを見事にやってのけている女の子です。
 でも、なぜその子が自分の所に来るのかは、さっぱりわかりませんでした。
 女の子は、かいじゅうの目の前まで来ると、くりっとした目を向けて言いました。

「こんばんは」

 かいじゅうもつられて「こんばんは」と言いましたが、その次になんて言ってよいのかわからず、だまりこんでしまいました。
 そして、しばらく考えたあとに、やっと出てきたのはこんな言葉でした。

「ぼくのこと、こわくないの?」
「うん、こわくないわ。だって、あなたはやさしいから」

 女の子がすぐにそう答えたので、かいじゅうはおどろいて、口をぱくぱくとさせました。
 だって、今まで、だれもかいじゅうのことを『やさしい』なんて言ってくれた人はいないのですから。

「でも、みんなぼくのこと、こわいとか、おそろしいとか言うよ」

 今までのことを思い出し、かいじゅうは元気なく言います。
 けれども女の子はにっこりとわらうと、首をしずかにふりました。

「それは、みんなあなたがやさしいってことを知らないからよ」
「どうしてきみは、ぼくのことを、やさしいと思うの?」

 女の子はだれかが来たりしないか、うしろをふりかえり、たしかめてから、こう言いました。

「あなたは、玉乗りの練習をしている時、近くにあったお花をつぶさないように気をつけてたわ。そうやってまわりのことを気にしているから、なかなか上手くならないのね」
「……うん」

 かいじゅうは、小さくうなずきました。そんなところまで見てくれている人がいるとは思ってもみませんでした。

「座長は、悪い人じゃないの。ちょっとやりかたが下手なだけ。だから、ゆるしてあげてね」
「うん」

 ひどいやりかたでつれて来られたけれど、かいじゅうはそのことをうらんではいませんでした。
 あのまま山おくにひとりでいるよりは、ずっとましだと思ったのです。

「わたしはリリィっていうの」

 とつぜん女の子がそう言ったので、かいじゅうはちょっとびっくりしましたが、すぐにそれが女の子の名前だと気づいて、こう言いました。

「リリィ……すてきな名前だね」

 かいじゅうは、心からそう思いました。

「あなたの名前はなんていうの?」

 そう聞かれて、かいじゅうはこまってしまいました。かいじゅうには名前がないからです。

「ぼくには、名前なんてないよ。でも、みんなはぼくのこと、『かいじゅう』とか『バケモノ』ってよぶ」

 そう言ってから、かいじゅうは少し悲しくなりました。

「あなたのパパやママは?」
「ぼくがうまれた時には、もういなかったんだ」
「そう。じゃあ、わたしとおんなじだね」

 リリィの顔が、すこしさびしそうになります。
 それを見たかいじゅうは、ふしぎに思って聞きました。

「サーカスの人じゃないの?」
「ううん。わたしは、赤ちゃんのころ、サーカスの前にすてられてたんだって。でも、わたしといっしょにおいてあった手紙には、『リリィ』って書いてあったらしいの。だから、きっとこの名前をつけてくれたのはパパとママよ」
「そう」

 かいじゅうがなんて言ったらよいのかわからずにだまっていると、リリィの顔が急に、ぱっと明るくかがやきます。

「じゃあ、わたしがあなたに名前をつけてあげる」

 そして、少し考えてから、かいじゅうの目をまっすぐに見て、こう言いました。

「キンバルっていうのはどう?」
「キンバル。……ぼくの名前?」
「そう、あなたの名前。気に入らない?」

 かいじゅうは、あわてて首をぶんぶんとふりました。

「そんなことない! とっても気に入ったよ。ありがとう!」

 かいじゅう――キンバルは、本当にとびあがりたいくらいうれしくなりました。うれしくてうれしくて、キンバルという名前を、頭の中で何度も何度もくり返し、たしかめます。

「ねぇ、キンバル。このオリから出たいと思わないの?」

 名前をつけてもらい、よろこんでいたキンバルでしたが、そう聞かれて、どう答えたらよいか、なやみました。それでも、正直に答えます。

「出たいよ」
「あなたなら、オリをこわしてにげるくらい、カンタンなんじゃない?」

 キンバルはしばらくのあいだ、しゃべることが出来ませんでした。頭のよいリリィには、自分がおくびょうなことがばれているのだと思ったからです。
 ここから出たら、もうサーカスにはいられなくなるかもしれません。そうしたら、まただれにも相手にされない毎日が待っているにちがいありません。

「なかないで。ごめんなさい。わたし、あなたを悲しませたかったわけじゃないの」

 そう言われて気がつくと、キンバルの目にはなみだがうかんでいました。小さなリリィの顔が、ぼんやりとにじんでいます。

「ちがうんだ。ぼくはおくびょうなんだ。また、ひとりぼっちになるのがいやなだけなんだ」

 そう言ってしまうと、目にたまっていたなみだが、ぼたん、ぼたんと大きな音を立てて、地面に落ちました。とてもみじめな思いがして、リリィの顔を見ることもできず、キンバルはうつむいてしまいます。

「わたしも」

 リリィが小さな声でつぶやきました。

「ひとりぼっちは、いやだから。だから……」

 キンバルがあわてて顔を上げると、リリィも目になみだをうかべています。

「ごめんね、リリィ」

 キンバルは、せっかく自分にこうやって会いに来てくれたリリィを悲しませてしまったことを、とてももうしわけなく思って、あやまりました。

「ちがうの。あなたのせいじゃないわ」

 リリィは服のそででなみだをぬぐうと、とてもかわいらしいえがおをつくって、キンバルにこう言いました。

「また、会いに来るね」
「本当に? 本当にまた、会いに来てくれる?」
「うん、やくそくする」

 キンバルの中に、うれしい気持ちがいっぱいに広がり、さっきまでの悲しさは、どこかへととんでいってしまいます。

「それじゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ!」

 そしてリリィは、キンバルにせなかを向けると、早足でテントから出ていきました。
 キンバルは、リリィのすがたが見えなくなるまで、じっと動けずに、オリに顔をくっつけていました。
 キンバルにとって、今までで、さいこうの夜でした。名前をつけてもらって、小さな友だちまでできたのですから。
 でも、リリィが何か言いかけてやめたことだけが、気になっていました。
 リリィが何を言おうとしていたのか、ずっと考えているうちに、キンバルはいつのまにか、ねむりへと落ちていきました。

もどる つぎ