きみがすき。

きみがすき。
イラスト/コタマキヨミさま
 ぼくは、その日も、いつものように屋根の上にのぼって、夜空を見上げていた。パンケーキみたいなまるい月に向かって話しかけると、月も、ぼくに語りかけてくる。その声は――そう、波の音に似ている。
 ぼくがじっと耳を澄ませていると、唐突に、静寂を破る音がした。慌ててそっちを向くと、隣の家の窓を開けた、パジャマ姿のきみが、きょとんとした表情で、こっちを見ている。ぼくが何も言えずにボーっとしていると、きみは、不思議そうな声で、ぼくに尋ねてくる。
「ねぇ、そんなところで何をしてるの?」
 その可愛らしい声に、ぼくは何だかドキドキしてしまって、一生懸命言葉を探した挙句、ようやく出てきてくれたのは、自分でも間抜けだと思うような質問だった。
「……あれ? そこ、空き家じゃなかったっけ?」
「引っ越してきたの。知らなかったの?」
「うん。仕事で、忙しかったから……」
 きみに、当然といえば当然の答えを返され、ぼくは言葉に困って、口の中でもごもごと言った。仕事でいくら忙しくたって、お隣の状況も知らないんじゃ、さすがに恥ずかしい。
「ふーん……で、何をしてるの?」
 でも、きみは特に気にした様子もなく、窓枠にひじをついて、続けて聞いてくる。ようやく落ち着いてきたぼくは、きみに向かって笑顔を見せながら、正直に言った。
「月と話をしてるんだ」
 その途端、きみの顔が、暗がりの中でも明らかに分かるほど、訝しげにゆがむ。
「月と話? 冗談でしょ? そんなこと、信じられない」
「ウソじゃないよ。ほら、聞こえない? 月の声は、ココロで聞くんだよ」
 ぼくは出来るだけ、穏やかに、ゆっくりと、一言一言をかみしめるように言う。
 きみは、ぼくの顔をしばらく見つめたあと、目を閉じて、片手を耳に当てる仕草をする。そして、また目を開けてぼくを見ると、口を開いた。
「わたしには、聞こえないわ……ってバカみたい。聞こえるはずないじゃない」
「もっと良く聞いて。きみにもきっと聞こえるよ!」
 ぼくの言葉に、自然と力がこもる。そう、誰にだって聞こえるはずなんだ。月は、誰に対しても平等なんだから。――けど、返ってきたのは冷たい言葉。
「ひとりでやってれば?」
 きみは、そう言い残すと、バタン、と、やや乱暴に窓を閉めた。周囲には、また静けさがよみがえる。

 それが、きみとぼくとの出会いだった。とても、衝撃的だった。それは、ずっと空き家だった隣の大きな家に人がいたからでも、きみの素っ気無い態度のせいでもなくて……きみの目を見たとき、一瞬、知ってる人かと思ったからなんだ。
 そんなはず、ないのに。

「おい! ぼさっとするな。次はミューゼアさんのところだぞ」
「……あ、うん。ごめん」
 ぼくは、父さんの声で我に返ると、慌てて後を追った。その間も、空を見る。雲ひとつない青空。今夜も、綺麗な月夜になるはずだ。ぼくの胸は高鳴った。月が綺麗なら、きっと、またきみに会える。そんな予感がした。名前も知らない、小さなきみに。

 その晩、ぼくは、いつものように、父さんとふたりで、お世辞にも豪華とはいえないけど、楽しい夕食の時間を過ごした。
 父さんは、仕事中は無口だけど、家にいるときは良く喋る。仕事の話だったり、父さんが子供のころの話だったり、時々、死んだ母さんの話もする。ぼくも、同じくらい喋る。それでふたりで笑い合えると、すごく嬉しい。ぼくが父さんに秘密にしているのは、月と話をしていることだけ……ああ、今はきみのことも増えたんだ。ぼくは父さんのこと、大好きだし、尊敬もしてるけど、ちょっとだけ、秘密を持っておきたいと思うんだ。
「父さん、お休みなさい」
「ああ、お休み。明日も仕事だ。早く寝ろよ」
「うん。分かってる!」
 ぼくは食器を片付けると、父さんにそう言ってから、階段をのぼって、屋根裏部屋へと向かった。
 部屋に入ると、窓を開け、屋根の上へと出る。もう春はすぐそこなのに、まだ、夜風は冷たい。
 今日も満天の星に、まるい月。いつもなら、すぐに月の声に耳を傾けるのに、今日は、どうしても違う音を探そうとしてしまう。
 果たして、待っていた音が鳴った。
「やぁ、また会ったね。月と話をする気になった?」
 悪戯っぽく言うぼくに、きみは不機嫌そうな顔で、素っ気無く答える。
「そんなわけないでしょ。ただ、眠れなかっただけ」
「じゃあ、こっちに来ない? そこ伝ってくればすぐだし。空がとってもキレイだよ」
 隣の家の窓は、ぼくの家の屋根と、ちょうど同じくらいの高さにある。ぼくが大げさな身振りで夜空を示すと、きみは口を尖らせてそっぽを向いた。
「イヤよ。危ないでしょ。ケガしたら、責任とってくれるの?」
 それを聞いたぼくは、何だかおかしくなって、必死で笑いをこらえながら、言葉をしぼり出した。
「……怖いんだ」
「こ、怖くなんてないわ! 仕方ないわね……そんなに言うなら行ってあげる」
 きみは、明らかにムキなって、声を張り上げた。そして、窓から恐る恐る身を乗り出すと、肩をいからせながら、こっちに向かって歩いてくる。
「気をつけて」
 そう声をかけたけど、ぼくの声にも反応する余裕はないみたい。だけど――
「っと……ほら、来たわよ。あ、本当。いい眺め」
「――だろ?」
 そう。この景色を見せたかったんだ。今までぼくだけの景色だったものを、一緒に見て欲しかった。静かな町並みに、ぼくたちの笑い声は、良く響く。
「ぼくはカイ。……きみの名前は?」
 ぼくが聞くと、きみはパジャマの袖で目の辺りを拭きながら、また、素っ気無く言う。
「アリア」
「アリアかぁ……素敵な名前だね」
 思わず、そんな言葉が漏れた。
 アリア。
 どこか、外国の、小さな花のような響きの名前。
「そうでもないわ」
 だけど、きみは相変わらず素っ気無い。
 近くで見ると、君の肌はとても白くて、陶器で出来た人形みたいだと思った。大きな瞳の色は、海の色に似ていた。きみは、長いまつげを瞬かせると、首を傾げてから、また口を開く。
「カイは、いつもここにいるの?」
 すると、みつ編みの金髪が、秋風になびく麦の穂のように、ゆらゆらと揺れた。それを見ながら、ぼくは静かに答える。
「月が見える夜はね」
「ふーん……でも、お仕事忙しいんでしょ? 何のお仕事をしてるの?」
 そう聞かれて、ぼくは少しだけ迷ったけど、結局、本当のことを言った。
「煙突掃除。父さんの仕事を手伝ってるんだ」
「へぇ……」
 そこで、しばらく、沈黙が流れる。
 きみは、不思議そうに、ぼくを見ている。
 だから、ぼくは、素直に疑問をぶつけてみた。
「……バカに、しないの?」
 すると、きみは急に不機嫌そうになって、眉を吊り上げる。
「何で、わたしがバカにしなきゃいけないのよ」
 何で、そんな顔をするんだろう。ぼくは、思いもかけない答えに、戸惑ってしまって、頭をかきながら、何とか言葉をしぼり出した。
「だって……友達は、みんなバカにするよ。『学校にも行けない貧乏』、『煤だらけで汚い』って」
 それを聞くと、きみの表情はもっと険しくなった。ぼくは、何か悪いことをしてしまったんだろうか。せっかく、新しい友達が出来たのに、嫌われるのはイヤだった。
「最低。わたし、そういうの嫌い。それに、そんなこと言う人たちは、『トモダチ』なんかじゃないわ。カイって、本当にお人よしなのね」
 きみは、ぼくに向かって指を突きつけると、その指を振りながら、特に『トモダチ』の部分を一言一言区切り、叱るように言った。
「……そ、そうかな?」
 しどろもどろになりながら答えるぼくに、きみはすっと立ち上がる。
「そうよ……じゃあ、わたし、もう部屋に戻るわね」
 そう言ってスカートのすそをパンパンと払うきみを見ていたら、ぼくは、急にさびしさを覚えた。
「……あのさ」
 ぼくの言葉に、部屋に行きかけていたきみが振り返る。きみの髪が、星や月の明かりに照らされて、不思議な色にきらめいた。
「何?」
「また……会えるかな?」
 恐る恐る言ったぼくに、きみは、少し考えるような仕草をしてから、そっと微笑む。
「会えるわ……月の見える夜にね」
 それを聞くと、ぼくの緊張は、すっとほぐれて行った。
「……そうだね。じゃあ、また」
「おやすみなさい」
 きみの後ろ姿に手を振り、見送りながら、ぼくは、心の中に、何だか分からない、不思議な温もりが広がるのを感じた。
 そっと月を見上げると、月は、静かに笑っていた。

「お疲れさま。いつもありがとうね」
 今日もぼくは、父さんと仕事を順調にこなしていった。煙突掃除の仕事は、大変だし、身体中、煤だらけになるけど、やりがいのある仕事だと思う。
 ぼくと父さんは、サーシャおばさんが出してくれた紅茶とクッキーを、ありがたくいただいた。紅茶が、疲れた身体に染み渡る。クッキーも、とても美味しかった。
 たまにはイヤな感じのお客さんもいるけど、大抵、みんな優しい。だから、ぼくはこの仕事が大好きで、誇りを持っている。
 おばさんが紅茶のおかわりを淹れてくれたので、それを飲みながら、ふと、きみのことを思った。あんなに大きな家に住んでるんだから、きみは、こんなに美味しいお菓子や、紅茶を毎日口にしてるんだろうな。
「ねぇ、おばさん」
「なぁに?」
「ぼくの家の隣にある、ずっと空き家だった大きな家があるでしょ? あそこ、最近誰か引っ越してきたんだよね?」
 そうぼくが聞くと、おばさんは少し考え込んでから、口を開いた。
「ああ、あのお屋敷ね。そういえば、三日前くらいかしら? 立派な馬車が入っていったみたいよ」
「そこに、ぼくくらいの歳の女の子がいなかった? 金髪で、青い目の」
「さぁ……私は人づてに聞いただけだから。でも、噂では、リーデンからいらしたみたいね」
「そうなんだ……」
 ぼくは、少しがっかりした。きみのことが、少しは分かるかと思ったから。でも、また今夜にも会える。きっと、今夜も素敵な月夜だから。
「カイ。父さんは、これからデューベさんのお宅に伺うから、先に帰って、夕食の支度をしておいてくれ」
「うん。わかった。それじゃ、おばさん、クッキーありがとう! またね!」
「ええ。またお願いね。お仕事じゃなくても、遠慮しないで遊びに来ていいのよ」
「うん、ありがとう!」
 ぼくはおばさんに手を振ると、クッキーを入れてもらったバスケットを抱え、外に出た。
「あ! 今日も煤だらけのカイがいるぞ!」
「あはは! ホントだ、今日もきったねぇ!」
 すると、聞きなれた声がした。ニルとサンチェスの仲良し二人組みだ。
 ニルは黒髪のノッポで、サンチェスは赤毛の太っちょ。学校の帰りなんだろう。二人ともカバンを肩からさげている。
 いつもは無視して通り過ぎるけど、ぼくは、二人にどうしても聞きたいことがあったので、二人の目の前で足を止めた。
「あのさ」
「何だよ、そのバスケット。似合わねぇ!」
「きっとまた何か恵んでもらったんだろ」
 耳障りな笑い声をあげる二人には腹が立ったけど、ぼくは構わずに続けた。
「最近、転校生、来なかった?」
 ぼくの言葉に、しばらくきょとんとしていた二人だったけど、サンチェスの方が、先に口を開いた。
「来てねぇな……つーか、おまえが知ってどうすんの? 学校にも来れない貧乏のくせに!」
「そうだバーカ!」
 続いて、ニルも口を挟む。そして、ケタケタと笑い出した。

『そんなこと言う人たちは、「トモダチ」なんかじゃないわ。カイって、本当にお人よしなのね』

 そうだね。きみの言うとおりだと思う。
 だけど、ぼくだって、仲良くなりたかったんだ。たとえ学校に行けなくても、歳が近い友達が欲しかった。
 ぼくは、無言で二人の脇をすり抜ける。
 でも、不思議だった。こんな田舎町には、学校はひとつしかない。だけど、きみは学校へは行っていない。じゃあきみは、いつもどうしているんだろう。

「こんばんは」
「こんばんは。今日も素敵な月だね」
 夜。
 また窓からやって来たきみに、そう言ってぼくが笑うと、きみも、笑った。
 その笑顔に、ぼくはなんだかドキッとする。どうしてだか、分からないけど。
「カイも座ったら?」
「……え? う、うん。ありがとう」
 きみにそう言われて、ぼくは急いできみの隣に座った。
 ぼくたちは、並んで月を見上げる。まるで、今までもずっと、こうしていたみたいに。
「カイは、いつも月と、どんな話をしてるの?」
 きみが、月を見上げたまま、尋ねてくる。
「うーん……今日あったこととか、昨日こんな夢をみたとか、色々」
 僕がそう答えると、きみはまだ月に目を向けたまま、静かに言った。
「そうなの」
「もう、バカにしないんだね」
 そうぼくが言うと、きみはこっちを向き、少しさびしそうに笑った。
「だって、カイの目は、ウソをついているようには見えないもの。ウソをついている人は、目で分かるの」
「そうなんだ。アリアはすごいね」
 ぼくが感心して声を上げると、きみは、また月のほうに顔を向けて、小さくため息をついた。
「……すごくなんかない。月と話が出来る、カイの方がよっぽどすごいわ」
 その横顔を見ながら、ぼくは何と言葉をかけたら良いのか分からなかった。きみは、どうしてそんなにさびしそうなんだろう。何か、悩みごとでもあるのかな。それなら、ぼくが聞いてあげられるといいんだけど。
 でも、いきなりそんなことは言えないから、ぼくは少し考えてから、口を開いた。
「ねぇ、アリアのことも、聞かせてよ」
 するときみは、驚いたようにこちらをみると、目を瞬かせた。
「……わたしの、こと?」
「うん。だって、ぼくはアリアがお隣さんだってことしか知らない。家族は何人? いつも何をしてるの? 学校は? あと……」
「ちょっと待って。そんなにいっぺんに聞かれても答えられないわ」
 まくしたてるように聞いた僕を、きみの苦笑いがさえぎる。ぼくは、バツが悪くなって、鼻の頭をかいた。
「そ、そうだね……ごめん」
 それを見て、きみは「気にしないで」と言ってクスリと笑うと、右手の人差し指をあごに当てながら、ゆっくりと話し始める。
「ええと……家族は、お父さまとお母さま、お姉さまがいるわ。お姉さまは、リーデンの学校に通っているから、あっちにいるの。お父さまとお母さまも、お仕事が忙しいし、ほとんどリーデンにいる。でも、その代わり、お手伝いさんがたくさんいるのよ」
 きみは大げさな身振り手振りで、いかにも楽しげに言う。でも、それはまるで、お芝居を見ているかのようだった。
「いつもは、お家で本を読んでいることが多いかな。学校には行ってない。こっちには、そうね……休暇で来たから」
 一生懸命話し続けるきみを見て、ぼくの胸は痛んだ。
 ――だから、きみはそんなにさびしそうだったんだ。
「ねぇ、わたしにも、月と話が出来るようになるかな?」
 そう言ってぼくの顔を覗き込んだきみの目は、期待に輝いていた。ぼくの胸は、キリキリ痛んだけど、ぼくは精一杯の笑顔で、精一杯の明るさで、きみに言った。
「アリアにだって、すぐ出来るようになるよ! ……ほら、今も月が、『楽しそうだね』って言ってるよ」
 本当は、ウソだった。月は、ぼくにだけ聞こえるように、違うことをささやいた。きみは、じっと耳を澄ませている。
「……やっぱり、わたしには聞こえない。カイは、いつから話が出来るようになったの?」
 心から残念そうに言うきみにも、月の声を、聞かせてあげたかった。さみしさを埋めてくれる、温かい声を。ぼくも、ずっと救われてきた、優しい声を。
 だけど、きっときみにも聞こえるようになる。
 信じれば、きっと。
「うーん……いつの間にか、かな……そうだ、月はね、願いごとも聞いてくれるんだよ」
「そうなの?」
 また、一段ときみの表情が明るくなる。
 もしかしたら、ぼくは残酷なことをしているのかもしれない。だけど、出来るだけ、きみに希望を与えてあげたかった。
「うん。そのおかげで、父さんもぼくも、仕事でケガをしたことはないし、お客さんはみんな喜んでくれる」
 ぼくがそう言うと、きみはまた、月を見上げて、そっと呟いた。
「もしそれが本当なら、わたしのお願いも聞いてくれるかな……」
「え?」
 きみの願いって何?
 ぼくが、そう聞こうとした時、きみの目が、唇が、仕草が、いっせいに扉を閉めるかのように、ぼくを拒絶した。だから、ぼくは、何も聞けなかった。
「ううん、なんでもない。またね」
 きみはそう言うと、急に立ち上がり、ふわりとスカートをなびかせて、早足で家へと戻って行く。
「……うん、またね」
 ぼくは、きみの背中を見送りながら呟く。
 今は、ぼくはきみの『トモダチ』ではないのかもしれない。
 だけど、いつか、本当の『トモダチ』になれたとき、きみの大切な『お願い』を、ぼくに教えてくれると思った。
 強がっているけど、さみしさでいっぱいな、キレイなガラス細工みたいなきみを守りたい――そう、思ったんだ。

 次の日の夜。
 ぼくは、きみを待つ間……ううん、今日の間ずっと、笑顔の練習をしていた。だって、ぼくが落ち込んでいるのも、なんか変だし、きみを、少しでも楽しい気分にさせたかったから。だけど、なかなかきみは来なかった。
 月は、きみと出会った夜よりも、少しだけ、やせている。
 そして。
 ようやく、音が聞こえた。
「……こんばんは、カイ」
「こんばんは、アリア。今日は、もう来ないかと思ってたよ」
 ぼくは、たくさん練習した、とびっきりの笑顔を見せる。だけど、きみは何だか元気がない。
「うん……」
 そしてきみは、まるで、ぼくの話を聞いていなかったような、気のない返事をする。
「どうかした?」
「ううん……なんでもない……」
「――何でもないようには見えないよ!」
 ぼくは、つい、大きな声を張り上げていた。きみは、はじかれたように、目を見開いて、ぼくを見る。
「そうやって、何でも自分で抱え込んで、平気なフリするのやめろよ! きみにとっては、ぼくなんか『トモダチ』じゃないのかもしれないけど、ぼくにとっては、きみは、初めてぼくの話を真剣に聞いてくれて、ぼくを受け入れてくれて……だから……」
 自分でも、何を言っているのか良く分からない。ぼくは、血が上った頭を必死で振った。
「……ごめんなさい。でも、違うの。今は、言えないの。カイだから、言えないの……」
「よく……分からないよ」
「だけど、これだけは信じて。カイはわたしの、大切な友達よ……とても大切な」
 そう言ってぼくを見るきみの目は、真剣だった。
 だから、ぼくは小さくうなずいて、黙ってきみの隣に座るしかなかった。
 しばらく、無言の時が流れる。
 きみは、ずっと月を見ている。
 そこに、ひと筋の風が、吹いた。
 きみは、何かにすがりつくように、よろよろと立ち上がると、悲鳴のような声で、叫んだ。
「――お月さまお願い! わたしにも声を聞かせて! わたしのお願いを聞いて! もう、わたしには時間がないの! お願い……お願い……」
 きみの言葉は次第に泣き声に変わっていった。ぼくは、思わず、きみのことを抱きしめていた。
 きみの身体は、ビックリするくらい、細かった。まるで、折れてしまいそうなほどに。
 きみの強がりは、こんなにも小さな身体に詰まっていたんだ。たくさんの悲しみや、さびしさを、ずっとこの身体で、受け止めていたんだ。
 たったひとりで、受け止めていたんだ。
「アリア? どうしたの!? お願いだから、何があったのか、ぼくに聞かせて!」
「……聞こえた」
「……え?」
 ふと。
 きみの目が、虚空へと向けられる。
「聞こえた! わたしにも、月の声が聞こえた! 聞こえたわ!」
 きみは、ぼくに向かって、喜びと、驚きと――たくさんの感情が混じった声と表情で、言い続けた。そして、ぼくの腕をつかんだまましゃがみこむと、突然、激しく咳き込む。
「アリア! ちょっと大丈――」
「……だい……じょうぶ……ちょっと、夜風で身体が冷えただけ。もう、わたし、部屋に戻るわね」
 何で?
 何で、その苦しみを、ぼくに話してくれないの? ぼくのこと、『大切な友達』って言ったじゃないか。ちっともきみは大丈夫そうになんか見えないよ。
 でも。
 きみの目が、あまりにも真っ直ぐすぎて、ぼくは、何も言えなかった。きっと、無理に聞いたら、きみの中の、大切なものを壊してしまうと思ったから。
「……カイ」
「……何?」
 か細い声で、きみはぼくを呼ぶ。ぼくが顔を覗き込むと、きみは今までぼくに一度も見せたことがない、幸せそうな微笑みを浮かべ、静かに言った。
「ありがとう。……またね」
 そして、きみはぼくをつかんでいた手をそっと離すと、くるりと向きを変え、部屋に戻っていった。
「うん……またね。気をつけて……」
 ぼくは、きみの背中を見ながら、そう言うのが、精一杯だった。

「また雨……か……」
 それからしばらく、雨の日が続いた。空を見上げると、一面灰色の重たそうな雲から、次々と水滴が落ちて来る。仕事は相変わらずあるけれど、きみとは会えなくなってしまう。でも別に、月の見える夜だけに会わなくても、すぐ隣同士なんだから、普通に訪ねて行けばよかったんだ。でも、きみとは、月の幻想的な明かりのもとでしか会えない――そんな気が、してたから。

 そして、数日後の月が綺麗な夜。
 ぼくは、サーシャおばさんから、その話を聞いた。
 ――きみが、死んだって。

「何でだよ! 何でアリアが死ななきゃいけないんだ! ねぇ、答えてよ! いつもみたいに、答えてよ!」
 月の声が――聞こえない。
 いつも――いつも聞こえていた、月の声が。
 睨み付けても、涙でにじんで、その姿もまともに見えなかった。
「アリア! ……アリアぁ!」
 泣いても泣いても、涙は止まってくれない。
 泣いても泣いても、心は晴れてくれない。
 泣いても泣いても、きみは戻ってこない。
 あの夜に、無理にでも、きみに話を聞けばよかった。普通に家に尋ねていけばよかった。
 後悔ばかりが、ぼくの中を埋めつくす。
『カイ』
 突然。
 声が――聞こえた。
 聞き間違えるはずがない、きみの声。
「――え?」
 こわごわ顔をあげると、蒼白い光に包まれた、きみが、いた。
 真っ白で、ふわふわの服を着てたたずむきみの姿は、もし羽がついていたなら、おとぎ話に出てくる、妖精みたいだと思った。
『こんばんは』
「アリア? ……どうして?」
 呆然としているぼくに向かって、きみは、静かに微笑む。
『月の声が初めて聞こえた夜、わたしは、お願いをしたの。「わたしが死んでも、カイにまた会えますように」って……。願いごと、叶ったよ。カイが言ったこと、本当だったね』
「……アリア」
『だから、泣かないで。また今までみたいに会えるわ……月の見える夜にね』
 まるで、全てから解放されたかのように穏やかなきみの顔を見ていたら。
「……うん」
 ぼくは、うなずくしかなかった。
 ねぇ。
「ねぇ、アリア」
『何?』
「……ぼく、ずっと……ずっときみに伝えたいことがあったんだ」
『うん』
 心臓が、ドクン、ドクンと波打っている。まるで、耳元で鳴っているみたいに。
「ぼくは……」
 ぼくの中で、気持ちがどんどん膨らんでくる。
 それを、どうしてもきみに、伝えたかった。
「ぼくは」

 ――ぼくは、きみのことが、すき。