眠り姫

「和葉さん、どう?」
 次の日、俺は学校についてすぐ、立木に聞いてみた。
 悔しいが、俺には何の連絡も来ないし、真っ先に彼女に連絡が行くと思ったからだ。
 彼女は眉をしかめながら見ていた教科書から視線をはずすと、俺の方を見る。それから、何ともいえない表情をした。
「体調は平気みたいなんだけどね、しばらく、動けないらしくて」
「動けない?」
 それって果たして平気っていうんだろうか。
「たぶん……お父さんじゃないかな」
 ああ、そういうことか。ぎゅっと苦しかった胸の辺りから力が抜ける。
 お父さんからしてみれば、大事な娘がふらふら出歩いた挙句、倒れてしまったんだから思うところもあるだろう。
 俺に向けた態度も、あまり好意的とは言えなかったしな。
「とりあえず元気は元気みたいだし、あたしたちはあたしたちに出来ることをしない?」
「できることって?」
 何かあるのかと目を輝かせた俺に、立木は息と一緒に言葉を吐いた。
「期末の準備」

 ◇

『そもそもあたし、放課後に友達の家で一緒に勉強してることになってるもん』

 そうじゃなきゃ塾に通わされて『紡ぎ手』の相手なんて出来ないし、と立木は肩をすくめ、また教科書に視線を戻した。
 確かにそれも大事なことかもしれないけど……何か違うというか。世の中を守る活動だけに集中したいというか。余計大変じゃんというか。
「はぁ」
 自然とため息が漏れる。
「やる気でねー」
 でも勉強しないとヤバいだろうな。まあ、今までやる気出してたかというと、それも疑問なんだけれども。
 葛藤にじりじりと、ますます気力を奪われながら、俺は机に突っ伏す。
 そういえば。
 そこで本棚の片隅に差し込まれたものに目が留まり、そのまま釘付けになる。
 ――封筒、持って帰ってきてしまった。
 姿勢はそのままで、右手を伸ばしてみる。指先がぎりぎりのところで触れた。
 少し迷ってから、掴んだものを顔の真ん前まで引っ張ってくる。
 これ、封が閉じられてないんだよな。
「……それはダメだろ」
 思わず声に出して言っていた。
 罠か、罠なのか。
 見てはいけないと思いながらも、俺は結局中を見てしまう。
「これ……」
 中に入っていたのは、沢山の写真だった。
 外国と思われる、絵本の世界みたいな町並みや、牧歌的な風景に雄大な自然、子供たちの笑顔――それに混じって、あの女の人が写っているものもある。
 病院に来た時のような派手な格好じゃなく、ジーンズに地味な色のジャケットという風で、サングラスを外した人懐っこい笑顔には、明るい魅力があった。
 俺はそこで、ようやく気づく。――この人、和葉さんに似てる。
 もし俺の想像が当たっているなら、倒れた和葉さんを心配して病室までやって来たことも納得がいった。
 だけど、すぐに帰ってしまったのは、忙しかったからなんだろうか。
 ――いや、立木はお父さんのことは知っていても、彼女のことは全く知らないようだったし、何か事情があるのかもしれない。
 色々考え始めると、そればかりに頭脳が使われてしまい、ますます勉強しようという気は遠のいていく。
「はぁ」
 また漏れた息に答えるかのように、携帯が軽やかな音を立てた。
 SNSのグループへの投稿だ。

《今度の日曜、家に来てもらえない?》

 フキダシの隣には、バラのアイコンが揺れている。和葉さんだ。
 立木から様子は聞いていても、文字だけとはいえ、こうやって直接本人の言葉が聞けると、やっぱりほっとする。
 イラストのバラも何となく元気そうに見えて、胸にあたたかいものが広がった。
 俺もすぐに《OK》と返信をする。言葉は本のアイコンと一緒に画面に現れ、それに続いて二つのアイコンも登場した。
「ん? 何だこのメガネ。――あっ」
 いつの間にかメンバーに渡部がいるんですけど。《気が進まないが仕方ない》じゃねーよ。
 ま、俺も連絡先聞きそびれてたし、いいんだけど。色々助けてもらったのも事実だしさ。

 結局その日は一転、気持ちがやけに軽くなって、気もそぞろのまま一日を過ごした。
 いつものように姉貴にからかわれたり、勉強も少しは進めたような気もするが、あんまり覚えていない。
「よし」
 何がよしなのか自分でも良くわからないが、そんなことを呟きながら、俺は何度目かになる寝返りを打つ。
 楽しみで寝られなくなるというのは、久しぶりな気がした。

 ◇

「父がね、最近良く来るの。心配要らないって言ってるんだけど」
 集まった俺たちに飲み物を出しながら、和葉さんはため息をつく。
 日曜日。俺たちは午前中から『事務所』へとやってきていた。今日は渡部も加わり、ソファーは全部埋まっている。
「あぁ……いただきます」
 俺は中途半端に相槌を打ってから、飲み物を手に取った。
 あんなことがあったんだから、心配するなといっても無理な気もする。
 だけどそもそも和葉さんたち――今は俺も含め、やってること自体が危険なことであり、それを言えないという和葉さんの気持ちも、もっともなわけで。
 そう思ったら、何も言えなくなってしまい。
 俺はちらと和葉さんの様子を窺う。やつれた顔でもしてたらと不安だったけど、顔色も良く、かえって前より元気そうに見える。もしかしたらゆっくり休めたからなのかもしれない。
「それで、今日は何の集まり?」
 立木がストローを咥えつつ、渡部を横目で見てから言った。
 ここにいることに、未だにすげー違和感がある。
 本人も居心地が悪いのか、ひたすらドリンクを飲み続け、もうすでに半分以上なくなっていた。こいつもなんで来たんだろうか。
「再開するのは、もう少し休んでからでもいいと思うんだけど……」
「……うん、そうね。それは、また考えようと思う」
 和葉さんは曖昧な笑みを浮かべ、頷いた。
 俺も同意見だが、事情を知らない周囲からも、散々小言を言われているのかもしれない。
「今日は、もう一つ目的があって」
「目的って?」
「二人とも、もう期末でしょ? 勉強会をしようと思ったの」
「あっ」
「何だよ『あっ』って。まさか忘れてたとか?」
「う、ううん。そんなことないけど……」
 俺が笑いながら言うと、立木は慌てたように手を振る。
 まあ俺も、出来れば忘れたかったけどな。でも、頭にこびりついて離れてはくれない。
 ――テストを乗り切る能力とかがあればいいのに。
 そんなことを考え、ため息をつくと、渡部がじろりとこちらを見た。
「まさか、テストを乗り切る能力でもあればいいのに、とか思ってないだろうな?」
「まっ――まさかぁ」
 心の中を読まれた気分になり、俺は嫌な汗をかきながら乾いた笑い声を立てる。
 こいつはこういう時だけ口挟んできやがって。ドリンクだけ飲んでろ。
 ――いや、本当に読まれてないよな? まさかな。
 能力者の存在を知ってしまったことで、あながちありえない話ではないと思えてくるから恐い。
「ああ、でも今日、なんにも持ってきてないんだけど」
 俺は渡部から視線を逸らし、さっさと話題を変える。
 いつもは学校帰りのことが多いから、教科書も全部の教科ではなくても持っているが、流石に休みの日まで持ち歩こうとは思わない。
「問題ない」
 そこで自信たっぷりな声を上げたのは、またしても渡部だった。
「お前らの学校のテスト範囲はリサーチ済みだ」
「はぁ」
 そんなことまで。――っていうか何故直接聞かないのか。
「関高の期末はもう終わってるから、協力をお願いしたの。私のところも終わったから」
「へぇ」
 俺の口からは先ほどから気が抜けたような声しか出てこない。
 渡部のドヤ顔を目の端が捉えたが、気づかないフリをしておいた。
「大丈夫だったの? 体」
「体調はすぐに戻ったから。しばらく父の監視下だったのもあって、勉強には集中できたしね」
 和葉さんは言って、クスリと笑う。
「ところで、和葉さんって学校どこ?」
「三ヶ原女子」
 うわ、こっちもエリート。
 普段なら驚き、素直に「すごい」の一言でも言えたと思うが、何だか流れ的に頑なになっている自分がいた。
 それもこれも渡部がここにいるせいだ。
 しかし、ヤツはぶらぶらしてるだけだからともかくとして、勉強ちゃんとしながら『紡ぎ手』とも戦ってたら、休む暇がないような気がする。
「じゃあ、早速始めましょうか」
 和葉さんが言って手を叩いたので、何となくもやもやしたものを抱えたまま、俺たちは勉強会へと突入することになった。

 ◇

 俺と立木は、二人が用意してくれたテキストや問題集を黙々と解いていく。
 市販の物にはどの問題をやればいいか印がついていたり、自作と思われるプリントまであった。
「あの、終わりました」
 一通り埋めた解答用紙を渡すと、渡部が答え合わせをする。ヤツが眉間にしわを寄せたのを見て、俺は思わず唾を飲み込んだ。
 渡部は用意してあった課題の中からいくつかを見繕うと、俺の目の前にどん、と置く。
 ――また増えた。
 断層のように積み上がっていくそれを見て、自然とため息が漏れる。
 それが耳に届いたのか、舌打ちが返ってきた。
「何か文句あんのか? さっさとやれよ」
「い、いや……はい」
 視線の鋭さに耐えかね、俺は慌てて机に目を戻す。
 最近段々馴染んで来てたから忘れてたけど、そもそもコイツはこんな感じのヤツだった。優しく教えてもらおうと思ったのが間違いだった。
「和葉さん、少し休憩しない?」
 その時、立木の声が聞こえたので、俺は下を向いたまま目だけ動かし、そちらを見る。
 和葉さんは穏やかな顔で、優しく言った。
「さっき休憩したばかりじゃない」
「でも……ちょっとだけだし? ただ休むだけじゃなく、お菓子とか食べながらゆっくりしたいし」
「じゃあ、もう少しやろう? これ解いてから」
 そうして、そこそこ厚みのある問題集が置かれる。
「中間もあまり良くなかったから、期末はもう少し頑張ったほうがいいと思うの」
「でもでもっ! あれでもマシなほうだったんだって! お友だちのおかげねって、お母さんも言ってたし」
 必死で抵抗を試みる立木。この短時間で、ずいぶんげっそりしたように見える。
「それなら、もっと良くなったら、もっと喜んでもらえるよね」
 さらに積まれる問題に、抵抗は無理と悟ったのか、ついに立木は口を閉ざした。
「――てっ!」
 そこで頭に痛みが走り、俺はてっぺんをさすりながら床を見る。そこには半開きになったポケット辞典。
「よそ見してんじゃねぇよ」
「はい、すいません」
 俺は急いで問題に取り掛かる。
 勉強会の話が出た途端、立木が急に無口になったのはこういうことか。
 何だか、踏み入れてはいけない領域に足を踏み入れてしまった気がする俺だった。

 ◇

 そしてようやくやって来た一区切り。
 部屋にはすでに西日が差しこみ始めている。
「まだまだ酷いもんだが、とりあえずは乗り切れるだろう」
 テーブルに突っ伏した頭上から、渡部の嫌みったらしい声が降りかかってくる。
 俺はそれを払うことも、投げ返すことも出来ずにぐったりしていた。
 きっとまたドヤ顔してるんだろうが、それを見なくて済んだのは幸いと言ったところか。
「……の」
 そこで立木が何事かを言ったので、耳だけを済ませてみる。
「ノー……アイムノットアスリーピングビューティー……」
 ――大丈夫なんだろうか。
 そんなこんなありながらも、振舞われた紅茶とスコーンを食しているうちに段々元気も湧いて来て、それと一緒に記憶も戻ってきた。
「そうだった」
 俺はバッグを引き寄せ、あの茶封筒を取り出す。
「あの……これ。和葉さんにって、病院で渡されて」
 そう言って差し出すと、和葉さんはじっとそれを見た。
 勝手に中身を見たことが、もしかしたらバレるんじゃないかと、妙に緊張する。
「あの人が、来たの」
 しかし、和葉さんはそれだけを言い、封筒をゆっくりとした動作で受け取った。
 少し躊躇うようにしてから、封を開ける。
「あっ!」
 それを後ろから覗き込んでいた立木が突然、大きな声を上げた。
「この人、新名楓じゃない!?」
「新名楓?」
 記憶を探ってみるけれど、その名前に心当たりはない。有名人なんだろうか。
「フォトグラファーだろ。新進気鋭の」
 渡部がぽつりという。やっぱり有名人っぽい。知らないのって俺だけなんだろうか。
 みんなの興味が集まると、和葉さんはまたゆっくりとした動作で、何枚かの写真をテーブルの上に置いた。
 俺は一回見ちゃったけど、初めて見たようなフリをする。
 和葉さんは、黙って手元に残った写真を眺めていた。どんなことを感じているのか、その表情からは読み取れない。
「……この人はね」
 写真への感想や、新名楓というフォトグラファーについての会話は、ぽつりとこぼれ落ちてきた言葉により、ぴたりと止んだ。
 和葉さんはまだ、持った写真に目を向けたままで顔を上げない。
「私が生まれて初めて出会った能力者で――能力を眠らせた、初めての人なの」
 誰も何も言わなかった。
 沈黙に耐えかね、俺が何か言おうかと思った時、それは破られる。
「私の記憶にあるあの人は、いつも眠ってた」
 和葉さんは、まるで写真の中から言葉を一つ一つ探して、拾い出してきてるみたいに話していく。
「医師には睡眠障害だと言われていたけれど、私は違うってことを知ってたの。心配で様子をこっそり見に行った時に、あの人がこうやって……光る針みたいなものを自分の手に刺してたのを見たから」
 そう言って、写真を持っていない方の手で、反対の手首を軽くつついた。
「そうするとね、起こしても起こしても、起きなくなるの」
「それって……つむ?」
 立木の問いに、和葉さんは小さく頭を下げる。
「私はね、病気を治してあげなきゃって思ってた。――それも本当の気持ちだったと思うけど、今思えば、寂しかったんだと思う。それがなければ、他の家みたいに、普通になれるのにって。でもね」
 そこで言葉を切り、息を吐いた。
 俺たちは、次の言葉を待つ。
「能力が眠りにつくと……あの人は家を出て行った」
「なんで、また?」
 俺に上げた声がやけに大きく部屋に響いた気がした。
 それが余計に、気持ちを落ち着かなくさせる。
「きっと、自分の本心から逃げられなくなったからだと思う。フォトグラファーになったって聞いたのは、ずっと後になってから」
 そう言って、和葉さんは写真の表面を指で撫でた。
「私といた時よりも、ずっと楽しそうなのよ、あの人。……ひどいよね」
 彼女は目を伏せて、写真を見続ける。
 流れる長い髪も手伝って、その表情はよくわからなかったけど。
 俺には、微笑んでるように見えた。

 ◇

 そしてまた学校が始まり、ついに期末考査も始まる。
 いざ始まってしまえばあっという間で、その間は俺も流石に他のことまで意識は回らず、ただひたすら試験勉強に集中した。
「あー、疲れ、た……」
 何とか乗り切った最後の日、俺は早々に帰宅して部屋へと入ると、ぐったりとベッドに倒れこむ。
 みんなで自己採点をしてみても、悪くない感触だった。これも地獄の勉強会のおかげか。あんまり認めたくはないが。
 そんなことを思いながらも、素晴らしいスピードで眠りの中へと引きずり込まれようとしたその時、携帯が軽やかな音を立てた。
「……何だよ」
 文句を言いながらも、俺は無意識に手を伸ばす。
 ――でも、今はとにかく寝たい。
 出来はどうだった? とかに答えるのも面倒だったし、やっぱり後で確認しようと一旦は携帯から手を離したが、未練のような感覚はぐずぐずと体の中に残り続ける。
 このままだとスッキリ眠れそうにないので、俺は結局横になったまま首を不自然に曲げ、画面を目の前に持ってきた。
 画面には、案の定メガネのアイコンが揺れている。
 その隣には《これを見てみろ》というセリフと一緒に、URLが表示されていた。文字の並びに見覚えがある。動画共有サイトのURLだ。
 試験のことだったなら無視して寝ようかと思っていた俺は、かえって興味を引かれてしまい、URLをすぐさまタップする。
 サイトへと転送され、少しの間を置いた後、動画の再生が始まった。
 画面には、ばたばたと動く足先が映し出され、それに合わせて押し殺したような笑い声が聞こえて来る。
 背筋がざわり、とした。
 俺は体を起こし、食い入るように小さな画面を見る。
 白のテーパードパンツに、デッキシューズ。続いて映ったのは、見慣れたひょろい足。
 動画には、奇妙な踊りを踊っている二人組が映っている。
 顔にはモザイク処理がされていたが、誰なのかはすぐにわかった。

 それは、姿の見えない『アメフラシ』を必死で追い掛け回す、俺と和葉さんの姿だった。

 目次