ガラスのひつぎ

『何あれ? やばくね?』
 若い男女の会話が聞こえる。
 他にも笑い声や、ざわざわとした音が聞こえた。
「一応、違反報告もしてみたんだけどさ……」
 ノートPCを覗き込んで視聴すること何度目か。言葉と一緒にため息が出る。
「顔も隠れてるし、映ってる本人だと言っても無駄だろうな」
 それを受け、渡部が冷静なコメントをした。
 しかしタイトルひでーな。『JKのストリートダンスがヤバすぎてモザイクかけたw』って、確かに顔にモザイク入ってるけどさ。
「でもさ、これってそんなに気にすることなのかな?」
 俺は誰に向けるともなしに言う。
「確かに対処したほうがいい問題だとは思うけど、渡部が言うように顔も隠れてるし、俺たちの声もよく聞こえないし、そこまで緊急性があるのかなって」
 期末が終わった翌日。
 渡部に呼び出され、俺たちは午前中から『事務所』へと集まっていた。
 今日くらいはゆっくりしたい、出来ればまだ寝ていたいというのが俺の正直な気持ちだ。
 でも、ヤツはまだ難しい顔をしている。
「『ヘンゼルとグレーテル』は、何故お前を狙ったんだ?」
 その視線は俺ではなく、和葉さんへと向けられた。
「何故って、邪魔だからって言ってただろ?」
「お前は黙ってろ。俺はこいつに聞いてるんだ」
「ええ。どこで知ったかってことだよね」
 彼女は頷き、記憶をたどるようにしながら話し始める。
「いきなり現れて、『お前が”いばら姫”だな』って言ってきた。だから咄嗟に身構えたんだけれど……恥ずかしながら、何も確認できないまま、お菓子の家に閉じ込められてしまったの。二人いるとは気づかなくて」
「いつもはこっちで調べてから仕掛けるもんね」
 立木も悔しそうに言う。
 いつか渡部が言っていたことが、ここに来て現実になってしまったということだ。
「お菓子の家の中では、意識を何とか保って、脱出の機会をうかがうので精一杯だった。携帯ももちろんつながらないし。本当、みんなが来てくれて助かった。ありがとう」
 和葉さんの笑顔につられるように、場の空気が少しなごむ。
「……あいつら、俺たちのことも知ってたよな」
 だが渡部は一人、PCの載っている事務机から離れ、応接セットの方へと移動した。
 腰を下ろして足を組み、あごに手を当ててどこか遠くを眺めるようにする。
 それがやけに様になるのが腹立たしい。お前は高校生探偵か。
「ああ、そういえば」
 俺もそこで、あの時言われたことを思い出す。
 まるでこっちが戦う能力を持っていないのを知ってるかのような口ぶりだった。
「えっ? そうだったっけ?」
 しかし立木は覚えていないらしく、首をかしげる。今日はしっかりとセットしたツインテールがふりん、と揺れた。
「お前らだけでどう戦うんだ? みたいなこと言ってただろ」
「えー? あのバカ兄妹のことは、キモイ髪型とゴスロリしか覚えてない」
 もっと他にないのか。確かにそれが一番インパクトがある部分ではあったけどさ。
「まあとにかく兄貴のほうがそんなこと言って、だから渡部が策があるっつって、ドロップキックを――」
「ドロップキック?」
 今度はそれが初耳な和葉さんが疑問の声を上げる。
「そんなことはどーでもいいんだよ!」
 そんな俺たちに、高校生探偵はぶちきれた。
「とにかく、あいつらはどこかで『いばら姫と仲間たち』のことを知って、どの程度かはわからんが調べて、それからこいつを襲った可能性があるってことだ!」
 そして指をびしっと和葉さんに突きつける。
 その勢いに、俺たち三人とも呆気に取られてしまう。
 しばらく何ともいえない空気が室内に漂っていたが、やがてそれにいたたまれなくなったのか、突きつけた指を静かにおろすと、ヤツは再び席に着いた。
「ああ、それで、この動画がそのきっかけかもしれないって、めっけちゃんは思うわけね?」
「そういうことだ」
 立木の言葉には、憮然とした態度ながらも頷く。
 『めっけちゃん』呼びについては、もう反抗するのを諦めたらしい。
「それって、あいつらに『アメフラシ』の姿が見えたってことか?」
 俺の問いには、首が横へと振られた。
「さぁ、どうだろうな。あいつらは二人でお菓子の家を制御していたようだから、それ以外の能力はないかもしれん。だとすると、他の誰かが情報を流したと考えたほうが良いのか……現場を目撃したとか、今回の件とは関係なく目をつけられていた可能性はあるが、ネットは誰が見てるか解らんからな。情報伝達のスピードも速い」
 確かに身内だけの雑談のつもりで書いたことが誰かの目に留まり、炎上につながったというのはよく聞く話だ。
 動画の再生数も結構行ってるから、視聴者の中に能力者がいたって変じゃないかもしれない。
「一応あれから投稿者名で検索してみたんだが、他のSNSの情報も出てきた。投稿したのは坂上大の学生みたいだな」
 坂上大のキャンパスは、あの動画が撮られたところからそんなに離れていない。学校帰りに俺たちを見かけて寄ってきたんだろうか。
 動画はおばちゃんが話しかけてくる前で終わっているから、撮影者は早々に散ったグループのほうにいたのかもしれないが、その後の映像はカットされただけかもしれない。
 結局のところ誰の顔もはっきりとは覚えてないのだから、同じことだった。
「確かめてみる必要がありそうね」
 和葉さんの言葉に、立木も頷く。
「何とかして動画削除してもらう?」
「もしあの動画が原因だったとしたら、かえって削除させるのはまずいんじゃないか」
 だが渡部は、消されたことでかえって怪しまれるかもしれないし、投稿者自身も巻き込まれてしまうかもしれないと、難色を示した。
「だけどさ、何もなくても消すことだってあるかもしれないだろ? 晒されっぱなしだと、もっと被害も広がるかもしんないじゃん」
 俺がそう反論したところ、唸る声が返って来る。
「あたしも佐倉に賛成かな。気にし過ぎってこともあるかもよ」
 珍しく立木が俺の肩を持ち、和葉さんもそれに同意したところで、渡部もそこまでの確信はなかったからか、結局折れた。

 ◇

「動画のこと?」
 内密に話したいことがあると言った俺たちに、訝しげな視線が投げかけられる。
 しかしすぐに誰なのかを思い出したのか、テニスコートから少し歩いた先にある、緑の多い場所へと連れて行かれた。
「まさか消せって言いに来た? いーじゃん別に。モザイクかけてっし」
 人の姿がないところまで来ると立ち止まり、こちらが話し出すよりも先に、面倒そうな言葉が放たれる。
「いや、やっぱ困るんで」
 ネット上で得られた投稿者の情報は大雑把なものだったので、俺たちはとりあえず大学まで行って、聞き込みをしてみることにした。
 不安はあったが、実際に訪れてみると色んな人が出入りしていて、俺たちのことを咎める声もなかった。
 件の深沢という学生も、動画か映画かよくわからないが、そういった系統のサークル活動をしているらしく、周囲にも動画をネットにアップしてるという話はよくしていたようで、幸いそんなに苦労せずに見つけることが出来た。
「大体あれ、パフォーマンスじゃねーの?」
 きみ可愛いし、出来れば顔出しでアップしたいんだけど、と和葉さんだけに向けられた深沢の顔に、俺は横から言う。
「違います」
「じゃあ何? なんか探してたとか?」
「まあ、いろいろあって……」
 だがこっちを向かれたところで、本当のことは口に出来ない。
「嫌だね」
 そんな俺を見て深沢は鼻を小さく鳴らすと、きっぱりと言った。
「あの動画伸びてきてるし、せっかくファンもついて、わざわざ感想言いに会いに来てくれたのにさ」
「ファン?」
 その言葉に、今度は急に顔をにやけさせる。
「いい動画ですねって、可愛い女の子が」
「可愛い女の子って、どんな?」
「ゴスロリの……バンドやってるって言ってたな。ええと、スイーツ・ハウスとかいう」
「スイーツ・ハウス」
 二つの単語により、俺の中で煙のようにもやもやと曖昧だった形が、一気に像を結ぶ。
 思わず隣へと目をやると、和葉さんもこっちを見ていた。
 そういや、本人はゴスロリじゃなくてパンクだとか言ってたっけ。
 バンドをやってるのだと言われると、妙に納得するものがあった。
「その人とは、何を話したんですか?」
 今度は和葉さんのターン。敵は俺の時よりも、露骨に嬉しそうな表情をする。
「面白い動画の撮り方とか、編集のコツとかさ。あとはあの動画の撮影場所や……心配しなくていいよ。俺、君たちのこと知らないし、透明人間でも捕まえようとしてたんじゃねーの? って言っただけだからさ」
 言ってげらげら笑う深沢。ほぼほぼ正解です。
「動画を消して欲しいのは、個人的なこと以外にも、事情があるんです」
「だからどんな事情?」
「それは」
 和葉さんはしばらく迷うようにしてから、ぐっと唇を噛んだ。
「……わかりました。話します。絶対に、誰にも言わないでくださいね」
「ああ、いーよ」
 急に声のトーンを落とした和葉さんに、ヤツは顔を近づける。
 近づけすぎだろ、離れろ。――と言いたいのを我慢しながら、俺は成り行きを見守った。
「絶対に、絶対にですよ。そうじゃないと……」
 何度も念を押す彼女に、へらへらしていた深沢も、少し神妙な態度になってくる。
 そして何となく周囲を見てから、あごをしゃくった。
「わかったって。さっさと話せよ」
 和葉さんは、さらにためらうような素振りを見せてから、重い口を開く。
「……実は、私の家に代々伝わる、呪いに関することなんです」
 その言葉が終わって一瞬の後、深沢は吹き出した。
「はっ? なにそれ?」
「静かに。障りがありますよ」
 しかし和葉さんが表情を変えることはない。
 人差し指の先をそっと唇に当てて視線を走らせ、周囲に誰の姿もないことを改めて確認する。
 俺も緊張で心臓ばくばく言わせながらも、少しうつむき加減の重い表情を続けた。
「だからー、――ぇっ」
 何言ってんだこいつ、面倒なのと関わっちゃったなということを語っていた深沢の顔。
 それが、突然引きつった。
 慌てて振り返ったそこには、相変わらず誰もいない。
「どうかしましたか?」
「え、いや――風かな、うん」
 首をかしげた和葉さんの方へと向き直り、自分を納得させるように言うが、今は風なんか全く吹いていない。ただ蒸し暑い空気が周囲に滞っているだけだ。
「とにかく、あの動画は――ひやぁっ!」
 今度は語尾が悲鳴になる。
 深沢は今度は体ごと後ろを向くと、首を物凄い勢いで左右に動かした。でもやっぱりそこには誰もいない。
 辺りには木が立ち並んでいて、少し離れたところに大きめのベンチもあるから、人が隠れるのは不可能ではないが、人に触れてから隠れるならば、流石にすぐばれてしまう。
 それでも確かめずにはいられないといった風の深沢を見ながら、俺は和葉さんに言った。
「もしかしたら、あれじゃないっすかね?」
「ああ……そうかもしれないわね」
「お、おい。何だよあれって」
 するとヤツは足を止め、慌ててきびすを返すと、会話の中へと割り込んでくる。
 和葉さんは大きくため息をつき、うろたえる男を見据えた。
「だから言ったでしょう。呪いに関することだって。動画を消さないって言うから怒ってるんだわ」
「まさか、そんなのあるわけ――」
「見えない手に触られたような感じがしたんじゃないですか?」
 畳み掛ける言葉に、深沢の顔がさっと青ざめる。
「やっぱり……そうやって関係ない人に迷惑をかけたくないから、お願いしてるんです。今はその程度で済んでいますが、そのうちエスカレートしますよ」
 ヤツの体は寒くもないのに小刻みに震えている。でも顔には玉のような汗が浮かんでいた。
 その目は、救いを求めるかのように俺を見る。ゆっくりと、もったいをつけて頷く俺。深沢の口は半開きになり、一瞬の間、動きを止める。
「ど……動画を消せば、怒りは収まるんだよな? ささ探してたってものは大丈夫なのか?」
 出来るだけ冷静でいようとする努力は見て取れるが、残念ながらあまり上手く行っていない。
 和葉さんは、そんな男に優しく微笑んだ。
「ええ、もう平気です。元々他の人には関係のないことですから、動画を削除さえすれば解決です」
 その笑みと言葉とで一気に安心したのか、大きく息をついて笑う深沢に、もう一度念が押される。
「このことは、決して口外しないように。また怒りに触れてしまいますから」

 一気に疲労がのしかかったかのように深沢の足取りは重く、その後ろ姿はゆっくりと見えなくなっていく。
「ちょっとやり過ぎたかな」
 ぽつりと呟く和葉さんの隣で、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
 自覚がないみたいだけど、この前の勉強会といい、結構なSっぷりだと思います。
 そして辺りに誰もいないのをもう一度確認してから、親指を立てた。
「ロクな動画がなかったから、少しくらい反省したほうが身のためなんじゃないか?」
 すると、今まで誰もいなかった場所に突然、渡部の姿が現れる。これが『障り』の正体だ。
 ヤツは小さく息をつくと、首や肩を回す。
「他のは顔がはっきり映ってるのもあったからな」
 マジか。まさかあのタイトルのためだけに、俺たちの顔にモザイクかけたんだろうか。
「あの人『紡ぎ手』じゃなかったよ」
 こちらは和葉さんから連絡を受け、やってきた立木。少し離れた場所で待機し、魔法の鏡で深沢のことを調べていた。
 彼女にも、会話の内容が伝えられる。
「へぇ、あの妹が来てたとはね。めっけちゃん、ビンゴだね」
「ああ、一人で訪ねて来たのか、兄貴はどこかに潜んでいたのか」
「……あっ、ブログが出てきたよ! スイーツ・ハウス」
 立木はディスプレイの上を滑らせていた手を休め、携帯をみんなに見えるようにかざした。
 季節はずれのハロウィンみたいなテンプレートのブログに掲載されている画像を見ると、あの兄妹に間違いない。妹はマイクを、兄貴はギターを持っている。
「っと……何回かライブやってるみたいだな。新宿の”Glass Coffin”ってライブハウスみたいだ」
「――臭うな。罠かもしれん」
「どういうこと?」
「グラス・コフィン――ガラスの棺。そういうタイトルの童話があるの」
 俺が聞くと、面倒そうな顔をした渡部の代わりに和葉さんが教えてくれた。
 童話のタイトルが店名に使われること自体はよくあることだとは思うが、確かに出来すぎな感じはするよなぁ。
「確かに……怪しいよね。でも他に手がかりがないし、行ってみるしかないんじゃないかしら」
 和葉さんはそう言って俺たちを見る。
 誰からも異論は出なかった。

 ◇

「……うまかっただろ」
「だからー、マズかったんだって。油っこくて」
「こってりだから、あんなもんだろ」
「あれじゃごってり、だって」
「……それ、別にうまくないぞ」
「ほら、うまくなかったでしょ?」
「馬鹿野郎、たとえの話だ」
「ヤローじゃないもん!」
 新宿に到着し、何も食べてないからとりあえず何か食おうと立ち寄ったラーメン店の味で、渡部と立木が熱い議論を交わす。
 ――段々脱線してきてるけど。
「佐倉はうまかっただろ?」
 あ、こっちにまで飛び火した。
 何か面倒なことになりそうな予感がしながらも、俺は頷く。
「ああ」
「ほらな」
「佐倉みたいなビンボー舌に聞かないでよね!? この前だって落ちてたお菓子拾って食べたんだから!」
「食ってねぇよ!」
 あれは自分のポケットから落ちた物と勘違いして拾ってしまっただけで。あとでちゃんと捨てたし。
 そう説明する前に、渡部の冷たい視線が突き刺さる。
「だから――」
「私も美味しかったよ」
「ええー!? 和葉さんまで!?」
「まなちゃんは、あっさりが好きだもんね」
「ほらな。貧乏舌はお前だ」
「……あのさ」
「あっ、あれじゃない? グラス・コフィン」
 俺の弁明は済まないまま勝手に話は進んでいき、そのうち目的地が見えてきてしまった。
 これだと俺、拾い食いしたみたいなイメージのままじゃねーかよ。
 でも近づく建物を前にして、そんなことを言ってられる気分ではなくなってくる。
「『紡ぎ手』はいないみたいだし、本当にただのライブハウスかもね」
 立木は言って笑う。
 事前に魔法の鏡で、ライブハウス近辺のことは調べてある。『紡ぎ手』がいないとわかってはいても、まとわりつく緊張感は中々ぬぐえない。
「あまり構えても仕方がないわ。こっちも普通に行きましょう」
「そうだな」
 流石というかなんというか、和葉さんも渡部も割り切るのが早い。
 俺は言うべきことが見つからず、ただ黙って頷いた。
 
「いらっしゃい。……あら、見ない顔ね」
 中へと入ると、優しげな声に出迎えられる。
「あっ……えーと」
 その声の主が、ちょび髭のおっさんだったため、俺は少しばかり動揺してしまい、言葉に詰まってしまう。
 つーか、いつの間にか俺が先頭になってるのは何故。
「……すみません。ちょっと見学というか、聞きたいことがあって」
「そうなの。あと一時間くらいしたら今日のイベントに出るコたちが来るから、それまでだったらいいわよ」
「は、はい。すいません」
 俺はぺこぺこと頭を下げ、鳩みたいになりながら中へと入る。
 後を睨むと、三人もそ知らぬ顔でついてきた。
 キャパ百人というところだろうか。店内はほぼ黒一色で、どこら辺に『ガラスの棺』要素があるのかは謎だ。
 壁際には色々なバンドのチラシが置いてある。そのケースが透明なので、もしかしたらこれが申し訳程度のガラスの棺要素なんだろうか。でもアクリルケースだしなぁ。
「あの」
 そんなことを思っていたら、和葉さんが口を開いていた。
「”Glass Coffin”ってどういう意味ですか?」
「ああ、オーナーの好きな曲のタイトルよ。イギリスのロックバンドの曲なの」
 店長は相変わらずのオネ――やわらかい口調で答える。バンド名も教えてくれたが、俺たちの誰も知らなかった。
 もしかしたらその曲の元ネタが童話なのかもしれないが、ライブハウスの名前だし、曲名から取ったという理由のほうがしっくりはくる。
「”Sweets House”っていうバンドも、ここでライブやってます?」
 今度は立木が尋ねた。
「ええ、何度か」
「今度はいつやるんですか?」
「まだ次の予定は入ってないわね」
「住んでるところとか、わかりませんか? 大体でいいんで」
 相手は普通の人っぽいし、半ばヤケで飛ばした俺の言葉には、店長は眉をしかめる。
「アタシにお客の個人情報、お漏らししろっていうの?」
「いや、そこは丁寧に言わなくても……」
「ソコってドコよ! とにかくダメダメダメ! そういうの困るの。たまにいるのよね、ストーカーみたいなファンが」
「そういうことじゃなく、これには事情が――」
「アンタ警察? 違うでしょ? どんな事情があってもダーメ! 変な噂が広がったら、商売やってけなくなるのよ!」
 ただでさえ厳しいのに、と店長は俺をじろりと見る。
「は、はい……すいません」
 その迫力に圧され、俺はただ謝ることしか出来ない。
「ちょっとアンタ!」
 今度は店長の声が遠くへ飛ぶ。
 ステージ近くで何事かをやっていた渡部は、弾かれたように顔を上げた。
「機材に勝手に触らないでちょうだい! 試したいなら言ってよね」
「ああ――失礼」
 一連のやり取りで、俺たち全員、何だか拍子抜けしてしまった。
 これじゃ、ただ普通に見学に来て、普通に怒られただけだ。
 大して広くはない店の中、もう見て回れるところもない。
「えー……と」
 他に何か出来ることはないかと考えを巡らせながらあちこちを見、そこでもう一度アクリルケースに目が行った。
「ライブ――チケット。今日のイベントのチケット、余ってませんか?」
 その言葉が意外だったのか、店長は目をぱちぱちと瞬かせる。
「え、ええ。余ってるけど」
「く、ください。――四枚」
 ちょっと周囲に動揺が走った気もするが、反対の声は上がらなかった。

 ◇

「いよいよ、最後の曲になりました」
 会場がどよめき、女の子の残念そうな声が一際目立って聞こえる。
 イベントは何事もなく始まり、あっという間に終わりを迎えようとしていた。

 君が Heal Liar Rule 口にする言葉は
 一つ一つ 壊れて嘘になる
 Bale Hank rend hen 彼が狂ってるっていうなら
 僕らの正しさはどこにある?
 二つを分かつものは どこにだってありはしないのさ

 腹に響くようなベース音と対照的に、軽やかに刻まれるドラム。
 ノイジーにギターを鳴らしながら、どこか気だるげなヴォーカルが乗る。
 結構好みの演奏をするバンドだったから、こんな状況じゃなければ、もっと楽しめたんだろう。
 だけど俺たちみんな、怪しまれない程度にノっているフリをするので精一杯だった。

「これからどうしようか」
 会場から流れ出る人を眺めながら、俺は呟くように言う。
 辺りはすっかり暗く、色とりどりの街の明かりだけが目に鮮やかだ。
「しばらく様子を見るしかないだろうな」
 渡部は言って、同じように入り口を見た。
「おまたせ」
 そこへ立木と和葉さんがやってくる。
 近隣の迷惑にならないよう、外では静かにしろと言われていたので、小声での会話になった。
「知ってるって人、いなかったよ」
「私も。フライヤーがあるのを見たっていう人がいたくらい」
 俺も会場で近くにいた人にそれとなく聞いてはみたものの、”Sweets House”のことは知らないと言っていた。
 ヤツらのテイストを知らないからなんとも言えなくはあるけど、そもそも会場が同じっていうだけで客層がかぶるというわけでもないだろうし、あんまり聞きまわってると『紡ぎ手』がどうとかいう前に、要注意人物扱いになりかねない。
「でもさ、それなりに楽しかったんじゃない?」
 しばらく歩いて大きな通りに出ると、一気に人の数が増す。立木が安心したように声を大きくした。
「まぁな」
「俺はああいうのは好みじゃない」
「私も普段は聞かないタイプの音楽だったけど、良かったよ」
 誰の賛同も得られなかったのが不服なのか、渡部が渋い顔をする。
「めっけちゃん、ビンボー耳だ」
 立木の言葉に、俺も和葉さんも吹き出し、渡部はむっつりと黙り込んだ。
 俺は何気なく、来た道を振り返る。
 『ヘンゼルとグレーテル』は眠りについた。
 いつか別の『紡ぎ手』が襲撃してくることはあったとしても、一旦はこれで終わりなのかもしれない。
 もうここからは、ガラスの棺は見えなかった。

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