金のがちょう

 暑さは急激に増してきて、輝く太陽がじりじりと皮膚を熱する。
 だが今日、俺は上機嫌で家路へとついていた。
 返却されたテストの結果は予想を裏切らず、中々のものだった。思わず立木とハイタッチをし合って、周囲から生温い目で見られたりしましたよ。
 無事赤点もなく切り抜けることが出来たし、あとは夏休みまで特に大きなイベントもない。開放感でいっぱいで、流れる汗がやけに爽やかに感じたりした。

 家に着くと、とりあえず冷蔵庫を開け、入っていたジュースを取り出して部屋へと向かう。
 エアコンをつけて鞄をベッドの上に投げるように置き、俺もそのまま腰を下ろした。
 ボトルを口につけ傾けると、ひんやりと弾ける炭酸と一緒に、オレンジの香りが口の中に広がる。
 すると次第に冷えてきた頭の中に、この前の出来事が浮かんできた。
 俺は携帯を片手に、何気なく”Glass Coffin”のサイトを見てみる。黒背景に浮かび上がる銀のラインが結晶のようにも見えた。
 イベント一覧が載っているページに、『7/6 アルガンノア』と書かれている。ライブの日、色々なことに気を取られていてあんまり聞き取れてなかったんだが、そんな名前のバンドだった気もする。
 リンクをタップすると、今度は真っ白なページへと移った。特に何の変哲もない、レンタルのブログサービスだ。
 最新のエントリには、こう書いてあった。

『お蔭様でイベント大盛況! ありがとう!
メンバー全員、まだまだ元気です!』

 その下には写真。
 場所はカラオケ……だろうか、全員笑顔だ。
 あの時は暗くてよくわかんなかったけど、こうやって姿がはっきり映ってると、女の子のファンが多かったのもわかる気がする。

『ラストに演奏した新曲、ここに来てくれたみんなにプレゼントするね!
“Glass Coffin”オーナーの仁科さんが作詞してくれたスペシャルな曲です』

 矢印の下には、音譜のマーク。そこに触れると、いきなりダウンロードが始まった。
 ちょっとびくっとしてしまったが、プレゼントって書いてあるし問題はないだろう。
 それからしばらくすると勝手にファイルが開き、スピーカーから小さく流れる聞き覚えのある曲。
「お、ラッキー」
 最後ってことで印象も強かったんだけど、この曲よかったんだよな。タダでもらえるなんて助かる。
 ディスプレイには”Neon’s Springs”との表示。ネオンの春? ネオンのバネ、かな。それとももっと違う意味があるのかもしれない。
 とりあえずプレイリストに放り込み、ぼんやりと曲を聞き流しながら、再びライブハウスのサイトに戻って眺めていると、今度は別のことが頭に浮かんできた。
 ”Glass Coffin”っていう名前を聞いて、和葉さんも渡部も、すぐにそれを童話のタイトルと結びつけた。立木はすぐには反応しなかったが、すんなり納得してたから、多分、英語がピンと来なかっただけだと思う。『アメフラシ』と遭遇した時もそうだったし、やっぱり三人とも童話に関する知識がハンパない。
 でも俺はさっぱりだ。童話全集を読み直さねばと思ったのは大分前のことで、ばたばたと毎日を過ごしてきて、結局読むことが出来てない。
 今、時間があるうちに読んでおくべきなんじゃないだろうか。今から知識で追いつくのは難しくても、せめていちいち尋ねて足を引っ張らない程度にはなりたいし。
「童話……か」
 ネットで探してみても、中々これというサイトも出てこない。
 概要がわかれば問題ないっちゃ問題ないんだけど、せっかくだからきちんと読んでおきたいという気持ちもあるしなぁ。
 しかし童話全集をショップで探してみても、それなりの値段がする。最近やたらと何かを奢る機会にばかり恵まれてるから、またここで出費というのも厳しい。
 ――となると、やっぱ図書館か。
 俺は体を起こし、手早く支度をする。思い立った時に動いておかないと、また億劫になってしまいそうだったからだ。
「よし」
 必要なものをもう一度簡単に確認し、俺は颯爽とドアを開けた。
 ――途端、階段の下から聞こえてきた鼻歌に、足裏が自動的にブレーキをかける。
 恐る恐るそちらを覗き込むと、姉貴がアイスバーを食いながら、二段上っては一段降りるということを繰り返しているところだった。
 こんな時に、また妙なエクササイズを。
 正直無視したかったのだが、このまま待っているといつ通れるようになるかわからないので、仕方なしに声をかけることにした。
「姉ちゃん」
「なになに? 弟よ」
 姉貴は目をきらきらとさせながら階段を駆け上ってくる。
 しかし、いつもながらこのタイミングのよさは何なんだ。何かの能力か。
 ――それとも部屋に盗聴器でも仕掛けられてるんだろうか。
 俺は浮かんだ恐ろしい考えに身を震わせながら、声をかけてしまった手前、とりあえず思いついたことを口にする。
「あー、えっと……そうだ、童話全集とか持ってない?」
 すると姉貴は、大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
「なんでそんなの必要なの?」
「ちょっと、調べ物で」
「ふーん」
 それからしばらく考えるように腕組みをし、またアイスを一口かじってから喋る。
「そういえばラプンツェルがどーのこーのって言ってたんだっけ? 長袖で」
 一体どこまで筒抜けなんだ。タケはスパイか。
 俺はあからさまに大きな溜め息をつく。聞いても無駄だとは思ってたけど、本当にただ無駄なだけだった。
「じゃあそういうことで、図書館行ってくるから」
 どいてくれと振った手を、少しの間見つめてから脇に避けた姉貴を通り越し、俺はさっさと玄関へ向かう。
 すると背後から、「そーいえばー」とわざとらしい声が聞こえてきた。
「おばあちゃん家にあったんじゃないかなぁ、たくさん」
「ばあちゃん家?」
 聞こえないフリをして出て行こうかと思ったんだが、その単語が出たことが気になり、結局振り返ってしまう。
 ちなみに俺たちの間でばあちゃん家といえば、ここから電車で三十分くらいの場所に一人で住んでいる、母方の祖母の家のことを指す。父方は『じいちゃん家』だからだ。
 小さい頃は気に入らないことがあると、家出すると言っては、よくばあちゃん家に逃げ込んだもんだった。
「そうだっけ?」
 だが、そこで童話全集を見たという覚えが、俺にはない。
 孫二人が遊びに行ってたことを考えると、あってもおかしくはないんだけどなぁ。どこかに仕舞ってるんだろうか。
「……もしもし。あ、あたしあたし」
 俺がそうやって考えている間に、姉貴は電話で誰かと話し始めていた。
「あのね、おばあちゃん家に童話全集ってあったよね? ……あ、やっぱり」
 その相手は、どうやらばあちゃんらしい。
 呆れ顔で眺める俺を、楽しげな瞳がちらりと見返す。
「タカが必要なんだって。今から取りに行くから」
「えっ」
「うん、あたしもまた今度遊び行くね。それじゃーね」
「いや、ちょっと」
「おばあちゃん、持ち運びやすいようにしといてくれるって」
 言葉を挟む余裕もなく、いつの間にか話は決まっていた。
 にこやかな笑みでサムズアップをする姉貴に、俺は溜め息をつく。
「……ま、いいけどさ」
 高校入ってから中々会えてなかったし、せっかくの機会だからいいかな。
 そう思い直すと、俺は「お土産よろしく!」という声を無視し、今度こそ家を出た。

 ◇

 自転車を走らせ、最寄の駅へ。午後の街はさらに蒸し風呂のようになっていたが、風が当たるし、歩くよりは大分マシだ。
 駐輪場に相棒を待機させ、ホームへと向かう。次の電車を確認すると、あと二十分ほどだった。
 さして広くはない構内には、コンビニと、パンも売っているカフェ。せっかくだからばあちゃんに何か土産でも……とは思ったんだが、あんまり良さそうなものは見当たらない。いつも利用する駅ならもっと広いし、色々あるんだけど。
 そんなことを思いながらコンビニから出ると、三、四歳くらいだろうか。一人でぽつんと柱に寄りかかっている男の子が目に入った。その上に張られている楽しげなポスターとはあまりにも対照的なその雰囲気が、何だか気になってしまう。
 迷子なんだろうか。
 改札へ向かいながらもそっちを見ていると、顔を上げた男の子と目が合った。
 すがるように向けられる瞳に、流石に放ってはおけなくなる。
「どうした?」
 近づき、少し腰をかがめて聞いても、男の子は黙ったままだ。
「お母さんとはぐれた?」
 そう聞くと、小さく頷いた。
「そっか。……えーっと」
 こういう時、どうすればいいんだろう。
「とりあえず、駅員さんのところに行こう」
 少し迷った後、手を差し出すと、そこに恐る恐る小さな手が乗せられる。
 俺は少しだけ安心して、その手を引き、窓口にいる駅員さんに事情を話す。
「ああ、それはそれは……お母さん、どっか行っちゃったのか」
 駅員のおじさんは太い眉を器用に色んな形に変えながら、男の子の頭に手を置いた。
 優しげな声音にこくりと頷く様子を見てほっとした俺は、慌てて電光掲示板を確認する。
 ――発車まであと三分しかない。
「あの、それじゃお願いします」
 心配ではあるけど、俺がここにいても出来ることもないし、駅員さんに任せておけば安心だろう。
「はい、ありがとう。……お兄ちゃんにありがとうって」
 一方、まだ不安そうにしている男の子にバイバイと手を振って、俺は自動改札を通り抜ける。
 そのまま階段を小走りで上がり、大きく口を開けて待っていた乗降口と入った直後に、ホームへと軽やかな音楽が流れてドアが閉まった。
 ――ぎりぎり間に合った。
 大きく息をつく。するとつられるように汗が噴き出してきた。
 体に伝わる揺れ。それから横へと流れ出した窓の外を眺め、Tシャツの袖で汗を拭う。
 さっきの子、早くお母さんに会えるといいな。
 いいことをしたという誇らしげな気持ちと、気恥ずかしさが混じった妙な高揚感をペットボトルのお茶で鎮め、息を吐き出す。
 平日の昼間ということもあり、電車の中に人はあまりいなかった。
 座席の空きも沢山あったんだけど、俺はそのまま反対側のドアのところまで行って、手すり付近に体をもたせ掛ける。こっちのドアはちょうど、目的の駅に着くまでは開かないはずだ。
 もう窓の外にホームは見えなくなり、今は四角いビルの壁を、次々と映し出していた。
 俺は携帯にイヤフォンを装着し、手に入れたばかりのあの曲を再生する。ギターの音が耳の中へと広がった。
 曲を聞きながら、銀のフェンスや通行人、街路樹や建物が次々と通り過ぎていく様子を眺めていると、疾走感が増すようで心地いい。

 きみが Heal Liar Rule 口にする言葉は
 一つ一つ 壊れて嘘になる
 Bale Hank rend hen 彼が狂人だというなら
 僕らの正しさはどこにある?
 二つを分かつものは どこにだってありはしないのさ

 僕が 昼間から 耳にする感情論
 Heal Flour 酷く やつれた白い頬
 言葉遊びなら他でやってくれ Arid Bee
 自分が言ってること理解してる?
 彼らを責めることは 誰にだってできやしないのさ

 タイトルも変わってるけど、歌詞も改めて聞くと不思議な感じだ。
 歌詞は短め、ほとんどを間奏が占めている曲で、ライブの時、他の曲と比べてそれが異質に感じられたから、特に印象に残ったということもある。
 ブログにはライブハウスのオーナーが歌詞を書いたとあったけど、スペシャルっていうことは、今回だけってことなのかな。
 掴みどころがないというか、意味がよくわかんないところもあるけど、曲に絡み合ってると、カッコよく聞こえる。
 ギターの音が呻くようにして曲が終われば、またリピート。再びギターが跳ねるように歌いだす。
 そのうち四角い窓に映し出されるかのようにライブの光景が思い出されてきて、心地よく曲の世界に浸っている間に、目的の駅に着いていた。

 ◇

 駅から出て、緩やかに登る道を、少し色あせたガードレールに沿って歩いていく。
 左側に立つフェンスの網目から、電車が起こした風が吹いてきた。
 反対側には商店街があるんだが、こっち方面は主に住宅地になっている。俺の家の近所よりも、緑が多くて静かだ。いつの間にか見覚えのない家が出来てたりして、ちょっと来ないだけでも変わるもんなんだな、と思ったりする。
 いつもあまり多くの人とすれ違った記憶はないけれど、平日の午後の微妙な時間帯だからなのか、あるいは天気のせいか、駅からここまで、まだ誰とも出会っていない。
 照りつける日差しの中、静かな住宅街にセミの声と、俺の靴がアスファルトを蹴る音だけが目立つ。
 ――いや。
 ぺたっ、ぺたっと音がする。
 俺の後ろから――足音だ。
 何気なく振り返ろうとした俺の首が、硬くなってそれを押しとどめた。
 ――もしかして、つけられてる、とか?
 その思考をきっかけとし、和葉さんが姿を消した時のことが思い出されて背筋が寒くなる。
 ――いや、勘違いだって。
 そう囁くもう一人の自分もいるんだけど、不吉な思いを振り払えるほどの力強さはない。
 俺は歩むスピードをそのままにして、周囲に視線を走らせる。だけど未だに誰の姿も見えない。
 どうしよう。
 緊張に指先を震わせながら、背後に意識を向けたまま、なるべく自然なふりを装って、携帯を取り出した。ついてくる気配に特に大きな変化はない。
 その時俺の目の端は、斜め前にある、光るものを捉えていた。
 カーブミラーだ。その銀の表面はじりじり、じりじりと俺自身の姿を映し出し、やがて追跡者の姿をもあらわにする。
 そこにいたのは――さっき駅員さんに預けてきたはずの男の子。
 慌てて振り返る。びくっとし、こちらを恐々と見るその姿に間違いはない。
「えっ――と、ついて来ちゃったのか?」
 一気に力が抜けて、汗がまたどっと噴出す。
 自分でもへなへなした声になったと思ったが、男の子はゆっくりと頷いた。
「駅員さんは? お母さんには会えたの? ――あっ、もしかして家がこのあたりだとか?」
 あの駅で困っていた訳だし、そうだったなら納得がいく。
 しかし、今度は首が横に振られた。視線を周囲に向けてみても、近くにお母さんらしき人の姿もない。
「本当に、俺の後について来ちゃった?」
 男の子は相変わらず、どうしていいかわからないという顔で頷く。
 つーか俺もどうしたらいいのかわかんねーよ。
 とりあえず駅まで戻って、そこからさっきの駅員さんに事情話したほうがいいんだろうか。
 そう思って手を引こうとした時、新たな疑問が浮かんだ。
「ぼく、名前は?」
「……ソウタ」
「ソウタ。ここまで、どうやって来たんだ?」
 見たところ、手ぶらに見える。そもそも、このくらいの歳で電車に一人で乗れるんだろうか。
 ソウタは何やら迷っているようだったが、ようやく重い口を開いた。
「……がちょうさんに、つれてきてもらったの」
「がちょうさん?」
「うん、きんいろ、なの」
 一瞬ぽかんとしたが、俺はすぐに自分も持っているICカードのデザインを思い出す。
 でも、鳥――ではあるけど、どう見てもがちょうには見えないような。
「そのがちょうさん、どこにいるんだ?」
 ソウタはゆっくりと、小さな手を持ち上げた。その人差し指の先が、こっちに向けられる。
 それが示すのは――俺の右隣。そこには熱せられた歩道があるだけだ。
 何だかすごくいやーな予感がしてきたぞ。
「ここに、いるの?」
「……うん」
 俺が確かめるように同じ場所を指差せば、ソウタは不安げに頷いた。
 たぶんそれは自信がないんじゃなくて、俺に信じてもらえないことを心配してるんだろう。
「えー……とね」
 脳内を目まぐるしく思考が駆け巡る。
「ちょっと待っててくれるかな? ジュース飲んでていいから」
 とりあえずソウタを道の端、日陰になったあたりに移動させ、さっきコンビニで買ったジュースを渡す。
 それから手にしたままだった携帯のディスプレイに触れた。
『おかけになった電話番号は、電波の届かないところにおられるか、電源が……』
 まず和葉さんにかけてみたが、つながらない。
 俺は一度ソウタの様子を窺ってから、今度は立木にかけた。
 やけに長く感じる数回のコール音の後、あくび交じりの声が聞こえる。
『はーい……何か用?』
「き、金色のがちょう」
『は?』
 それにほっとする間もなく、とにかく伝えなきゃと口から出た言葉には理解不能だという反応が返ってくる。
「だから、つ、『紡ぎ手』発見した。今、一緒にいる」
『え、あんたどこにいんのよ?』
 先ほどより幾分引き締まった声に問われ、俺は最寄り駅と大体の住所を伝えた。
 そのうちに気持ちも落ち着いてきて、時々ソウタの様子を見ながら、経緯をかいつまんで話す。
 ソウタは美味そうにジュースを飲んでいる。今日は暑いからとお茶と迷った挙句、二本買っといてよかった。優柔不断もたまには役に立つ。
『うーん……和葉さん、今日は学校のイベントだから携帯切ってるみたい。禅寺体験だったかな』
「禅寺ぁ!? バカじゃねーのサンジョ!?」
『アンタより頭いい人ばっかりだよ』
 冷静な突っ込みをされて言葉を失う俺。
 それはそうなんだけどさ。何もこんな時に禅寺なんて行かなくても。
『とにかく、あたしもそっち行くから』
「ああ、よろしく」
 通話を切ると、自然に溜め息が漏れる。
 またソウタの方へ目を向けると、心配そうにこっちを見ていた。
「おまたせ」
 声をかけ、近くまで行けば、その表情は少しほっとしたものになる。
 しかし、この暑さの中、立木が来るまで外で待ってるのもなぁ。俺一人なら、まだ何とでもなるんだけど。
「ソウタ。一緒に、俺のばあちゃん家にいこうか」
 それしかないと思い立ち、手を差し出すと、ソウタは出会った時と同じように、そこに小さな手をそっと乗せた。

 ◇

 インターフォンを鳴らすと、すぐに玄関のドアが開く。
 出てきた笑顔に、俺も思わず破顔した。
「よく来たね。……さ、上がって」
「こんにちは。えっと……この子もいいかな? ちょっと訳があって、預かることになって」
 おどおどしているソウタをつかまえ、前に出すと、ばあちゃんはまたにっこり笑った。
「可愛いお友達ね。もちろん構わないよ」
「あとで、他の友達も来ることになると思うんだけど……」
「いいに決まってるでしょ。暑いからとにかく上がんなさい」
「うん、ありがとう」
 何も聞かずに受け入れてくれるばあちゃん、やっぱり大好きだ。
 中へと入ると、木の香りがする玄関には花が置かれ、前に来た時とは違う絵が飾られていた。
 ぼんやりと立って辺りを見回しているソウタに中に入るように促す。すると、ようやく靴を脱いで上がり、きっちり揃えてからついてきた。
 短い廊下を進めば、その先にはリビング。ちょっと少女趣味入ったインテリアも、やっぱり懐かしい。
「手を洗ってきて。お友達もね」
 ばあちゃんに言われ、俺はソウタを洗面所へと連れて行く。ソウタには少し高すぎるから、体を抱えて手を洗わせ、それから俺も手を洗う。
 リビングに戻ると、ちゃぶ台の上には皿に載せられたゼリーと麦茶が並んでいた。
「どうぞ、食べて」
 ばあちゃんの笑顔に、ソウタは喜んでゼリーを食べ始める。
 しばらく俺たち二人が食べる姿を見守った後、ばあちゃんが言った。
「タカちゃん、童話全集、向こうの部屋に置いてあるよ」
「あっ、ありがとう」
 そうそう。すっかり忘れてたけど、そもそもの目的はそれだった。
 俺は麦茶の残りを飲み干し、奥の和室へと移動する。そこは俺たちが泊まりに来るとき、いつも利用する部屋だった。
 中へと足を踏み入れれば、畳のにおいが鼻腔をくすぐる。部屋の隅には、和菓子屋の分厚い紙袋が置かれていた。
 二重に重ねられた袋の中を改める。中にはぎっしり本が詰まっていて、持ち上げてみるとかなり重たい。ハードカバーの大きい本もあれば、ソフトカバーの小さいもの、外国の童話に日本の童話、色々あった。
 一冊を手に取り、ぱらぱらとめくってみる。
「うーん……?」
 やっぱり、見覚えがある気がした。
 どれも書店や図書館、学校にだって置いてあるだろうから、その記憶もあるかもしれないけど、これだけの本がばあちゃん家にあって、俺が見てないってことは考えにくい。実際、姉貴は覚えてたわけだし。
「ん?」
 最後のページまでたどり着くと、裏表紙の部分に『さくらたかや』と拙い字で書かれている。
 その字に親近感は感じないけれど、やっぱりこれは、俺の字なんだろう。

 ……さき、さま……は……
 ま……ほ、うの……

「え……?」
 何だろう、今の。急に背中が冷たくなったような気がした。
 何かを、思い出しかけたような――?
 俺が記憶の糸を一生懸命手繰り寄せていた時、チャイムの音が聞こえた。
「たかちゃーん、お友達きたよ!」
 ばあちゃんに呼ばれ、俺は急いでリビングに戻る。
「お邪魔しまーす!」
 そこには立木と、黙って頭を下げる渡部の姿。何が入っているのか、でっかい袋を手に提げている。
「めっけちゃんもね、学校のイベントでこの近くにいたんだって」
「ああ、阿佐ファームさん。この時期ブルーベリー狩りやってるのよね。小学生の団体とかがよく来てるみたい」
 ばあちゃんが袋のマークを目ざとく見つけて余計なことを言うと、無言のまま顔を歪める渡部。
 いやまあ、高校生が採りに行ってもいいと思うよ。口に出すと追い討ちかけそうだから出さないけど。
 ソウタはというと、急に人が増えたことに、少し驚いているようだった。
「大丈夫だよソウタ。二人とも見た目より優しいから」
「こんにちは、ソウタくん。見た目も中身も優しいまなちゃんと、見た目は怖いけど中身はおちゃめなめっけちゃんだよ」
「渡部だ」
 訂正はそこだけでいいのか。
 とにかくそれほど警戒しなくてもいいということは伝わったのか、ソウタの表情は幾分柔らかくなる。
「それ、奥に持ってってもいいかな?」
 ばあちゃんが用意してくれてた三人分の飲み物とゼリー、それから渡部のお土産のブルーベリーを盆に載せ、俺は奥の部屋へと移動を始める。二人も後ろからついてきた。
「お、勉強してるんだ、感心感心」
「ようやく自覚が出てきたか」
 紙袋の中身を見た先輩方から、それなりにお褒めの言葉をいただきつつ、俺たちは部屋の中に適当に座る。盆は古い文机の上に置いた。
「鏡よ鏡、この家のリビングにいる『紡ぎ手』はだーれ?」
 立木は早速手鏡を取り出すと、いつもの言葉を唱え始める。
『それは「金のがちょう」です』
「ま、わかってたけど一応ね」
 まだ童話全集を読み返してはいないが、俺も全く知らないというわけじゃない。
 『金のがちょう』は、細かい部分は覚えてないが、金色のがちょうが、磁石のように人をどんどんくっつけていってしまう話だったと思う。
「だから、ターゲットになった佐倉にくっついてっちゃうって感じなのかな。――あまーい! 売ってるのと味が違う」
 立木の台詞の後半は、渡部が採ってきたブルーベリーについての感想だ。
「あんま食うなよ。俺のがなくなるだろ」
「いーじゃん、また採りに来れば」
「学校行事じゃなきゃ、もう来ねぇよ!」
「このままお母さんのところに返しても、何かきっかけがあれば戻ってきちゃうかもね。たぶん、能力のことで揉めたんだろうから」
 その意見には、もう一人の『紡ぎ手』である渡部も同意の表情を見せた。
 それは俺にも想像がつく。どこにでもついてこられたら、困ることだってあるだろう。
「だけど、さ……このまま放っておく訳にもいかないよな」
「でも、どこに連絡したらいいのかもわからないんでしょ?」
「それなんだよな……会ってからほとんど黙ったままだし」
「何か持ってるんじゃない? 携帯とか、ネームプレートとか」
「そうかも」
 そろそろソウタも落ち着いたと思うから、確認してみるしかないか。
 そう思って様子を見に行くと、疲れたのか、座布団を枕にソウタは眠っていた。体にはタオルケットが掛けられている。
「……はい、ええ」
 その時、キッチンのほうから話し声が聞こえたので、俺は、静かに見に行ってみる。
 そこではばあちゃんが、電話をかけていた。
「……ええ、ソウタくん、今は疲れたみたいで、寝てますわ」
 その名前が口に出された瞬間、心臓が跳ね上がる。俺はそれを宥めながら、耳をそばだてた。
「はい……はい。いえいえ、いいのよ。私も可愛いお客さんがいるのは楽しいから。それでは、お待ちしてますね」
「ば、ばあちゃん!」
 通話が終わるのを待って、思わず大きな声を上げると、しーっと人差し指を立てられる。
 俺は慌ててリビングのほうを見やるが、ソウタが起きた様子はなかった。
「ソウタちゃん、迷子なんだって? そういう大事なことはちゃんと言わなきゃ」
「ごめん」
 謝る俺に、ばあちゃんは笑う。
「お仲間だからほっとけなかったんでしょ」
 『仲間』という単語にまたドキリとしたが、それが別の意味で使われていることがすぐに理解できた。
「ソウタちゃん偉いね。電話番号、ちゃんと言えるのよ。どうもお母さんと何かあったみたいなんだけど。ほんと、タカちゃんの小さい頃を思い出すわ」
 改めて言われると、子供の頃のこととはいえ、恥ずかしい。
「でもタカちゃんの家出とは状況が違うからね。お母さん、急いで迎えに来ると言ってたけれど、あと一時間はかかるみたいね」
「一時間!?」
「今、戸羽のあたりらしいから、そのくらいはかかるでしょうね」
「いや……」
 そうじゃなくて、思ったより早い。
 果たして和葉さんは、それまでに間に合うんだろうか。
 その時、ポケットの携帯が震えた。確認すると、グループの通知。
 そこには、待ち侘びたバラのアイコンからのメッセージが。

<あと一時間くらいで着きそう>

 うわぁ、すっげぇ不安。
「どうしたの?」
「いやいや、何でもないよ」
 不思議そうにこちらを覗き込むばあちゃんに、俺は慌てて笑顔を見せた。

 ◇

 それから気が気じゃないまま過ごした一時間強。
 インターフォンの音が、部屋へと響いた。
「はーい」
「ごめんください!」
 ばあちゃんが向かった方角から聞こえてきたのは、和葉さんの声――ではない。
「あの、颯太は……?」
「こちらに」
 足音が近づいてくる。ソウタのお母さんは、思っていたよりも若い感じだった。
 地味なTシャツにベージュのパンツ姿で、顔中に汗をかき、短めの髪も乱れている。
「颯太?」
 その声が不審げに揺れ、後から来たばあちゃんの目も大きく見開かれた。
 俺と立木は、急いで振り返る。庭に面した大きな窓には隙間が出来、レースのカーテンがはためいていた。
「えっ? ソウタくん?」
 立木は床に落ちたタオルケットを呆然と見る。俺は急いで窓の外を見に行った。
「さっきまでいたのに――とにかく、まだ近くにいるはずだから探そう!」
「ここに戻ってくるかもしれないし、あんたは家にいたほうがいいって。目を離しちゃって本当にごめんなさい! おばあちゃん、ここら辺で子供が行きそうな場所、教えてくれます? みんなで探しましょう!」
 立木はまくし立てるように言って、まだ状況を飲み込めてない風の二人を連れ、家を出て行く。
 俺はそれを、ぼんやりと見送った。

 すぐに十分――十五分と時間が経っていく。
 これ以上は難しいんじゃないだろうか。そう思った時、再びインターフォンが鳴った。
 急いで玄関へと向かい、ドアを開ける。
「遅くなってごめんなさい!」
 待ちに待った人物に頷き、家の中へと招き入れる。
 リビングにたどり着くと、そこには用事で帰ったはずの渡部と、迷子になったはずのソウタの姿があった。
 ソウタはすっかり目が覚めていて、もっと騒がれるかと思ったんだが、大人しくちょこんと座布団に座っている。
「大体の話はした。こいつは能力のコントロールは出来ていないようだ」
 渡部は言って、ずれた眼鏡を指先で直した。
 俺が立木にメッセージを送っている間、到着したばかりの和葉さんは息を整えながら、ソウタの前に屈みこむ。
「ソウタくん」
「……きらわれちゃったの」
 ソウタはぽつりと言った。
「ママに、きらわれちゃった」
 そして、ぽろぽろと涙をこぼす。
「ソウタくん。がちょうさんとバイバイできる?」
 ソウタはしゃくりあげながら、うつむいた。いざ、そう言われると、決心が揺らぐようだった。
 目の前に話が通じる人間が何人も現れたから、なおさらかもしれない。
「我慢しようとしても、がちょうさんが、ママのところに連れていっちゃうんだよね?」
 ソウタは泣きながら、こくんと頷く。
「あのね、ママはソウタくんのこと、嫌いになったわけじゃないんだよ。でも、がちょうさんのことがわからない人は、とっても怖いの。ソウタくんも、おばけは怖いでしょ?」
「……こわい」
「そうだね。がちょうさんはおばけじゃないけど、がちょうさんが見えない人にとっては、おばけと同じくらい怖いんだよ」
 一生懸命考えようとしている小さな姿を、みんなが見守る。
 やがて伏せられた目は、真っ直ぐに和葉さんへと向いた。
「がちょうさん、また、くる?」
 和葉さんもその目を見返しながら、小さく首を振る。
「わからない。でも、ソウタくんが大きくなって、またがちょうさんに会いたいって心から思ったとき、また会えるかもしれない。寂しいかもしれないけど、今はママか、がちょうさん、どっちかを選ばなきゃ」
 それから口を閉じ、静かにソウタの答えを待った。
 やがて、結論はもたらされる。
「……ソウタ、がちょうさんとバイバイする」
「そう」
 和葉さんは、ソウタを抱きしめた。
「目を閉じて。恐くないから」
 ソウタは頷いて、目を閉じる。またひとしずく、涙が目蓋から零れ落ちる。
 やがて、ささやくような甘い響きの声が聞こえた。
「おやすみ。――『金のがちょう』」

「見つかったって!?」
 『完了』の連絡を受けて、立木がばあちゃんと、ソウタのお母さんを引き連れて戻ってくる。
 今回わかったことだが、中々の演技派だ。
「ソウタ……!」
 お母さんは真っ直ぐにソウタの元へと駆け寄り、泣きながら抱きしめる。
「ママ……?」
 微睡みの中にいたソウタは、震動に薄っすらと目を開け、そこにお母さんがいるとわかると、首筋にしがみついた。
 それから今までで一番、大きな声で泣く。
「ごめんね、ソウタ、ひどいこと言って……」
 再会がよりハラハラしたものになったのは俺たちのせいもあるんだけど、とにかくほっとした。
 これからだって色々な出来事があるだろう。でもきっと、もっとお互い穏やかに過ごせるんじゃないだろうか。
「本当に、よかった! ……あら、あなた」
 もらい泣きをしていたばあちゃんはそこで、渡部に目をとめる。
「あー、渡部がさ、用事で帰ったんだけど、途中で出会ったらしくて。ソウタくんと」
 俺が慌ててフォローをすると、ばあちゃんは満面の笑みで手を叩いた。
「そうだったの! 助かったわ。どこで会ったの?」
「は?」
 これは想定外だったらしく、渡部は一瞬言葉を失ってから、慌てて付け加える。
「あ――阿佐ファームで」
「あらそう。またブルーベリー採りに?」
「い、いや――まあ」
 苦々しい顔をする渡部に、思わず吹き出す俺と立木。
 今度はそれを不思議そうに眺めていた和葉さんと、ばあちゃんの目が合った。
「お、お邪魔してます! みんなが集まってると聞いたものですから」
「そうそうそう、一応家の中も一緒に探してもらったりしてさ」
 今回のフォローは成功したようで、特に深くは突っ込まれなかった。
「皆さん、ご迷惑をおかけして、本当にすみません」
 気がつくと、目を真っ赤にしたソウタとお母さんが、こっちを見ている。
「ありがとうございました。……ほら、ソウタもありがとうございましたって」
 ソウタはお母さんの真似をし、ぴょこんと頭を下げてから、元気な声で言った。
「ありがと、ございました!」
 その無邪気な笑顔は、見ているだけで幸せになれるようだった。

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