トルパック

トルパック
「おねがい、ぼくをここから出して」

 トルパックは、お父さんと、お母さんと三人で、小さな村のはずれにある、小さなお家に住んでいました。お家の前には広い原っぱ、後ろには大きな森があります。
 お父さんは大工さんで、村の人たちのお家を作ったり、修理したりしています。
 お母さんはいつもトルパックとお家にいて、おいしいアップルパイを焼いてくれたり、森の中にお散歩に出かけては、トルパックにいろんなお話を聞かせてくれます。
 トルパックは、かっこいいお父さんも、やさしいお母さんのことも大好きでした。

 トルパックが三才になった年の冬、お母さんはベッドで寝ていることが多くなりました。
 トルパックがお母さんを呼んでも、お母さんは目をつむったまま「ごめんね」と言うだけで、アップルパイを焼いてくれることも、お話をしてくれることも無くなりました。
 村に一人しかいないお医者さんが時々お家に来ては、お父さんとお話しをして帰って行きます。
 そしてお医者さんが帰ったあと、お父さんがキッチンのすみっこで顔に手を当てて、ため息をついているのを見るたびに、トルパックはひどく悲しくなるのでした。

 それからしばらくしたある日、お母さんは目をつむったまま、動かなくなってしまいました。
 お父さんが、お母さんの手を握ったままうつむいているので、トルパックは、そこにいてはいけないような気になって、思わずお家の外へと飛び出しました。寒い寒い日のことです。  

 次の日になると、たくさんの人たちが黒い服を着て、トルパックたちの小さなお家に集まって来ました。
 大人たちが「まだ若くて……子供も小さいのに……かわいそうに……」と話しているのが聞こえましたが、小さいトルパックには、何が「かわいそう」なのかが分かりませんでした。
 ただ、お母さんが、とてもきゅうくつそうな箱に入れられていたので、たぶんそのことを言っているのだと思いました。
 そして、お母さんの入った箱にはふたがされて、原っぱの向こうへと運ばれて行きました。
 トルパックはお父さんに「一緒に来なさい」と言われましたが、何だかそれはとても怖いことのような気がしたので、トルパックはただ、黙って首を横に振りました。
 お父さんはそれ以上、何も言わなかったので、トルパックはそのままお家の中に入ると、バタン、とドアを閉めました。

 次の朝、トルパックは、お家の中からお母さんのものがすっかり無くなっていることに気がつきました。

 お母さんがお気に入りだったティーカップも、いつも着けていたエプロンも、トルパックとお父さんとお母さんとで写っている写真も――
 トルパックはお父さんに、お母さんがどこに行ったのか聞きたかったのですが、お父さんはもう出かけていて、テーブルの上には「いってきます」というお手紙と一緒に、少し固くなったパンと、冷めてしまったスープが置いてありました。
 トルパックはそれを少しだけ食べると、またお母さんのことを考え始めます。
 ぐあいがわるそうだったから、おいしゃさんになおしてもらいにいったんだ。きっとそうだ。だからおかあさんは、だいじなもの、みんなもっていったんだ。
 トルパックにはそれがとても正しい考えのような気がしたので、少しだけ気分が良くなり、残りのパンとスープを食べると、お母さんとよくお散歩をした森へと行ってみることにしました。
 トルパックは一人で森の中に入ったことがありませんでしたが、道は覚えていたので、頑張って思い出しながら歩きました。
 森の中は昼でも暗くて、トルパックはちょっぴり怖くなってしまったのですが、とてもいい考えがうかんだ後だったので平気でした。
 それにとても寒かったけれど、いつも行くお気に入りの場所に、何だかお母さんがいるような気がしたので、やっぱり平気でした。
 やがて、大きな木の切り株がある「お気に入り」の場所までたどり着きました。トルパックは切り株の上に腰かけると、あたりを見回してみましたが、やっぱりお母さんはいません。
 トルパックはがっかりしましたが、そこでお母さんがしてくれた、たくさんのお話の中の一つを思い出して、口に出してみることにしました。
 でも、まわりにあるたくさんの木はただ黙っていて、遠くから小鳥の声が聞こえて来るだけだったので、トルパックはさみしくなって、お話をするのをやめました。そしてお家に帰ろうと思い、ゆっくりと来た道をもどり始めました。

 森の中を抜けると、空がまるで暖炉の火のように真っ赤で、その色がなぜかトルパックを、さらにさみしくさせます。
 トルパックがお家のほうに目を向けると、お家の前にはお父さんが立っていました。
 トルパックが思わず駆け寄ると、お父さんは「どこに行っていたんだ!」と怒鳴りました。その顔がとても恐かったので、トルパックは「ごめんなさい」と言って、ただうつむくことしか出来ないのでした。

 次の朝、トルパックが目を覚ますと、お父さんが朝ごはんを作っていました。トルパックは、お父さんが時々作ってくれる、野菜のたっぷり入ったスープが好きでした。
 でも、お母さんが作ってくれるアップルパイも同じくらい好きだったので、そのことを思い出してしまうと、いてもたってもいられなくなり、お父さんにこう言いました。
「お父さん、お母さんはどこに行ったの?」
するとお父さんは、しばらくのあいだトルパックを見つめたあと、「遠いところへ行ったんだよ」とだけ言うと、それきり黙ってしまいました。
 トルパックには、お父さんの目があまりにも悲しそうに見えたので、もう、それ以上何も聞けなくなってしまいました。ただ、とても悲しく、悲しくなりました。
 その次の日から、お父さんはトルパックと一緒に朝ごはんを食べ、トルパックのお昼を用意してから、お仕事に行くようになりました。そして帰って来て、また晩ごはんを作ってくれるのです。
 やがて、お父さんは笑うことをしなくなりました。だから、トルパックも笑ってはいけないのだと思い、笑うのをやめました。
 それでもお母さんのことが気になって、お父さんに聞きたくなるのですが、あの時のお父さんのとても悲しい目を思い出すと、口には出来なくなるのでした。

 そして、三年がたちました。トルパックも六才になり、学校に通うことになりました。
 その頃にはもう、トルパックにもお母さんが天国へ行ってしまったのだと、何となく分かるようになっていました。「天国」というところがどんな場所なのかトルパックは知りませんでしたが、お母さんがもう帰って来ないということだけは分かりました。
 クラスのみんなはお昼の時間になると、お母さんの作ってくれた、きれいな色のお弁当を広げています。
 トルパックはお父さんが作ってくれるお弁当もおいしくて好きでしたが、みんなのを見るとうらやましくて仕方がなくなるので、お昼の時間が一番嫌いでした。
 でも、お仕事に行く前に、一生懸命トルパックのお弁当を用意してくれるお父さんを思い出すと、トルパックはそんなことを考える自分もいやになるのです。
 みんなはトルパックを遊びにも誘ってくれましたが、ちっとも笑わないトルパックに、だんだんとそれも少なくなり、やがてトルパックはひとりぼっちになってしまいました。
 トルパックは学校が終わるとすぐ、森の中のいつもの場所まで行くと、返事をしてくれない木や小鳥たちを相手に、日が暮れるまでお母さんがしてくれたお話をし続けるのでした。

「おねがい、ぼくをここから出して」
 トルパックが、夢の中で初めてその声を聞いたのは、冬が過ぎ、やっと暖かくなった頃、トルパックの七才の誕生日の一週間前でした。
 起きた時には、夢の内容はまったく覚えていないのですが、声だけはやけにはっきりと耳に残っているのです。苦しそうな、悲しそうな声でした。
 次の日も、またその次の日も、その声はトルパックの夢の中に出て来ます。だんだんと声は大きくなって行き、そのうち、景色もぼんやりと見えるようになって来ました。
 そして誕生日の朝、ついにその声がする場所もはっきりと見えました。それは、トルパックのお家の、今は使わなくなった屋根裏部屋でした。
 そして声は、黒い布に包まれ、太い紐でくくられた、大きな箱の中からしていました。
「おねがい、ぼくをここから出して!」
 ひときわ大きな叫び声で、トルパックはベッドから飛び起きました。全身に汗をびっしょりとかいています。
 トルパックはそのまますぐに部屋から出ると、お父さんが朝食を作っているキッチンにあるイスを引きずって廊下を走り、それに乗ると、天井にある、屋根裏部屋へと続く扉を力いっぱい開けました。そしてそこからハシゴを引き出すと、夢中で登りはじめました。
 屋根裏部屋はホコリだらけで、トルパックは思わずくしゃみが出ましたが、そこには夢で見たのと同じ光景がありました。
 うす暗い部屋、たくさんの使わなくなった家具、それから、黒い布に包まれ、太い紐でくくられた、大きな箱――
 トルパックは急いで箱のところまで行くと、固く結んである紐を必死でほどいて、布を取り、箱のふたを開けました。

 そこには、お母さんのお気に入りだったティーカップや、いつも着けていたエプロンや、トルパックとお父さんとお母さんとで写っている写真や――
 お母さんとの、たくさんの思い出がぎっしりと詰まっていました。

「トルパック!」
 呼ばれて慌てて振り向くと、そこには、いつのまにかお父さんが立っていました。
 トルパックはお父さんが怒っていると思ったので、「ごめんなさい」と謝りました。すると、急に胸が苦しくなって、涙が出て来てしまいました。
 なぜだか分からないけれど、涙が次から次へとこぼれて来て、止まらないのです。
 お父さんはこわばった顔のまま、トルパックの近くまで来ると、トルパックをぎゅっと抱きしめました。ふと見ると、お父さんも泣いているのでした。トルパックは、自分がお父さんを困らせたのだと思ったので、もう一度「ごめんなさい」と言いました。
「いいんだ……トルパック。すまなかった。すまなかったな……」
 お父さんも、何度も何度も謝りました。
 トルパックには、何でお父さんが謝るのか分かりませんでしたが、そのまましばらく二人は泣き続けました。

 その日の夜、トルパックとお父さんは、屋根裏部屋にあった箱を持って来ると、二人でお母さんの話をしました。
 あんなことがあった、こんなことがあったと話しているうちに、二人とも少しずつ笑顔になって来て、そうすると、ますます話が止まらなくなるのでした。

 気がつくと、もうすぐ夜明けです。

 次の日から、トルパックはあの不思議な声を聞くことは無くなりました。

 それからしばらくして、お父さんは、今のお家のお隣りに、新しいお家を建て始めました。
 今のお家よりも、少しだけ大きくて、頑丈な造りです。トルパックも、一生懸命手伝いました。
 来年の今頃には、お引っ越しをすることになるでしょう。トルパックと、お父さんと、そして、お母さんのたくさんの思い出と一緒に、とても近くへのお引っ越しです。
 きっとその頃には、新しく出来たトルパックやお父さんのお友達が、たくさん遊びに来て、とても賑やかなお家になることでしょう。